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「ギャラリー酔いどれ」から転載。
古川利明というのは、気持ち悪い文体の文章を書くが、下の記事は、あまり知られていない創価学会の根本事項についての知識が語られていて有益だ。まあ、どこまで信じていい内容かは分からないが、他の人が語らないことを語っているだけでも可とすべきだろう。



(以下引用)





日蓮宗はもともと特異な宗教、その中でも日蓮正宗は格別w

「法主」は「生き仏」なんだそうで、

◆http://toshiaki.exblog.jp/
古川利明の同時代ウォッチング
◎2017年 02月 28日


#ほいで、最近、信濃町最中枢の事情に精通するX氏と会うて、
いろいろと教えを請うたというか、アレコレと喋り合うてきた。

アソコは今、表面的には今夏のトギセンでおおわらわなんだが、
それもさることながら、去年11月の会則いじくり回しで、

突如、出てきたあの「創価学会仏」をはじめとして、
教義モンダイっていうより、ま、「本尊モンダイ」だわな。

コイツは、ホンマ、信濃町の最大のアキレス腱でもあり、キモや。

諸々の「震源地」は、そこなんで、そのへんも含め、以下、
取材メモ風に「Q&A」のスタイルで記す。

わかりやすくなるように、解説めいた説明も、編集っていうか、
敢えて喋りの中で入れてある。

 Q あの「創価学会仏」ですが、アレはいったい、どう見たらいいんですかね。
   それが一番聞きたかった。

 A 本題に入る前に、あの「創価学会仏」というのは、
   「池田大作が『戸田(城聖)先生』から聞いた話」ということになっていて、
   文献とか、講演集で、戸田がその「創価学会仏」ということに
   言及したものは、そもそもないし、私も中にいて、そんなことは1度も
   聞いたことがない。これは、例の「三代会長」に繋がっている話だが、
   創価学会という組織の中では、
   「初代会長・牧口常三郎、第2代会長・戸田城聖」については、
   「池田しか語ってはいけない」という不文律がある。
   それはどういうことか言うと、例えば、戸田門下生には、池田以外にも、
   龍年光とか、竹入義勝とか、大勢いたが、
   しかし、池田が第3代会長となって権力を握ると、
   「戸田先生に関わる話は、池田会長しかしてはならない」というふうになった。
   龍さんとか、戸田城聖にまつわるエピソードをたくさん知ってるというか、
   むしろ、池田以上に知っているが、しかし、「それ」を龍さんが
   学会の中で喋ってはならなかった。
   「戸田先生のエピソードを喋れるのは、池田先生だけ」。
   だから、「創価学会仏」の話も、まさに、そこに繋がっている。
   前会長の秋谷栄之助を学会組織が、今も抱え込んでいるのは、
   彼も「戸田門下生」だから。
   池田以外の人間の口から、戸田城聖について、余計なことを喋られると、困る。
   「創価学会仏」が出てきたとき、聖教新聞で現・会長の原田稔が
   アレコレと喋っていたが、彼は「池田からの信頼の証」である
   第一庶務室長を経験している。
   元々、池田というのは、基本的に人を全く信用していない。
   それで、第一庶務や婦人部のお手付けを通して、つまり、
   「オンナの告げ口」で、「ダンナの正体をウラ側から見る」
   というふうに興信をかけているが、でも、そういう中で、
   原田はカッコ付きながらも、「池田からの信頼」を勝ち取っていた。

 Q 何だか、江戸幕府は徳川将軍家の、大奥の世界そのものですね(笑)

 A その通り。第一庶務は「神の代理人」として、
   如是我聞(※元々は、経文の冒頭に置かれる「かくのごとく、我聞けり」の意だが、
   そこから転じて、学会内部では、日常的に、池田が矢継ぎ早に出す指示や言葉を
   書きとめる作業を指す)をやらされるのだが、
   池田は元気なときから、「自分の死後に、学会組織をどうするか」ということは、
   既に考えている。当然、原田はそのことを聞かされる立場にあったわけで、
   そうした中で「創価学会仏」ということも、池田は言っていたのかもしれない。
   要するに、「創価学会仏」とは、「学会員ひとりひとりが仏である」
   ということだが、そこから、「学会員も仏なのだから、当然、
   池田先生も仏である
」というふうに持っていける。

 Q まさに、「池田本仏論」ですね。

 A だから、そこから先にあるのが、「池田が本尊を書く」ということだと思う。
   あの池田の、ヒゲのような跳ねた字体は、本尊の書体とそっくりだ。
   練習はしている。既に、池田は本尊を書き上げている可能性はある。

 Q やはり、「そこ」に行きますか。
   ただ、あの広宣流布大誓堂に安置してある、まあ、「準・大御本尊」
   といっていいでしょうが、あの日蓮正宗64世法主・日昇の筆による
   板曼荼羅も、要は、52年路線(=第1次宗創戦争)で
   池田が「会長辞任」へと追い込まれた、例の「本尊模刻」のところまで
   行っただけの話ですからね。
   しかし、池田は元気なときでも、本当は「自分の手で本尊を書く」
   ということをしたかったが、でも、それをやると、
   会員に動揺が走り、脱会者が続出して、「衆参で比例計700万票」
   という生命線が断ち切られ、「公明党の議席減」という
   自らの権力基盤の低下をきたすということを、
   池田はちゃんと、わかっていたから、「それ」には手をつけなかった。
   では、いったい、なぜ、「今」なのですか?(続く)


