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26 「道路の陽の当る側」(「サニーサイド・オブ・ザ・ストリート」)

 

On the sunny side of the street

 

Grab your coat and get your hat

Leave your worries on the doorstep

Life can be so sweet

On the sunny side of the street

(コートを掴み、帽子を手にして

悩みはドアステップに置き去りにしよう

人生は素晴らしいものになるさ

道路の陽の当る側に出れば)

 

Can‘t you hear the pitter-pat?

And that happy tune is your step

Life can be complete

On the sunny side of the street

(あの雨の音が聞こえないかい

あの楽しげな音は君の足音さ

人生は完全なものになるさ

道路の陽の当る側に出れば)

 

* I used to walk in the shade

with those blues on parade

But I‘m not afraid

because this rover crossed over!

(おいらの心ではいつも楽隊がブルースを演奏し

おいらはいつも道路の陰を歩いていた

でも今は、悩みの強盗どもはみな死んじまったんだ!)

 

And if I never have a cent

I‘d be rich as Rokkefeller

With gold dust at my feet

On the sunny side of the street

(もしも1セントも無くっても

おいらはロックフェラーみたいに金持ちさ

おいらの足元には金の埃が舞っている

道路のこの陽の当る側でなら)

 

  リフレーン

 

And if I never had a cent

I‘d be rich as“Harry Belafonte”

With “Barry Goldwater”at my feet

On the sunny side of the street

(もしも1セントも無くっても

おいらは「バリー・ゴールドウォーター」を足元に膝まづかせた「ハリー・ベラフォンテ」くらいに金持ちさ

道路のこの陽の当る側にいれば)

 

 

題名が「陽の当る道」などと訳されることもあるが、それだと歌の趣旨が不明になる。これは、道路を陽の当る側と当らない側に分けたものだろう。

 犬儒派の哲学者ディオゲネスが日向ぼっこをしていると、アレクサンダー大王がその前に立って、「お前の欲しいものを何でもやろう、何が欲しいか」と聞いた。するとディオゲネスはうるさそうに大王を見上げ、「そこをどいて太陽をさえぎらないでくれれば十分だ」と言ったという。その後、アレクサンダーは「自分がアレクサンダーでなければディオゲネスでありたい」と言ったとかいう話だが、人の幸せにとって、どれだけのものが必要か、というと、実はそれほど大したものはいらない。黄金も、足元の埃が太陽に照らされて黄金色に光るのも、美しさという点では同じである。ただ、多くの人は、足元の埃は無価値だと思い、黄金は価値があると思っている。

 つまり、人生を生きるのに、道路の日陰の部分を選んで生きるのも、陽の当る側を選んで生きるのも、実は個人の選択であり、金が1セントも無くても、ロックフェラーよりも豊かな気持ちで生きることは可能なのである。さあ、悩みはドアステップに投げ捨て、道路の陽の当る側に出てみよう! と思えれば幸せなのだが……。

 歌詞で疑問なのは、最後の連で「ハリー・ベラフォンテ」や「バリー・ゴールドウォーター」が出てくることで、この歌は1930年に作られた歌だというが、トニー・ベネット版では、あるいは当時の有名人の名に入れ替えたのかもしれない。バリー・ゴールドウォーターはがちがちの保守派政治家で、保守派とは金持ちの味方の別名だから、このような貧乏人側に立った歌では揶揄の対象となったのかもしれない。

 



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