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最近、ドストエフスキーの小説を読み直しているが、その「語り方」に共通した特徴があるようだ。それは、「神の視点」、つまり作者自身が神であるかのように作品世界全体を「客観的に」描くのではなく、作中の誰か(脇役ですらないが、出来事の全体を熟知する人間)が語る形式で語る手法である。これは、その「語り手」がなぜ事件の詳細を知っているのかという疑問を読者に抱かせる危険性はあるが、単なる一人称(主人公自身が語り手)手法に比べて、より客観性が生じる利点がある。また、作中の異常なキャラの異常性が迫真的になる。だが、「語り手」が存在するはずの無い場面までリアルに描くと、完全に「嘘くさくなる」はずなので、そこが筆力の問題になるわけだ。少なくとも、作者の思想を「地の文」で表明するのと、作中人物の発言として描くのでは、読者は後者のほうにより「聞く気になる」と思われる。それは、その人物が本気か嘘かが不明なだけ、読者の判断力が問われ、真剣に読むからだろう。
なお、ドストエフスキーの長編では、たいてい「誰が語っているのか」ということはかなり曖昧にされるのが常である。とにかく「事件の目撃者」あるいは「事件の事情を詳しく知る人物」であることしか読者には分からないのである。仮にこの手法を現代で使ったら、評論家には「作劇上の欠点」としか見做されないだろう。現代の我々は「一人称」でなければ「三人称」(非常に稀に「二人称」)という作劇法に頭が固定されているからだ。
なお、各章の終わりが「その場面への誰かの乱入」という形になっていることが多い。これは週刊漫画などでの「次回への『引き』」の手法であり、ドストエフスキーの作品の「刺激の強さ」「迫力」「ドラマ性」の一因になっている。
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名前を知らない某漫画家のツィートだが、漫画に限らず、あらゆる創作における人知れぬ真実であるwww まあ、昔から言う「下手の考え休むに似たり」で、できないできないと悩むより、手を動かせ、ということだろう。思考は前の思考に刺激されて生じるから、書いた(描いた)部分がヒントになって次の部分次の部分へと連鎖されるのではないか。手塚治虫の膨大な作品群も、その方式で描かれたものが多い気がする。で、途中で気に入らなくなっても、とにかく完成させることだ。不満は「次の作品」で生かせばいい。
まあ、完璧主義はアマチュア創作者が陥りやすい陥穽だろう。


(以下引用)

これはあんまり認知されてない漫画制作における真実なんですけど、漫画って描いてると出来るんですよ。
initiateには「秘密を教える」意味があるようだ。だがinitiativeと聞くとほとんどの人は(私も含めて)「主導権」としか思わないだろう。

ついでに書いておくが、mandateはわりと日常で使われる語句で、「(行政)命令」。vaccine mandateは「ワクチン接種命令」


清水泰雅
@steco_shimizu
スタンフォード大学の教授陣(177人)が米国政府の "中国イニシアチブ"の廃止を要求 中国イニシアチブ:米国の学術界における中国のスパイを探
山本弘のブログから転載。
奇抜な性格のキャラは主人公ではなく、第三者(語り手)に語らせたほうがいい、というのは実作者ならではの発言だろう。
ホームズ・ワトソン方式である。しかし、「涼宮ハルヒ」がホームズ物と同じ語りであるのは気づかなかった。なお、ホームズが自分で語り手になった作品があったが、ホームズ物の中でも出来が悪かった記憶がある。

(以下引用)

ライトノベルをめぐる仮説いろいろ

 

 最近、togetterで取り上げられた話題を中心に。

●最近の男性向けラノベに女性主人公が少ない理由

http://togetter.com/li/728375

 コメント欄ではこんな意見がある。

>男性と女性はなんだかんだいって思考回路が大きく異る。ので文章で全部想像しないといけないラノベでは女性心理を完全にシュミレート出来る能力が必要になる

 いや、その仮説だと、過去に『スレイヤーズ!』『ARIEL』『ヤマモト・ヨーコ』などなど、男性作者が書いた女性が主人公の作品がヒットした理由が説明つかないよね?

