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小林恵子(やすこ)氏が古代史に関して、次のように言っているが、まさにその通りだと思う。と言うより、これは私も前々から思っていたことだ。

「現代人である我々が、とかく誤解しやすいのは、国という文字を目にした時だ。どうしても、現代のパスポートを必要とする国際観念で国を見てしまうのである。この時代の国(引用者注:三韓時代の朝鮮のこと)は日本の戦国時代の大名小名の領地に近いという観念を持った方がよいと思う。」

たとえば、「三国志・魏書東夷伝」には「弁・辰韓合わせて二十四国、大国四五千家、小国六七百家、総てで四五万」とある。戸数が四五千で大国なのだから、人口だけで言えば、大名小名の領地どころか、現代の小さな市くらいのものだ。国とは、要するに、「領主の勢力範囲」くらいのもので、その境界もいい加減なものだったと思う。

同氏の「二つの顔の大王」(前記引用文も同書から)に、

「突厥は一時期、西はササン朝に接し、東は高句麗に隣接する北東アジアをほとんどおおう勢力を有したが」云々とあるが、では、突厥は巨大領土を有していたと言えるかと言えば、おそらく、その土地を支配する官僚機構を持っていなかったと思う。それを国と言っていいのか、それとも単に「山賊の勢力範囲」と言うべきか、議論が必要だろう。そこがたとえば元帝国とローマ帝国の違いだと思う。ローマは明確に支配地を統治する政治システムを持っていたが、元帝国はどうだったか。山賊は、戦争には強いから勢力範囲を拡大することはできるが、統治のシステムを持っていない、というのが私の考えだ。だから、ヨーロッパをしばしば脅かした遊牧民集団が、あちこちを荒らし回った後、すぐに消えてしまうのである。

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