どうでもいいようなことだが、槍と矛の違いは、分かっているようで明確には知らないので、一応調べると、次のようなものらしい。同じ回答の省略部分に、槍は鎌倉時代くらいから使われだしたとあるが、確か日本書紀に記述された、大海人皇子が天智天皇の酒宴で興奮して床に突きさしたのは「槍」と書かれていたと思う。当時は矛が一般的で槍は珍しかったということを何かで読んだ。
まったく別の話だが、五世紀の「倭の五王」の時代に、倭が朝鮮半島の中南部の百済新羅任那を属国化していたのは好太王碑文や『宋書』の記述などから見ると事実らしい。まあ、属国というと語弊があるが、その上位的存在だったようだ。とすれば、日本書紀に時々、百済や新羅から日本(大和朝廷)への朝貢があったという記述があるのもあながち嘘ではないかもしれない。さらに言えば、神功皇后の征韓も神話ではなく事実かもしれない。また、神武東征も事実かもしれない。
現在の私の推測では、百済か任那から来た一族(「騎馬民族」と言うほど騎馬が当時意味を持っていたとは思わないが、騎馬の知識や技術はあっただろう。)が九州の邪馬台国の支配者にのし上がり(あるいは簒奪し)、「戦争の先進国」であった朝鮮半島の経験と、当時としては高度な武器(青銅器と鉄器)を用いて中国地方の豪族(出雲族)を滅ぼし、東に進んで奈良盆地に大和朝廷を打ち立て、さらに東に進んで関東地方まで勢力範囲とした、というものだ。当時の日本の地方支配者は、西部劇の騎兵隊に対するインディアン程度の戦争遂行能力しかなかったと思われる。戦闘訓練を積んだ兵士の一隊がいれば、どの地方も容易に征服できたのではないか。
なお、関東地方で東征をやめたのは、それ以上は森林地帯がほとんどで、征服する価値は無いと見做したからだろう。稲を主食とする民族の支配者にとって、稲作が不可能な土地を奪っても意味はないのである。
以下 ウィキペディアより
矛と槍は、穂先(剣の部分)の付け根部分の構造で区別される。 矛は穂先の根本がソケット状(袋部)になっており、そこに柄を差し込むものをいい、槍は逆に穂先の根元を柄に差し込むものをいう。
まったく別の話だが、五世紀の「倭の五王」の時代に、倭が朝鮮半島の中南部の百済新羅任那を属国化していたのは好太王碑文や『宋書』の記述などから見ると事実らしい。まあ、属国というと語弊があるが、その上位的存在だったようだ。とすれば、日本書紀に時々、百済や新羅から日本(大和朝廷)への朝貢があったという記述があるのもあながち嘘ではないかもしれない。さらに言えば、神功皇后の征韓も神話ではなく事実かもしれない。また、神武東征も事実かもしれない。
現在の私の推測では、百済か任那から来た一族(「騎馬民族」と言うほど騎馬が当時意味を持っていたとは思わないが、騎馬の知識や技術はあっただろう。)が九州の邪馬台国の支配者にのし上がり(あるいは簒奪し)、「戦争の先進国」であった朝鮮半島の経験と、当時としては高度な武器(青銅器と鉄器)を用いて中国地方の豪族(出雲族)を滅ぼし、東に進んで奈良盆地に大和朝廷を打ち立て、さらに東に進んで関東地方まで勢力範囲とした、というものだ。当時の日本の地方支配者は、西部劇の騎兵隊に対するインディアン程度の戦争遂行能力しかなかったと思われる。戦闘訓練を積んだ兵士の一隊がいれば、どの地方も容易に征服できたのではないか。
なお、関東地方で東征をやめたのは、それ以上は森林地帯がほとんどで、征服する価値は無いと見做したからだろう。稲を主食とする民族の支配者にとって、稲作が不可能な土地を奪っても意味はないのである。
以下 ウィキペディアより
矛と槍は、穂先(剣の部分)の付け根部分の構造で区別される。 矛は穂先の根本がソケット状(袋部)になっており、そこに柄を差し込むものをいい、槍は逆に穂先の根元を柄に差し込むものをいう。
PR
この記事にコメントする
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
カテゴリー
最新記事
P R