1 「酒と薔薇の日々」
Days of wine and roses
The days of wine and roses
Laugh and run away
Like a child at play
Through the meadowland
Toward the clossing dooor
A door marked“Nevermore”
That wasn‘t there before
(酒と薔薇の日々は
笑い声とともに駆け去る。
遊ぶ子供のように。
心地よい草原を抜け
閉ざされたドアに向かう。
そのドアには書かれている。
「二度と無い」と。
前には無かった文字が。)
The lonely night discloses
Just a passing breeze
Filled with memories
Of the golden smile
That introduced me to
The days of wine and roses
And you
(孤独な夜は扉を開く。
通り行くそよ風のように
思い出に満たされ。
その思い出の黄金の微笑みは
私を導く。
酒と薔薇の日々
そしてあなたへと。)
わずか2連だけの歌詞で、実際の歌では、第二連が繰り返される。
映画「酒と薔薇の日々」の主題歌で、映画の内容はアルコール中毒の悲惨を描いたシリアスなものだが、主題歌は甘美で、そのギャップがまた対位法的に面白い。
訳の上では、第二連の「Just a」の訳し方が良くわからないので、「~のように」としてみたが、自信は無い。こういう単純な言葉ほど、意外と訳しにくいものだ。
第一連の「Nevermore」は、おそらくポーの詩、「大鴉」の中の有名なリフレーンだろう。この詩を拾ったポップスサイトに載っていた原詩では「never more」と分かち書きになっていたが、鴉が一息で発声する感じの「Nevermore」に変えた。ポーの詩でもそうだった記憶がある。インターネットの歌詞サイトの歌詞は、正確なものもあるが、聞き書きもあるので、本物の英語の原詩がどうかは分からない。
第一連の駆け去る子供の比喩は、小椋佳が「シクラメンのかほり」の中で「疲れを知らない子供のように、時が二人を追い越していく」というフレーズに変えて使ったことがある。それを聞いた時に、私はすぐに、「あ、『酒と薔薇の日々』の盗作だ」と思ったものである。まあ、ポップスの世界では、詞も曲も何かの再アレンジであることが多いので、それを盗作と思ったのは私の若気の至りだが、それ以来、小椋佳にはあまりいい印象は持っていない。今更ではあるが。
詩としては、この「酒と薔薇の日々」は、ポップスの詩の歴史に残る名詩と言っていいと思う。「二度と無い」と書かれたドアは、H・G・ウェルズの「くぐり戸を抜けて」の異世界につながるドアのイメージだろう。擬人化された「酒と薔薇の日々」が笑い声を上げながら駆け去っていくというイメージも素晴らしい。
草原を抜けて、ドアに出会う。そこには、かつては無かった文字が書かれている。「二度と無い」と。これが、時というものの悲哀である。我々が経験している時間は、すべて二度とは戻らない時間なのだ。