とりあえず、2回に分けて載せる。
人物メモ
① 関根金造(アンツの監督。爺さんである。)
② 須藤完(寮長兼二軍監督。オヤジである。)
③ クリート・ロビンソン(二軍野手コーチ。守備の神様である。)
④ ビル・テリー(二軍打撃コーチ。打撃の神様である。)
⑤ レフティ・グローバル・アレキサンダー(二軍投手コーチ。ピッチングの神様である。)
⑥ 田畑耕作(キャッチャー。八重山農林高校卒。18歳。ドラフト4位。山出しの田舎者だが、野球頭脳は抜群。捕手体型で、鈍足だが打撃も守備もいい。)
⑦ 荒野拓(投手。18歳。北海高校卒。ドラフト1位。火のような速球を投げるが、投球術は未完成。野球経験が少なく、甲子園には出ていないため、知名度はない。)
⑧ 馬場一夫(一塁手。32歳。大卒。守備は名人だが、打力が弱く、一軍に定着できない。性格はおおらかで、馬のような顔をしている。)
⑨ 野原二郎(二塁手。埼玉学園卒。18歳。素質はあるが、気が弱く、チャンスで打てない。守備は名人級。ドラフト3位。)
⑩ 山原遊介(遊撃手。北部農林高校卒。18歳。俊敏だがやや非力。当てるのは上手い。守備もなかなか。ドラフト5位。)
⑪ 牛岡三蔵(三塁手。24歳。大卒。2年目。見かけはもっさりしているが、守備は天才。打撃は弱い。ロビンソンコーチのお気に入り。)
⑫ 中矢速人(中堅手。23歳。大卒。ドラフト2位。足は韋駄天。守備も抜群だが、打撃は未完成。性格は悪くはないが、やや高慢で己惚れ屋。顔はいい。)
⑬ 左木善(左翼手。33歳。強打者だが鈍足で守備は下手。1軍通算・265、75本塁打。無口。)
⑭ 左右田左右太(右翼手。26歳。大卒4年目。スイッチヒッターで守備も内外野できる。長打力は無い。お調子者で、ポカもときどきある。顔は井出らっきょに似ている)
⑮ 山並敬作(控え選手。捕手31歳。二軍の主的存在。弱肩。性格はいいが、強引なところがある。度量は大きい。将来の二軍監督候補。)
⑯ 城之内和也(投手。22歳。2軍のエース。性格も制球力も悪い。相手によって気を抜く癖がある。)
⑰ 桜木健太(投手。23歳。球威はあるが、頭が悪い。)
⑱ 早川昇(投手。19歳。球は遅いが投球術を心得ている。)
⑲ 高井勇作(投手。21歳。左腕。球威は抜群だが、自らピンチを招く癖がある。)
⑳ 難波利夫(二塁手。24歳。積極性が無く、好機にはまったく打てない。)
球団
セリーグ
① 名古屋ドランクス(中落合監督)
② 東京ギガンテス(保利監督)
③ 大阪ウォーリアーズ(藤山監督)
④ 広島オイスターズ(山本山監督)
⑤ 横浜シティボーイズ(金星野監督)
⑥ 新宿アンツ(関根監督)
パリーグ
① 北海オーシャンズ(ヘルマン監督)
② 埼玉リアルエステイツ(糸鵜監督)
③ 南海パイレーツ(皇監督)
④ 千葉マリナーズ(S・バランタイン監督)
⑤ 神戸コンドルズ(名嘉村監督)
⑥ 東北パラダイス(之牟羅監督)
『 のんびり行こうぜ 』
○この小説は実在の人物や組織とはまったく関係はありません。モデルとなった人物や組織もありません。名前などが似ていても、それは偶然の一致にすぎません。
その一
プロ野球セリーグには東京に2球団あって、その一つは老舗の名球団、東京ギガンテスである。ここは保守系新聞の押売新聞を母体にしていて、テレビ局とのつながりもあるため、全国的知名度があり、また資金力に飽かせて有力選手を掻き集め、好成績を残してきた結果、日本一の人気球団となった。現在は昔ほどの成績は残していないが、人気だけはまだ保っている。
