#13 学生運動の言葉
今の日本で政治について考える学生は僅かだろうと思うが、学生たちが政治にまったく無関心になっているのは、日本がエネルギーを失い、緩慢に自殺しつつあることを示しているのではないだろうか。といっても、私自身はかつての学生運動には恐怖と嫌悪感しか持っていなかった人間である。若者というものは、大半は実は無知で臆病なものだろうが、少なくとも私はそうだったのだ。学生運動などして政府に睨まれ、一生を棒に振るなんて御免だと思っていたのである。実際には、体制側に見事に転向した人も多いのだが。
今にして思えば、学生運動に加わった人々は、やはりその当時は真剣で誠実で勇気があったのだ。たとえわけもわからず運動に加わっていた物好きや野次馬や、鼻持ちならない気障なロマンチストがその中にいたとしても、それで全体を判断すべきではない。
しかし、彼らの運動は、大衆の支持を得られず消えていった。その第一の理由は、学生運動の持つ暴力性のイメージが嫌われたことであり、もう一つは彼らの言葉が大衆には通じなかったことである。長い間の支配層の洗脳によって、共産主義に対して潜在的な恐怖感を持っている大衆には、難解なマルクス主義用語をちりばめた演説は嫌悪感しか抱かせないということに、なぜ彼らの誰一人として気づかなかったのか、不思議でならない。私は共産主義に与する者ではないが、日本が今のように腐敗したのは、学生運動の失敗によって人々が社会や政治の変革をあきらめたことが原因の一つだと残念に思っている。
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冬山想南
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