21 「僕の人生で」(「イン・マイ・ライフ」)
In my life
There are places I‘ll remember
All my life though some have changed
Some foever not for better
Some have gone and some remain
(思い出す場所がある。
僕の人生の中で記憶した場所。
その幾らかは変わったけれど。
幾らかは永遠にあるだろうが、それがより良いわけじゃない。
幾らかは消え去ったし、幾らかは残っている。)
All these place have their moments
With lovers and friends
I still can recall
Some are dead
and some are living
In my life I‘ve loved them all
(それぞれの場所にはそれぞれの時があった。
恋人としての時、友達としての時。
僕は今でも思い出せる。
何人かは死んだし、何人かは生きている。
僕の人生で、僕は彼らをすべて愛した。)
But of these friends and lovers
There is no one compares with you
And these moments lose their meaning
When I think of love as something new
(でもその友人たちや恋人たちの誰も
君には比べられない。
そして、それらの時の記憶は意味を失ってしまった。
この新しい恋を思う時。)
Though I know I never lose affection
For people and things that went before
I know I‘ll often stop
and think about them
In my life I love you more
(それらの人々や物事への愛着を無くしたわけじゃない。
僕はこれからもしばしば立ち止まり、彼らのことを考えるだろう。
でも、僕の人生で、
君をもっと愛している。)
* 最後の連を繰り返す
名詩30撰の中に入れるべきかどうか迷う詩である。というのは、この歌が名曲であるのは間違いないし、ビートルズの歌の中ではあまり知られていないので紹介する意味はあるのだが、歌詞の内容にやや問題があるのだ。確かに、新しい恋をしたら、その恋がすべてになるだろうし、過去の知人友人恋人、あるいは過去の記憶は、新しい恋人の前では意味を失うだろうが、こういうふうに比べること自体に何か人間関係の根本の誤りがあるような気がするのである。こうした考えに、ある種の不快感を感じるというか。これは、どうしても私が常に被害者や劣等者の側に身を置いて考える性質があるからかもしれない。もちろん、たとえば、恋人と友人とどちらかを救わねばならないという極限状態を前にしたとき、恋人を捨てて、友人を選ぶ人間は多くはないだろう。現代における友情はそんなものかもしれない。あるいは、いつの時代でも、友情はそんなものかもしれない。そして、過去の恋は新しい恋の前では色あせるのも当然だろう。だが、それを認めてしまうと、友情も恋すらも、意味がなくなりかねないという気がする。
ビートルズの詩では「エリナー・リグビー」や「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」などの方が詩としてはいいと思うが、あちらは結構知られていると思ったので、ここでは「イン・マイ・ライフ」を取り上げた。