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日本の古代を舞台に小説や脚本を書こうという場合に一番の障害が人名である。名前が長い上に、難しい漢字が使われており、いちいち漢字検索しながら書くのも面倒である。
まあ、プロならエディターとか何とかいうソフトでも使い、難しい名前などは事前登録して一発変換できるようにするのだろうが、ワードだとなかなか簡単にはいかない。というより、私自身がワードの使い方を良く知らない。
古代人の名前の面倒くささは、読む人にとっても障害だろう。いちいち振り仮名をつけないと、何度も何度も「これ、どう読んだっけ」ということになる。
天皇名も、我々が知っている天智とか天武というのは、あれは諡号であり、生前にそう呼ばれていたわけではない。また、本名も恐らく「忌み言葉」として、呼ぶのを避けていたと思う。
とりあえず、「剣と鏡」の製作方針としては、人名は実在人物とは違う名前でありながら、誰に相当するかは推定できるようにしたいと思っている。


たとえば、


中大兄皇子=中皇子
大海人皇子=海士皇子

などである。これは名前を簡略にする意図と、「皇室タブー」を避ける意図がある。まあ、天皇に関するネタを書いた時点で皇室タブーに触れることになるのは仕方がないが、今の右翼は皇室よりも安部のほうが大事なようだから、昔のように右翼に命を狙われることもないだろう。

稿を変えて、全体の大筋を考えてみたい。まあ、最初の大構想とそれほど違いはないが、資料なども読んで、細部が少し形になってきたような気もするから、ラフスケッチ的な筋を書いておくわけだ。もちろん、カットしたり増やしたり順序を変えたり、後でいろいろ変更はするはずだ。

いきなり、聖徳太子の時代から始めるか、大化の改新の前後から始めるか、というのが構想上の大問題で、聖徳太子の話は大化の改新の話の中に組み込むのがいいか、とも思っている。つまり、大きなボリュームを聖徳太子の話に使う必要は無い気がする。ただし、蘇我氏の専横というのが大化の改新の大きな原因であり、「天皇(皇室)親政」というのが皇室の念願だったということを描く上で、蘇我氏の傀儡としての聖徳太子の話と山背大兄王の死の話は必要かと思う。

言葉遣いの点では、完全に現代語を使う予定である。英語(カタカナ語)すら入れるかもしれない。古代の衣服を着ていても、古代人の中味(特に政治意識)はほとんど現代人と変わらない、というのがこの作品の潜在的テーマなのである。

できれば、シェークスピアの史劇のような「血と嵐の匂い」を感じさせるものにしたい、というのが望みだが、もちろん自分にそんな能力など無いのは分かっている。ただ、どんなにチャチでも、その先鞭をつけたい、というだけだ。


今思い付いたが、「戯曲的部分」「小説的部分」「随想的部分」「論文的部分」を全部入れて書くのはどうか。これはフィールディングの「トム・ジョーンズ」などにもある書き方で、読者が長い話に退屈しないで済む利点がある。それに、ここまでメモしてきた私の感想などもかなり材料に使えるだろう。もともと私は小説(フィクション類)を読むのも書くのも苦手で、漠然とあれこれ考察するのが好きなだけだから、私の体質にも合っているかもしれない。


とすると、史実とはまったく無関係な現代人2人を登場させ、大化の改新や壬申の乱の真相などについての無責任な論評(居酒屋論議)を合間合間に挟み込む、という手法もいいかもしれない。「大海人皇子=忍者」論などという話も居酒屋話には向いていそうである。つまり、現代人のひとりのモデルは井沢元彦、としてもいい。
実は、私がこの「剣と鏡」脚本メモの中で書いてきた感想は、素人が古代史を「楽しむ」という上では、わりといい内容なのではないか、と自負している。素人が疑問に思うことをそのまま書き、あるいは少しネットで調べたものをコピーしただけだが、学校で習う「死んだ古代史」が、少しは生き返ったのではないか。コピー部分は別として、感想部分(あるいは疑問を提示した部分)は、青少年の読み物として悪くないと思っている。












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