大盗賊(小説・脚本のテーマのメモ)
* 三船敏郎に捧ぐ
大江戸八百八町(この話の時点ではそれほど栄えてもいないが)を騒がす大盗賊、むささび五郎衛門の正体は、表の名をルソン助佐衛門と言い、南蛮貿易で名を馳せた新興商人である。貧しい町人の息子として生まれた彼は、幼くして両親を失い、貧窮のうちに成長した。成人の後、やがて、ある商人の手代として才覚を認められ、大番頭として数年を過ごしたが、その商人が息子に代替わりする際に、暇を出され、所詮、卑しい出自の人間がこの世で生きるには、悪に身を落とすしかないと確信し、盗賊家業に踏み切ったのであった。
封建の世にもいい所はある。それは、悪事の取り締まりが穴だらけであるところである。小心な善人として生きるなら、封建社会には自由はない。しかし、悪人として生きる覚悟さえ決めたなら、そこには無限の自由があったのである。世の法律は、善人を取り締まるものであり、法律を歯牙にもかけない悪人を取り締まることはできない。その悪人とは、社会の要求に従わない人間の謂いである。
五郎衛門は、身の丈六尺の偉丈夫で、逞しい筋骨と俊敏な運動能力を持っていた。武芸こそ習わなかったが、体の動きが、常人より数倍速かったのである。それが彼の生まれつきの才能の一つであった。のみならず、彼には緻密な思考力と慎重な判断力があった。それが、彼の盗賊としての成功を約束した。
盗賊家業で得た金を元手に、彼は南蛮貿易を始めた。それにも成功し、彼は江戸でも知られた大商人の一人となったが、彼は自分の本業は盗賊だと考えていた。だから、三十歳になる今日まで、妻帯せず、いつでも出奔できるような暮らしをしていたのである。
頃は元和の時代で、徳川家が江戸幕府を立てて、まだ間が無い頃であった。日本全土にまだ豊臣の残党が残り、不穏な気配が感じられる時代である。幕府は一応は鎖国政策を取ってはいたが、まだ方針が確立せず、私貿易の商人のほとんどは大目に見られていた。十把一絡げに南蛮貿易とは言われていても、その実は東南アジアとの貿易が多く、五郎衛門は、ルソン国、つまり、いまのフィリピンとの貿易を主に行っていた。ルソン国の国王とも直に話をし、親密な間柄であった。もっとも、ルソン国の特産品といっても、麻布以外にはたいしたものは無く、南蛮貿易での収入よりは、盗賊家業での収入のほうが遥かに多かったのである。当時の日本は、アジアでは中国に続く文化国家ではあった。
五郎衛門は、巨船に乗って東南アジアの国々へ行くことで、自由な空気を吸っていた。すべてに雁字搦めの当時の日本でほとんど唯一の自由人であった。幕府はあらゆる手段で国内秩序の維持をはかっており、諸国諸大名から庶民にいたるまで、自由にふるまえる空気はまったくなかったのである。権力とは、まず権力の維持に努めるものなのである。
海には海賊がおり、外国の商売相手は隙あらば相手を騙そうとする人間ばかりであったが、こちらがそれを上回る力を持っている限りは、何も問題はない。戦国時代が終わり、秩序が形成された平和な世の中とは、身分が固定され、下の人間が上に行く機会を失った時代である。そうした時代に、下に生まれた人間が、少しでもより良い生活を求めることが悪であるなら、ルソン助佐衛門は悪人であることに甘んじようと思ったのである。