#で、その創価ガッカイの「教義モンダイ」っていうか、
「本尊モンダイ」ってのは、信仰のない部外者にとっては、
じつにわかりにくいっていうか、正直、ワシなんぞには「わからん」
っていうのが本当のところで、
まさに、「鰯のアタマも信心から」の世界なんだよな。

それで言うと、一般の人は、創価ガッカイのことを
「イケダモン大先生を教祖とする新興宗教」だと思い込んでおる人は、
多いと思う。
「オウム真理教の麻原彰晃や、幸福の科学の大川隆法と、イケダモン大先生は、
いったい、どう違うんですか?」とシツモンされたら、
じつは、ワシは答えに詰まってしまうんだな。

というのは、外形的な事実から言うと、創価ガッカイとは、
そのへんのチンケな新興宗教団体などではない。

今は、破門されて、関係が解消されてしまっているが、創価ガッカイってのは、
元々、750余年の歴史を持つ「日蓮正宗」
(総本山・大石寺<静岡県富士宮市>)という、
日蓮系の伝統仏教の一派の信徒団体だったんだな。

日蓮系の宗派ってのは、伝統仏教ん中でも、チョット異質なんだが、
その中でも、日蓮正宗ってのは、独特の教義を持ってて、
ココは、鎌倉時代の日蓮を
と立てる日蓮本仏論」ってのに拠っておるんだな。


他の伝統仏教が、いろんな経典も講読し、研鑽を重ねているのとは対照的に、
日蓮正宗は御書といって、日蓮の著作や手紙などをひとまとめにした書物を
経典にしておるんだよな。

創価ガッカイも、元々は日蓮正宗の信徒団体だったんで、今なお、
この『御書』の講読ってのは、日常活動の基本で、

元々、牧口常三郎や戸田城聖、ほいで、池田大作といった「会長」ってのは、
そういうという信徒団体のトップでしかなかったんだよな。

無論、そういった信徒団体のトップが、『御書』講読の研鑽を重ねて、
「日蓮大聖人の教え」を広めていくこと自体は、何のモンダイはない。
なぜなら、それこそが本来の「広宣流布」だからだ。

ところが、ややこしいのは、ココが戦後、第2代会長・戸田城聖の時代に
「政治進出」に乗り出し、んで、第3代会ちょーのイケダモン大先生の代になって、
本格的に「天下取り」、すなわち、
国家ケンリョク中枢への浸透をおっ始めたことで、
諸々、ややこしくなるんだよな(笑)

本来であれば、91年11月に創価ガッカイが宗門から破門された時点で、
日蓮正宗とは全く別に、その商標登録しておる「日蓮世界宗・創価ガッカイ」
でも何でもネーミングはエエんで、

新たな日蓮系宗派として、御山とは別に新教団として立ち上げれば、
何のモンダイはなかったんだ。

しかし、ココの歴史を見ればわかるように、イケダモン大先生は、
あくまで「信徒団体のトップ」に過ぎず、元々ヤルことと言えば、
学会員から御布施をかき集めて、御山に寄進することだったんだからな。

それで言えば、イケダモン大先生ってのは、立ち位置としては、
あくまで
指導者に過ぎず、「である日蓮大聖人の教えを広めていく、
センセイでしかねえんだ
よな。

それゆえ、イケダモン大先生は、モロ、「俗」の世界に住む1人の信者
でしかないんだから、

そんな煩悩の極みたる信者が、
信仰の対象となる
生き仏」となって、「本尊を書く
ってのは、

学会員にとっては、違和感チョー有りマクリンスキーで、
「ぬあんで、池田センセイが御本尊を書かなければならないの? 
そんな恐ろしいこと2度と言わないでくだい」と言う人が、ゾロゾロと出てくる。

そのへんの機微は部外者にはなかなかわからないし、
彼らの大きなレゾン・デートルとして、
「我々は、あんな幸福の科学みたいな、どチンケな新興宗教ではない」
っていうプライドは物凄いものがある。

既に日蓮大聖人という「本仏」が存在している以上、
「そこ」との関係をどうするかってのは、じつは、難題中の難問なんだよな。

それゆえ、創価ガッカイは、宗門から破門され、
学会員らが各自の家庭の仏壇に安置して手を合わせる紙幅の本尊下付が
停止されしもうたんだが、そこで、彼らがやったことは、

栃木県小山市の浄円寺に保管してあったっていう、
江戸時代中期の日蓮正宗第26世法主・日寛の筆による本尊の写しを
「新たな本尊」として、会員に下付を始めたんだよな
(もともと、本尊書写権は、日蓮正宗総本山・大石寺の住職である「法主」にあり、
そのときに在職している法主がしたためた本尊の写しを、創価学会員にも下付していた)。

だから、この本尊1つ取っても、じつは、今なお、日蓮正宗との絆は
全然切れていないどころが、がっちりと繋がったままワケなんだな。




「宗祖」を「本佛」にしておる宗派は?

真宗の「本尊」は阿彌陀如来、禅宗は釋迦如来、真言宗は大日如来・・・

宗祖が「本佛」ではないわなぁw


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