 あと、女性でないと女性の心理が描けないというのであれば、同じ理屈で、「宇宙飛行した経験がないと宇宙飛行士の心理は描けない」とか「人を殺した経験がないと殺人者の心理は描けない」とか「美少女にモテまくった経験がないとハーレムものの主人公の心理は描けない」ということになってしまうんだけど、誰もそんなことは言わないはずだ。

 無論、ここ数年のライトノベルに限って言えば、「非常識なヒロインに振り回される男性の語り手」というパターンが多いのは確かだ。その理由? 単純だよ。

涼宮ハルヒの憂鬱』が大ヒットしたから。

 あれがスタンダードになって、後続の作家が影響を受け、同じようなパターンの作品を書くことが多くなった。さらにそれがジャンルの中の多くを占めるようになり、「ライトノベルとはこういうもの」という誤った固定観念が一部に生まれてしまった。

 まあ、僕も『プロジェクトぴあの』でやったけど、突拍子もない言動をするヒロインを描くのに、ストレートに描写するより、別に語り手を配置して、その視点からワンクッション置いて語る方が、何かと描きやすいのは確かだ。 ヒロインの内面をあえて描かないことで、「こいつ、何考えてんだ?」という驚きを表現できるのである。

 でも、それはあくまで執筆上の手法のひとつにすぎないんであって、普遍的な法則でも、遵守すべき規則でも、ヒットするための条件でもない。

 僕も『ギャラクシー・トリッパー美葉』とか『神は沈黙せず』とか『アイの物語』に収録された作品群とか、女性主人公の一人称の作品を何本も描いている。それが不自然なことだとは思わない。

 だからライトノベル作家が普通に女の子を主人公にしたり、女の子の視点から物語を語りたければ、そうすればいいだけのことだ。自分の頭の中に勝手に規則を作って縛られる必要なんかない。

●【チート?】俺TUEEEじゃない異世界モノ作品【ラノベ

http://togetter.com/li/727172

>異世界ラノベというと、とかくチート能力とか俺TUEEEとかが目に付きますが、そういう主人公でない作品って無いかな?から始まりました。

>平凡で普通な主人公がちゃんと頑張る話ってないかなあ。

サーラの冒険』は?(笑)

 そもそも僕が何で『サーラ』を書いたかというと、当時の異世界ファンタジーというと、主人公がすごい力を持ってたり、王族の血を引いてたり、世界の命運を背負ってたり、巨大な悪と戦ってたりといった話が多くて、それに反発を覚えたからなんだよね。

 特殊能力を持っていなくても、剣が強くなくても、高貴な血でなくてもいい。悪の大魔王と戦ってなくてもいい。ごく普通の少年が精いっぱいがんばって、ちょっとした冒険をする。そんな話があってもいいんじゃないか……と思ったんである。

 で、当たったよ。つーか、僕の小説で、発行部数で『サーラ』を超えるものが未だにないんだよ(笑)。

 誤解を招かないように言っておくけど、僕は「チート能力とか俺TUEEEとか」系の話を否定しない。作者がそういう話を書きたいなら、いくらでも書けばいい。

 要はそれが面白いか面白くないかだ。

 面白いか面白くないかは、当たるか当たらないかは、ジャンルや話のパターンで決まるわけじゃない。個々の作品の出来不出来による。おそらく「俺TUEEE」系の話でも、つまらない話はいっぱいあると思う。 『サーラ』みたいな話でも、下手な作家が書いたら退屈な作品になっていたはずだ。

ラノベ新人賞で「まるでシリーズ第一巻の様な投稿作品」が過半数を占めているという悩み

http://togetter.com/li/716859

 これも前の話と同じで、既成のライトノベルをいろいろ読んだ結果、「ライトノベルというのはこういうもの」という固定観念にとらわれてるんだろうな。

 シリーズものを書きたいと思う気持ちは分かる。でも、そのためには、まず新人賞を受賞してデビューしなくてはならず、そのためには応募作はきちんと完結していなくてはならない……という基本的なことが理解できてないというのは、やっぱりダメだと思う。

 ダメなのは、「ライトノベルとはこういうものだから、こう書かなくてはいけないんだ」とか「今はこういうパターンの話が受けてるんだから、こういう話を書こう」という考え方だ。