セリーグのもう一つの在京球団が新宿アンツである。球団本拠地が新宿だから新宿というチーム名になったのだが、いかにもスケールの小さい名前だ。昔存在したジャイアンツとかいう名球団にあやかってアンツと名づけたそうだが、巨人たちと蟻んこたちでは大違いである。かつては清涼飲料水の会社が球団を所有していたが、経営不振から経営権をアグリビジネスとかいうわけのわからない仕事をしているドン・ビャクショーという会社に譲り渡した。その際、高給取りの有望選手は大体金銭トレードされ、ほとんどはその名前にふさわしい蟻んこレベルの選手しか残っていない。
新球団としてスタートした昨年の球団成績は27勝115敗3分けである。このチームが27勝もしたのは奇跡のようだが、古いチームに愛着があって残った実力派選手も数人はおり、他球団に行けばおそらく10勝以上は堅い、藤井、伊藤などの有力投手の頑張りと、外人にしては比較的給料が安いということで継続雇用となったラミレス、ベバリン、ベッツなどの働きで27勝の成績は残ったのである。しかし、観客とすれば、野球見物に行っても5回に4回は負け試合であり、しかもその負け方が、0対10とか1対20とかいうラグビースコアでは、まるで相手チームの打撃練習、投球練習を金を出して見ているようなものである。当然、真面目な観客の数は激減したが、世の中は奇妙なもので、こうしたヘボチームのどたばたした試合が面白いと、寄席かバラエティショーでも見る気分で鑑賞する通人もおり、それに何しろチケット代が内野席でも2000円、外野席なら1000円と格安だったので、本拠地の新宿球場には、ナイターを夕涼みの場やデイトスポットとして利用する人間も多く、1年目の経営は(高額選手がいないこともあり)黒字になったのであった。
ドン・ビャクショーのオーナー大田田吾作は、浮いた金で千葉北部の山中にファームを作り、そこを文字通りの農場と二軍練習所にすることにした。若手選手は、そこで農作業の合間に野球の練習をするわけである。なるほど、ろくに一軍の試合にも出られない若手選手の有効利用と言えばそうだし、彼等の体位向上には役立つだろうが、野球の技術アップにはあまり役立ちそうも無いシステムである。この計画によって、若手選手の半分は自主退団した。何が悲しくて、俺のようなシチィボーイが千葉の山奥で豚を飼い、肥タゴをかつがねばならんのか、というわけだ。しかし、大田田吾作氏はなかなかの人物で、最初から、雇った人間は(金銭トレードは別として)解雇はしない、と言明していた。野球をやめても自分の企業(ほとんどが百姓仕事だが)で使ってやる、というわけだ。現在のように不安な雇用状況の時代では、これはなかなか立派な方針だとも言える。
そのせいか、この年の秋のドラフトで指名された選手のうち1位の中村宏典三塁手を除いて、2位から5位までは入団を承諾した。今その名前を書いても怠惰な読者はどうせ覚えていてくれないだろうし、作者も覚えられないから、名前は省いておく。
それに、他球団を解雇された選手がアンツの入団テストに思いがけず沢山集まった。その中には十分に一軍で使えそうな選手も何人かいたのである。であるから、少なくとも人数的には、自主退団した若手選手の穴を埋めるだけの選手は揃ったと言える。
アンツの監督は、関根金造という爺さんで、現役時代は投手も内野手も外野手もやった器用な人間だが、評論家生活が長かったせいか、自軍チームに対しても評論家的な目で眺めてしまい、あまり勝利への意欲は無かった。だからこそ、この悲惨なチーム成績でも発狂せずに無事に一年をやり通せたのだろう。そういう意味では監督としてはベストの人選だったかもしれない。そもそも彼はベンチにいてもほとんど指令らしい指令は出さず、選手たちに、好きにやってこい、と言うだけであった。「野球など、やっているうちに覚えるさ」というわけだ。試合中に時々呟く言葉には、中々含蓄のある言葉もあったのだが、なにしろ選手がそれを理解できるレベルではなかったので、彼はただのボケ老人と大方の選手からは思われていた。