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私の夢が、壬申の乱前後の大和朝廷の話と、第一次世界大戦直前の欧州(ロシア含む)を舞台とした冒険小説であると前に書いたが、前者の難点は人名で、後者の難点はどこまで実際の歴史を生かせられるか、ということだ。つまり、後者の場合、実際の歴史を基にしないと面白みも何も無いので、膨大な勉強が必要になるわけだ。
まあ、一二年で書き上げられるものではないだろう。
前者の場合は、たとえば登場人物の思考内容をすべて現代人と同じにし、会話の用語もすべて現代語で書いても、いや、その方が面白くなる可能性はあると思うし、それなら書けないこともないかな、と思う。ただ、人名をどうするかである。たとえば、安倍公房のようにAとかBとやってもいいのだが、そこまでやると読者には親近感が持てないだろう。

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世の中には単なるオカルトや嘘に見えても合理的な理由がある現象が存在する例。
しかし、その謎が解明されたのも、専門家の知識があってのことである。

(以下引用)


サイエンス

バニラのアイスを買ったときだけ車のエンジンがかからなくなる不思議な現象、その原因は?


「目に見えて明らかなことが常に解決策であるとは限らず、どれだけ不思議に見えても事実は事実に過ぎない」ということに気づかされたとして、ウォータールー大学でコンピューターサイエンスを研究するスティーブン・マン教授が不思議なエピソードを紹介しています。
H
Car allergic to vanilla ice cream
http://www.cgl.uwaterloo.ca/smann/IceCream/humor.html


ある日、自動車メーカー・ゼネラルモーターズ(GM)のポンティアック開発部に以下のような内容の苦情が寄せられました。

「私がGMに苦情を書いたのはこれで2回目です。私にもおかしな話に思えるので、返事がなくても責めるつもりはありません。私たちの家族はいつも夕食後のデザートにアイスクリームを食べています。毎晩、食事後に家族全員がどの種類のアイスクリームを食べるべきかを投票し、私が車に乗って店まで買いに行きます。しかし最近、新しいポンティアックを購入してから問題が起こっています。バニラアイスを買った時だけ、店の駐車場に戻ってキーを回しても車が動かないのです。他の味だと車は問題なく動きます。ポンティアックがバニラアイスを買った時だけ動かないというのはどういうことですか?」

by Taubin

ポンティアックの開発部はその手紙の内容に懐疑的でしたが、チェックするために苦情を送った男性のもとへエンジニアを派遣しました。エンジニアは男性と共に、実際にアイスクリーム屋に向かい、バニラアイスを購入。そして、駐車場に戻り車のキーを回すと、本当に車が始動しなかったとのこと。

エンジニアは男性宅に連泊し、原因究明に努めました。チョコレート味、さらにイチゴ味のアイスクリームを買った時も車は問題なく始動しましたが、バニラ味を買った時だけはなぜか車の始動に失敗したとのこと。


もちろんGMのエンジニアは、車がバニラアイスにアレルギーがあるとは思っていませんでした。エンジニアはアイスクリームを買いに行く時間、ガソリンの種類、運転する時刻などさまざまなデータをメモに取り、調査を行いました。その結果、バニラアイスを購入するときだけ、車を止めてから戻ってくるまでの時間が他の味を買った時に比べて短かったことが判明。

実は、男性が通っていたアイスクリーム屋では、アイスクリームは店の裏にあるケースに保管されていましたが、最も人気のフレーバーだったバニラアイスだけは店頭のケースに入っていたとのこと。そのため、バニラアイスは他の味よりもずっと早く客に提供されていました。


エンジニアが突き止めたエンジン始動失敗の原因は「ヴェイパーロック現象」でした。ヴェイパーロック現象は液体が加熱されて生じた泡によって液体の流れが悪くなってしまう現象。揮発性の高いガソリンの中に気泡が発生してしまうことでヴェイパーロック現象が発生し、エンジンが動かなくなってしまうことがあります。

