#14 議論の作法
無知な人間が、知識のある人間と議論をすることは可能だろうか。正しいのはこちらだという確信を持ちながら、しかも相手を論破する知識や言葉を持たない場合、議論で勝つことはできるだろうか。実は、これがかつての学生運動の指導者たちが直面した問題だった。彼らがこのことを意識していたかどうかはわからないし、わかっていても認めないとは思うが、彼らはこの問題を無意識にでも感じていたはずである。なぜなら、彼らの多くは、多くの知識人や大人に比べれば、圧倒的に無知だったはずだから。
彼らの出した結論は、相手の言うことは一切聞き入れるな、一方的に自分の言いたいことだけを言え、というものだった。相手が何を言おうと、「ナンセーンス」の一言で葬り去れ、ということだ。なるほど、これなら議論に負けることはありえないし、自分の言いたいことを表明することだけは、少なくともできる。この方法が一般に知られると、我も我もとこの方法を使いだしたことからも、この戦法の有効さはわかる。この戦法を考えた人間は頭がいい。しかし、本質的には馬鹿である。
議論をする目的は、有益な結論を出すことであり、勝ち負けのためではない。学生運動の「ナンセーンス」戦法は、局地戦での勝利のために大局を見失い、一般大衆からあきれられてそっぽを向かれる結果を招いただけであった。要するに、自分の体面だけを考えた、このような愚かな指導者たちのために、学生運動は失敗したのである。
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