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28 「ケ・セラ・セラ」

 

Que sera ,sera

 

When I was just a little girl,

   I asked my mother,“ What will I be?

Will I be pretty? Will I be rich?“

Here‘s what she said to me:

“Que sera,sera,

Whatever will be,will be;

The future‘s not ours to see.

Que sera,sera,

What will be,will be.“

(まだ幼い少女の頃、私は母に聞いてみた。

「私、可愛くなるかしら、私、お金持ちになるかしら?」

これが彼女の答えでした。

「ケ・セラ・セラ、起こることはすべて起こるのよ。

未来は私たちには見られない。

ケ・セラ・セラ、起こるはずのことがみな起こるのよ」)

 

When I was just a child in school,

 I asked my teacher,“What will I try?

Should I paint pictures? 

Should I sing a song?“

This is her wise reply;

“Que sera,sera,

Whatever will be,will be;

The future‘s not ours to see.

Que sera,sera,

What will be will be.“

(学校に通った子供の頃、私は先生に聞きました。

「私、何をしようかしら。

絵を描こうかしら、歌を歌おうかしら」

これが彼女の賢い答えでした。

「ケ・セラ・セラ、成るように成るでしょう。

未来は私たちにはわからない。

ケ・セラ・セラ、成るように成るのです」)

 

When I grew up and fall in love,

 I asked my sweetheart,“What lies ahead?

Will we have rainbows 

Day after day?“

Here‘s my sweetheart said;

“Que sera,sera,

Whatever will be,will be;

The future‘s not ours to see,

Que sera,sera,

What will be,will be.“

(大人になり、恋に落ちた時、私は恋人に聞きました、

「私たちの前には何があるかしら。

毎日毎日、虹がつかめるかしら」

これが恋人の言ったこと。

「ケ・セラ・セラ、成るようになるさ。

未来のことはわからない。

ケ・セラ・セラでいいじゃないか」)

 

Now I have children of my own,

 They ask their mother,“what will I be?

Will I be handsome?

Will I be rich?“

I tell them tenderly;

“Que sera,sera,

Whatever will be,will be;

The future‘s not ours to see,

Que sera,sera,

What will be,will be.

Que sera,sera.“

(今、私にも自分の子供がいて、彼らは聞いてきます。

「僕、ハンサムになるかなあ、

私、お金持ちになるかしら」

私は優しく答えます。

「ケ・セラ・セラ、なるようになりますよ。

未来のことはわからないけど、

なるようになるから大丈夫。

ケ・セラ・セラでいいの」)

 

 

ヒッチコックの映画「知りすぎた男」のためにジェイ・リビングストンとレイ・エバンスが書いた歌である。歌はドリス・デイで、映画の中でも彼女が歌った。その歌の使い方が、実にしゃれているので、映画も御覧になるといい。

「ケ・セラ・セラ」という言葉はこの映画以降、非常に有名になり、言葉だけが一人歩きをしている気味もある。なにしろ、インターネットでサーチすると、この歌よりもホームページのタイトルがずらっと出てくる始末である。

歌の内容も実にしゃれているのだが、リフレーン部分を同じ訳で繰り返すのも辛いので、少しずつ変化させてみたが、そんな小細工はいらん!と怒る人が絶対に出てくるはずである。世の中、そんなもんだが、まあ、ケ・セラ・セラである。

ついでながら、こんな一見他愛ないポップスにも、欧米の宗教的エートス(気風)は背後にあり、これは聖書の「汝明日のことをのみ思いわずらうなかれ」という一節に通じている歌詞である。「未来は我々に属するものではない」というのも、やはりある種の宗教的な姿勢だろう。

最後のリフレーン部分に「なるようになるから大丈夫」と、原詩には無い言葉を入れたのは、こうした神への信頼が詩の背後にあると考えたからである。

余計な話だが、最後のフレーズで、「I tell them tenderly」とある、この「テンダーリー」が実に素晴らしいと思う。かつて子供だった自分と同じ疑問を自分の子供が持ち、それを母である自分に聞いてくる。その時の母親の微笑が自然に想像できる一節だ。私は、この「テンダーリー」を訳しながら、思わず感動して涙が出たくらいである。

 




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