そして、アイスを提供する時間に差が生まれたことが、このヴェイパーロック現象に差を生んでいたことがわかりました。チョコレート味やイチゴ味の場合は提供までに時間がかかるため、その間にガソリンが冷却されていたのですが、バニラアイスは十分にガソリンが冷却される前に提供されたため、ヴェイパーロック現象が起こってしまっていたというわけです。

マン教授はこのエピソードの教訓として「常識とはかけ離れているように見える問題であっても、時には真実を映し出していることがあります」と述べています。

単なるメモである。上野千鶴子の発言は確か山本貴嗣のツィッターで読んだと思う。そのツィートが無いと意味をなさない文章だが、メモにすぎない。(下の文章は私自身のものだが、別ブログに書いて容量オーバーしたので引用ツィート部分を除去して載せておく。)


私は上野千鶴子はあまり好きではないし、彼女のこの発言(九月入学推進論)には肯定でも否定でもないが、論議(私自身の考察)のテーマとして転載した。
しかし、高等教育を「産業」としているのには驚いた。(私の誤読か?)
確かに高校も大学も産業、つまり利益獲得企業なのだろうが、大学側がこれほど堂々とそれを言ったのは珍しいのではないか。
一応、読解問題として下の文章の問題個所を分析してみる。

「高等教育はglobal産業、つまり研究者と学生が自由に移動できる条件が不可欠だから。」

これは「高等教育はglobal産業(なので)、つまり研究者と学生が自由に移動できる条件が不可欠だから。」
もしくは「高等教育(に)はglobal産業(つまり研究者と学生が自由に移動できる条件)が不可欠だから。
のどちらかと読めるが、後者はいわゆる産学連携の意味になるかと思うが、高校や大学に進む人間がみなグローバル産業に就職することを望んではいないだろう。
とすると、やはり「高等教育はグローバル産業だ」という意味に取るしかない。
まあ、教育も産業だ、というのは資本主義社会では当然だ、としても、高等教育はグローバルなものでなければならない、というのは暴論だろう。古典研究や日本史学などは高等教育ではない、ということになる。
「九月入学」の問題はまた改めて考えたい。
某ツィートだが、訳者が「明日は明日の風が吹く」の名訳を知りながら、あえて直訳にしたとなぜ思わないのだろうか。「明日は別の日」とは、まさに今日の不幸を乗り越え、明日を見つめる意思を示すものであり、「明日は明日の風が吹く」に少し感じられる虚無感を排除したものだとも言える。(ただし、「明日は明日の風が吹く」と訳した人は、書名の「風とともに去りぬ」を意識して、風という言葉を入れた訳にしたのだろう。)


(以下引用)


明らかに「明日は別の日になる」って、"Tomorrow is another day"ですよね。 訳した人、『風と共に去りぬ』の「明日は明日の風が吹く」を知らなかったのか… マドンナ、抗体検査で陽性「明日は別の日になる」
私のこのブログは思いつきをメモするだけの倉庫なのだが、中には一部、過去の自作小説や翻訳などもあり、まあ、頭脳の記憶装置の代用品だ。
何しろ、私は考えたことを覚えておく能力が希薄なので、SNS上に記録しておくのが都合がいいのである。紙の日記だと、書いたことさえ忘れて、読み返すこともないが、ブログだと検索が簡単なので、読み返して再発見することも多い。だから、自分以外の読み手はほとんど想定していない。
私がこのブログで創作メモを残していても、それを実際に創作することは、まず無さそうである。だから、誰でもそのメモを利用していい。SNSとはそのように、最初から著作権とは無縁のものだろう。
で、私は自分の寿命を後五年程度と想定している(もちろん、五年どころかこれを書いた数秒後に死ぬ可能性もある。)が、その残り時間で何をしたいか、というのを考えておこうと思ったが、先ほど飲んだ酒の酔いがあるので、素面の時に考えたい。
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