(2018年1月16日更新)
第26代継体天皇は多くの歴史上の人物の中でも、かなり興味深い人です。
まず、歴史的に実在と系譜が明らかな最初の天皇と言われていること。つまり、多くの考古学者の間で、現在の皇室の源流とみなされている人物なのです。
また、それまでの天皇とはかなり離れた血筋の人物で、西暦507年の即位後大和国の都に入るのに19年かかっています。つまり即位に賛否両論あったようなのです。
なぜそのような論争があったのか?なぜそのような人物が最終的には天皇になれたのか?
こういった疑問への回答を示しつつ、継体の来歴、さらに人となりまでを描き出しているのがこの本でした。
継体埋葬時の服の復元(今城塚古代歴史館にてよしてる撮影)
このメモの目次
なぜ継体天皇以前の大王(天皇)の血筋(仁徳王統)は滅んだのか
なぜ継体天皇が選ばれたかを知るには、まず継体天皇以前の大王家の状況を知る必要があります。いったい何があったのでしょう。
雄略天皇の王族抹殺
まず第一に、雄略天皇が王族を次々と消していったことが挙げられます。
- 第21代雄略天皇(5世紀後半在位)は、政治的・軍事的な天性・先見性を備える反面、王の座を得るまでに何人もの兄弟や従弟を容赦なく殺害。
- 雄略の近親者殺害に関する逸話としては、2代後の第23代顕宗天皇は父の敵である雄略天皇陵を破壊しようとしたが、兄(後の第24代仁賢天皇)から諫められる・・・という出来事があったほどである。
これだけ派手にやれば、後継者が減るのも当然、という気はします。
一応フォローしておくと、上のメモにもあるように、雄略天皇はただ残虐なだけではなかったようです。「エンカルタ総合大百科2002年」から引用します。
「古事記」「日本書紀」には、治世中は罪のない人を鳥養部(とりかいべ)におとしたり、吉備田狭(きびのたさ)をあざむき妻をうばうなど暴虐記事が多い。しかし葛城・吉備などの臣姓豪族を没落させ、大臣・大連制度の導入で大伴氏や物部氏など身内の連姓豪族の地位をあげることに功績があったともいえる。渡来人の大和への移住をすすめて王家の財政基盤を充実させながら、大王(おおきみ)としての専制権力をかためていった。Microsoft(R) Encarta(R) Reference Library 2002. (C) 1993-2001 Microsoft Corporation. All rights reserved.
この「王族抹殺」により、王権は一旦衰退します。第21代雄略陵と推定される岡ミサンザイ古墳は全長238メートルもありますが、以降第22代清寧陵115メートル、第24代仁賢陵(推定)が122メートルとほぼ半分の長さとなっています。
武烈天皇の「残虐非道」エピソードの背景
ちなみに、継体天皇の前の第25代武烈天皇は、妊婦の腹を割いたとか人を樋に流しそれを矛で刺して喜んだなどという異常な行動が記録されています。これは、跡を継がせる血統の近い者が途絶えてしまったため、武烈と継体の血筋があまりにも離れてしまうことになったが、その継体に王位を継がせるには前代が異常な人物であったとするしかなかったためだと言われています。
このような武烈の残虐非道ぶりは「日本書紀」にのみ書かれており「古事記」には一切出てきません。そのことからも、武烈のエピソードは真実ではないこと、逆に言うとそこまでして継体を跡継ぎにするしかなかった事情があった、ということが推測できます。
継体・武烈の血筋の「距離」
ウィキペディア「継体天皇」から抜粋
さて、本書では、なぜ継体かという疑問に対し、明確にこれだという回答を示しているわけではないですが、通読すると浮かび上がってくるキーワードがあります。それは国際性です。
継体の国際性
継体の実績:
- 百済に対する援軍と領土拡大譲歩を行った(これは失策と考えることもできるが)
- その見返りに百済から五経博士を派遣してもらった。これは単なる人的交流ではなく、当時の日本になかった重要な統治文化の輸入であった。博士とともに日本にやってきたものは:
- 「氏」名の成立。記録によると、雄略(第21代)期には名字はなかったが、継体(第26代)〜欽明(第29代)期に成立
- 和風諡号(天皇の死後に名を贈ること)と殯(葬儀)宮儀礼 等
- 半島で活躍し帰国した首長に冠などを与え評価
- 秦氏など渡来人を重用
たしかに、継体はこのような積極的な対外交渉を行っていたようです。ではその素地はどこにあったのでしょうか。
- 継体の故郷・滋賀県高島は当時国際性の高い土地だった:
- 渡来人が暮らしていた(オンドルなどが発掘されている)
- 日本海経由で九州有明沿岸地域と結ばれ海外に開かれていた
継体天皇の父彦主人王は、もともと近江坂田にいましたが、彼の代で琵琶湖対岸の高島に移りました。そこは当時の国際ルートだったというわけです。これが継体の飛躍につながっているのでは、というのが著者の指摘です。
私はこれを読んで納得するとともに、現代において、自分の仕事や子ども達の将来のために国際性の高い場所・職・学校などを求める人々と似た思いがあったのかななんて想像をしてしまいました。