16 七つの水仙
Seven daffodils
I may not have a mansion
I haven‘t any land
Not even a paper dollar
to crincle in my hands
But I can show you morning
on a thousand hills
And kiss you and give you
seven daffodils
(私には豪邸もない
私には土地もない
手の中でカサカサと音を立てる1ドルのお金さえない
でも私はあなたに幾つもの丘の上の朝の姿を見せることができる
そしてあなたにキスをして七つの水仙をあげることができる)
I do not have a fortune
to buy you pretty things
But I can weave you moonbeams
for necklaces and rings
And I can show you morning
on a thousand hills
And kiss you and give you
seven daffodils
(私には財産がない
あなたにきれいな物を買うための財産が
でも私は月の光を織ってあなたにネックレスと指輪を作ることができる
そしてあなたに幾つもの丘の上で朝を見せることができる
そしてあなたにキスをして七つの水仙をあげることができる)
Oh seven golden daffodils
all shining in the sun
To light our way to evening
when our day is done
And I will give you music
and a crust of bread
And a pillow of
piny boughs to rest your head
And a pillow of
piny boughs to rest your head
(おお、七つの黄金の水仙よ
すべて朝日の中に輝き
一日が終わる夕暮れの時まで
私たちの道を照らしてくれる
そして一日が終わる時には
私はあなたに音楽を贈ろう
そしてわずかなパンを
そしてあなたが頭を休めるための松の葉の匂いのする枕を贈ろう
あなたが休むための松の匂いの枕を贈ろう)
ブラザース・フォーのフォークソングである。次の17番の「無引く無」もそうだが、アメリカンポップスには貧乏ソングとでもいうべき歌があって、「ぼろは着てても心の錦」というか、「武士は食わねど高楊枝」というか、心の気高さが大事だよ、と考える伝統がある。もちろん、そういうことを言うのは、女房や恋人に高価な贈り物や贅沢な生活を与えることのできない甲斐性の無い男に決まっているのだが、それはそれで金がすべての資本主義社会の一服の清涼剤ではある。女性の側がこうした歌を鼻で笑うのは言うまでもない。
次の「無引く無」や「道路の陽の当る側」と共に読むと一層面白いだろう。