 自分が本気でその話を面白いと思って書くのと、「他の人がこう書いてるから」とか「こう書けば受けるだろう」とかいう考えで書くのは、似てるようでぜんぜん違う。

 分かりやすく言うと、『スター・ウォーズ』が大ヒットしてるからと言って、『惑星大戦争』や『宇宙の七人』や『スタークラッシュ』を作っても当たるとは限らないよ、ということ(笑)。

 いや、個人的には好きなんだけどね、『スタークラッシュ』。あれは映画としてはダメダメだけど、監督が自分の好きなものを自由に作ってるのが分かるから。結果的に当たらなかったけど、好感は持てる。

結論:

 枠にとらわれるな。当たるかどうかなんて気にするな。

 何が当たるかなんて、どうせ誰にも分からない。作家にできるのは、当たる確率を上げるために、少しでもいい作品を書くこと、それしかない。

 どんな作品でもいい。とにかく自分の好きなもの、自分が面白いと思うものを全力で書け。

「阿修羅」に載った「マスコミに載らない海外記事」の文章を評したものだが、成る程、と思う。
私自身は「マスコミに載らない海外記事」を高く評価する者だが、ただその文章がひどく読みにくいことは前々から感じてはいた。しかしそれは、原文をなるべく正確に訳そうという、日本語記事筆者の誠実さだと思っていたが、下の意見ももっともである。
そして、英語本文の「くどさ」を英米エリート特有のものと見た点も鋭いと思う。小説などではそれほどくどくないのに、評論文だとなぜそうなるのかと言えば、それは評論文を読む対象が一般庶民ではなく知的エリートだからだろう。つまり「肩ひじ張った」文章になるわけだ。正確さを重んじるあまり、くどくてつまらない文章になる。
引用のふたつめに、最初の引用が評している日本語訳文の一部を載せる。特に読みにくいというより、「正確さ」や「根拠がある」ことを誇示したような文章だ。

英語を逐語訳するのは馬鹿だ、という意見も一理ある。英語には限らない。
森鴎外は名訳で知られているが、彼は(主にドイツ語だが)原作を読んだあと、「自分が作者なら日本語ではこう書くだろう」という方針で訳したらしい。だから、しばしば「誤訳だ」と評論家から攻撃されたが少しも意に介さなかったという。

(引用1)

3. 2021年9月06日 20:21:46 : O4pUfLwvsA T1BlbkkwdDkuVEk=[1434]  報告
 この記事は、要するにコロナワクチンはオカシイ、という意見を表明している。

しかし、日本語が変なので一読しただけでは意味が取れない、あるいは
非常に冗長で結果として意味が取りにくい、という文章になっている。

機械が訳しているのか。

人間が訳しているのだとすると原文の貴重な内容が訳のために意味不明
となる可能性がある。
(本気で言っているのだ)

このサイトのこの系列は日本文をどうにかしなければ衆人の目にふれる
ことが出来ない。
一読意味が取れない文章など即座に無視されるからだ。

 率直に言ってこのサイトの内容は日本のネットでも言われている内容
と変わりない。
回りくどいだけ嫌味である。
どうせ訳すのなら「許すのを拒否した」ではなく「許さなかった」と訳す
べきである。
英米語を日本語にする場合は非常に簡略にしても意味が通じる。米英語を
「逐語訳」するのは、はっきり言って馬鹿である。

ま、英米エリートはこういう文章を書いて稼ぐのだナと思うだけだ。日本で反応が少ないのも当然でしょ。

(引用2)

FDA・ファイザーの利益相反

 2019年、ファイザーは、取締役会で非常に矛盾する任命をした。三カ月前にFDA長官を辞職したばかりのスコット・ゴットリーブを採用したのだ。もしこれが莫大な利益相反に見えるなら、そうなのだ。ファイザー取締役会で、ゴットリーブと同席するのは、2020年まで、ビル & メリンダ・ゲイツ財団をCEOとして率いていたスーザン・デズモンド-ヘルマン博士だ。ゲイツ財団はcovidワクチン・ラッシュの、あらゆる鍵となる部分の背後にいて、おまけにファイザー株を所有しているのだ。

