「風姿花伝」の中に、「しおれたる風情とは、『花』よりも高度な美感である」という意味の言葉があり、それに続けて、「美しい花がしおれているからこそ面白いのであって、花の咲かない草木がしおれたところで何の面白みがあろうか」と言っている。
しおれた花の美しさ、というのは世界でも稀な思想だろう。それに近いのは「廃墟の美」だろうか。廃墟に魅せられる人は多いと思うが、それは、その「栄華の時」の幻想が、現実の廃墟と重ね合わされたものかと思う。
昔の学校唱歌で「荒城の月」というのがあったが、まさに「昔の光 今いずこ」という詠嘆である。
ついでに言えば、俳句の「さび、しおり」の「しおり」も、能楽の「しおれたる風情」のことかと思われる。つまり、当時の芸術家には「風姿花伝」は、芸術思想の基本テキストだったと思われるからだ。で、「さび」は「寂しさ」の美感であり、「しおり」は上記の「しおれたる風情」だと思われる。
しおれた花の美しさ、というのは世界でも稀な思想だろう。それに近いのは「廃墟の美」だろうか。廃墟に魅せられる人は多いと思うが、それは、その「栄華の時」の幻想が、現実の廃墟と重ね合わされたものかと思う。
昔の学校唱歌で「荒城の月」というのがあったが、まさに「昔の光 今いずこ」という詠嘆である。
ついでに言えば、俳句の「さび、しおり」の「しおり」も、能楽の「しおれたる風情」のことかと思われる。つまり、当時の芸術家には「風姿花伝」は、芸術思想の基本テキストだったと思われるからだ。で、「さび」は「寂しさ」の美感であり、「しおり」は上記の「しおれたる風情」だと思われる。
PR
この記事にコメントする
HOME 東海アマ氏の「日本人の源流」論
>>>
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
カテゴリー
最新記事
P R