「二時間ベンチに坐ってお茶を飲んでいるだけで金が貰えるのだから、楽な商売さ」と陰口を言う選手もいたが、好々爺然とし、余計な命令をしないこの監督を大多数の選手は好んでいたようだ。もちろん、観客の野次や罵倒に耐え切れず、もっと真面目な試合がしたいと望んでいる真面目な選手も何人かはいた。そうした選手は、何の指令も出さない監督に不満を持っていたが、では監督が指令を出したとして、選手がそれを実行できるかと問われたら、おそらく言葉に詰まるだろう。
ともあれ、新宿アンツはファンからはともかく、敵(他球団)からは、苛酷なペナントレースの中の一服の清涼剤として愛されていた。選手たちはアンツとの対戦を心待ちにし、野手たちはその3連戦で少なくともヒットを5、6本、あわよくばホームランを1、2本打とうと考え、先発投手は完封勝利で防御率がどれだけ向上するか獲らぬ狸の皮算用をした。面白くないのは、出番がおそらくない救援投手や代打陣だけだ。アンツに負けるということなどまず考えられなかったから、首位を争うチームにとっては、アンツとの3連戦で一つでも負けることなどあってはならないことで、初年度の最終3連戦でギガンテスがアンツに1勝2敗と負け越し、そのためにペナントを落とした監督の原田は哀れにも更迭されてしまったくらいである。この原田監督は、その甘いマスクから高校野球のプリンスと呼ばれ、東都大学野球では18本の本塁打を打ち(野球に無知な読者には、これがどのくらい素晴らしい数字かわからないだろうが、大学野球は試合数が少ないので、通算で10本以上の本塁打を打っていればかなりの強打者なのである。とはいえ、東都大学の通算本塁打記録は、プロ入り後はほとんど打者としての数字は残せず守備の人になった小橋遊撃手の23本であるところが皮肉だが。)鳴り物入りでギガンテス入りしたものの、その前の時代に黄金時代を築いた皇一塁手や中嶋三塁手と常に比較され、中々の成績を残しながらいつも周囲から不満を持たれていたという、幸運なのか不運なのかよく分からない人物である。
どうも脱線が多くて申し訳ない。話を先に進める前に、現在のプロ野球の状況を簡単に説明しておこう。昨年のペナントレースの覇者はセリーグが「俺流野球」の中落合監督率いる名古屋ドランクスで、パリーグがお雇い外国人監督のヘルマン監督率いる北海オーシャンズである。ドランクやオーシャンに「ズ」をつけていいかどうかわからないが、とにかくそういう名前のチームである。特にパリーグは、年間の試合での1位がそのまま優勝とはならず、2位と3位の勝者が1位と戦い、その勝者となってやっとパリーグ優勝となるわけのわからないシステムで、オーシャンズも年間3位の順位でありながら勝ち上がってパリーグを制し、その余勢を駆って日本シリーズまで制覇したという幸運さであった。つまり実質的にはパリーグの3位チームが日本一になってしまったのであるが、驚いたことにこの馬鹿げたシステムが来年度からセリーグでも採用されることが決定していた。要するに、通常ならペナントレースの大勢が決まって観客動員数が減少する秋口に、勝ち上がりの優勝決定戦を作って観客を集めようという魂胆である。それによって優勝可能性が出てくる下位球団にとってはいい話である。これも大リーグへの有名選手流出によるプロ野球の人気低下の影響だが、取りあえずは3位以内を目ざそうということで、アンツには大いに希望が出てくる話であった。とはいえ、現実的には、昨年27勝115敗の(今後、数字などが出てくる場合に、前に書いた数字と違うとか言って、揚げ足取りをしないように。これはそういう話ではないのだ。)チームが、どうやれば3位になれるのか、雲を掴むような話ではあったが。