 ファイザーとゲイツを結びつけるもう一人が、ゲイツの故郷シアトルの生物統計専門家フレッド・ハフがん研究センターのホーリー・ジェーンズ教授だ。ジェーンズは2023年まで、FDAワクチン委員会メンバーでもある。注目すべきことに、彼女はフォーチのアメリカ国立アレルギー・感染症研究所NIAIDのため、ゲイツ財団に資金供給されているシアトル・センターで、ファイザーとモデルナ両社のmRNAワクチンのために、物議をかもしている試験も共同設計したのだ。

 ジェーンズは、フレッド・ハッチとして知られているフレッド・ハッチンソン癌研究センターのワクチンと伝染病部門の教授だ。以前、彼女は「前臨床のワクチン効果試験に対する統計研究の設計支援」を開発するため、2006年から2012年までゲイツ財団で働き、6年間ゲイツ財団研究資金を受け取っていた。ジェーン教授は、ジョン・ホプキンス大学でも、ワクチン・データ追跡プログラム開発を支援した。

 FDA「長官代行」をつとめているのは、ジャネット・ウッドコックだ。彼女を腐敗していると呼ぶのは甘いだろう。彼女はNIAIDでは、ほぼフォーチと同じぐらい長く、1986年からFDAにいる。ウッドコックをFDAの長官にするのはバイデンの選択だったが、州検事総長たちを含め、28の市民団体の大規模な反対が、議会の綿密な調査を必要としない「代行」の肩書きをつけるよう彼に強いたのだ。

 ウッドコックは自身の科学者や他の顧問の反対を押し切って、命取りのオピオイドをFDAが認可したことに対し、直接責任がある。20年前、FDAの該当部門の長として、FDA自身の科学諮問委員会が11対2で、安全ではないから、この薬を市場から引き上げるよう投票したのに、ウッドコックは強力なオピオイド、ゾヒドロの承認で活躍し、責任があるのだ。オンラインDrugs.comには、こう書いてある。「ヒドロコドン(ゾヒドロ)は、あなたの呼吸を抑制したり止めたりしかねません。決して規定より多量や、処方より長期間ゾヒドロ ERを使ってはいけません。致死量になる可能性がある薬量を避けるため、そのまままる飲みしてください。ヒドロコドンは定期投薬でさえ依存性となる可能性があります。」ウッドコックは今は倒産している製造業者パーデュー製薬の不当な要求に基づき「他の鎮痛剤より安全で、より効果的だ」として、強力な麻酔錠剤薬オキシコンチン販売を承認した。以来約500,000人のアメリカ人が、オピオイド中毒の結果、亡くなっている。

 ウッドコックは明らかに、8月23日の関連データを再検討する公聴会が行われないことを確実にする二枚舌のファイザー決定の背後にいた重要なFDAの人物だ。彼女の元上司で今ファイザー取締役のスコット・ゴットリーブと、どんな議論かやり取りがあったのかを知ることは重要だろう。

なぜだろう?

 FDAとファイザー汚職の倒錯した物語には、答えられていない多くの疑問がある。バイデン政権が急きょ推進した、この芝居は、よく分からなかったり懐疑的だったりする何百万人ものアメリカ人に緊急あるいは実験的な強制ワクチン接種を推進するためのものだったのだろうか? なぜ全てのアメリカの男性、女性と今や子供にワクチン注射をさせる、このような主流メディアと政治家の信じ難い圧力があるのだろう? ファイザー接種後、副反応で、それほど多くの悲惨な症例があるのなら、ワクチンは本当に安全なのだろうか? FDAは、なぜ独立したワクチン委員会が一枚加わるのを許すのを拒否したのだろう?

 8月14日時点で、ファイザーは自社従業員にワクチンを義務づけていないのは指摘する価値がある。バイデン・ホワイトハウスも、スタッフにワクチンを義務づけていない。これらは全て真面目で誠実な回答を要する深刻な問題だ。

 F. William Engdahlは戦略リスク・コンサルタント、講師。プリンストン大学の政治学位を持つ石油と地政学のベストセラー作家。オンライン誌New Eastern Outlook独占記事。

記事原文のurl:https://journal-neo.org/2021/08/30/scandal-behind-the-fda-fake-approval-of-pfizer-jab/

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