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井沢元彦の「天智暗殺説」によれば、天智は(大津京から)現京都市伏見区醍醐の巨椋池(現在は干拓されて存在しない?)の木幡山まで狩りに来て、そこで暗殺された、とされているが、滋賀の大津から京都の伏見(あるいは宇治)あたりまで狩りに来るか、という疑問を最初私は持った。現在の感覚で、滋賀から京都南部まで行くのは大変だろう、と思ったからだ。しかし、地図で直線距離を測ると、実はその間、20キロから25キロ程度なのである。走っても行ける距離であり、馬ならなおさらだ。その間には特に土地の起伏も無いだろうし。
ちなみに、直木孝次郎「壬申の乱」に、旧日本陸軍の騎兵の標準歩速が書かれていて、次のようになっている。

常歩(なみあし):分速110m
速足(はやあし):分速210m
伸長速足(しんちょうはやあし):分速310m
駈足(かけあし):分速420m
襲歩(しゅうほ):分速800m以上


これらを交互に交えたようである。速足と常歩を交えて分速150m平均とすれば、時速9キロで、3時間弱で大津から木幡まで来られるだろう。なお、古代人は朝が早い(遠出する時は特に)ので、夜明け前に出発したと思う。

井沢元彦は天智暗殺を大海人皇子自身が手を下してやったとしているが、年齢的にさすがにそれは無理だろうと思う。まあ、映像的には面白い場面にはなりそうだ。
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