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まあ、人間の真実とはウンコとチンコとマンコだ、と考えているような元文学青年の化石ではないか、と思うのだが、彼の映画は「みんな、エスパーだよ!」を最初の5分か10分くらいしか見たことがない。娯楽映画だろうと思っていたら、少年ジャンプの最低レベルの漫画という印象だった。作り手の人間性が下品そのものであることだけは分かった。その下品さが彼には誇りなのだろう。
しかし、下の記事もリベラルを「反日リベラル」と書いているあたり、ネトウヨだろう。私も最近のリベラルは嫌いだが、彼らを「反日」とレッテル貼りするネトウヨの頭の悪さも大概である。自民党の長年の「お仲間利益だけが目当ての」売国政治を支持するほうがよほど反日である。

(以下引用)

映画監督wikipediaから

ファンであり友人である著名な者として、水道橋博士や『映画秘宝』を創刊した映画評論家コラムニスト町山智浩が知られる。

町山は2009年ベスト10を選んだ際に、園の『愛のむきだし』を一位に選んだ。

同年に日本で公開されたクリント・イーストウッド監督・主演『グラン・トリノ』を二位にして「『グラン・トリノ』は『愛のむき出し』を見るまで一位の作品」「どちらも(『グラン・トリノ』と『愛のむきだし』)「不在の聖母」を描いた作品。」と評した。

水道橋博士とは親交が深く、お笑いライブを二人で開催したりしている。水道橋博士園子温を「映画監督として圧倒的に天才」と絶賛している。

他に園と親交が深い友人として、茂木健一郎会田誠津田大介宮台真司がいる。宮台真司あいちトリエンナーレの「表現不自由展」に対する批判意見への反論に友人・園子温作品を例にあげ、

そもそもアートは心に傷を付ける。心を回復させる娯楽とは違う」「こうした基本的なことでさえ、行政政治家、そして市民までもが分かっていないことに驚きました」と開催を擁護している。

ジャパニーズアニメ嫌い

2016年は「近年稀に見る邦画の当たり年と言われた本年」と呼ばれたが、そのなかでも話題を一手に集めたのは、

新海誠の「君の名は」と庵野秀明の「シン・ゴジラ」であり、『君の名は。』は興行収入200億円突破というダントツの1位、「シン・ゴジラ」は3位であるが例年なら邦画興行収入1位とされる81億円を記録した。

しかし、園子温はどちらも2016年12月9日に突如、「糞ジャパアニメ、すべて死ね。」という暴言ツイッターに書き込んで罵倒している。

ネット上ではシン・ゴジラ」と同じ長谷川博己を主演で前年に撮られた自身怪獣映画「ラブ&ピース」が興収5300万円だったこから

「園が嫉妬のあまり中2病発症させた」と批判するツイート殺到した。ただし、リテラは園による批判について、「まさに正論だと思うが、しかし、こうした意見はしょせん異端に過ぎない。」との報道をした。

護憲SEALDS支持・日本批判

自民党2016年参院選改憲現実のモノにしようとしているとして、2015年9月11日安倍晋三内閣における特定秘密保護法集団的自衛権行使容認への反対や護憲

「従来の政治的枠組みを越えたリベラル勢力結集」を訴える『TAKE BACK DEMOCRACY(民主主義を取り戻せ)#本当に止める SEALDs 5時間SPECIAL!!!!!』に、磯部涼(司会)、SEALDs中野晃一上智大学教授日本学術会議の廣渡清吾前会長らと共に出演した。

2016年12月に「評論家のための評論やす映画ばかり。狙ってんのかお互い癒着して。革命家も産めない肉体のない言葉、、乾いた言葉を。」

「去年見たSEALDSの何倍も何倍も薄めた小さなセカイ系とやら。セカイ系の正体は地球上の規模じゃねえ。このセカイの小さな島国辺境の、空想されたせ・・か・・い・・やめろ。」

日本批判SEALDs支持のツイートをしている。

思っていた以上に日本反日リベラルキモフェミが大好きそうな香ばしい野郎で笑った。

そりゃーフェミとか反差別界隈がだんまりな訳だw

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メモだが、あまり長期にわたってブログを書かないと勝手に宣伝が入るので、その予防でもあるwww
今、松本清張の「点と線」を読んでいるが、私が清張の現代小説に関して持っていたイメージとは異なり、さほど陰鬱さは無く、純粋に推理の問題を扱っていて読み応えがある。
ただ、根本に「作家の騙し」があると思う。
推理小説自体が「騙し」のジャンルなのだが、この作品では「作品の鍵となる謎」よりも、「書かれていない部分の謎」がはるかに重要性を持っているように思われる。
つまり、「犯人のアリバイ崩し」が「メインの謎」なのだが、それよりも「殺人自体の謎」の方がはるかに不自然なのである。それは「アリバイ崩し」は「アリバイの不自然なところを追求していくことで達成できる」という事実(あるいは法則)から少し視点を変えて、「作品自体の比重の不自然さ」を感じたからである。先に言えば、アリバイ工作というのは必ず人工的なのだから「不自然」なのが当然で、問題はその不自然さに捜索者が気づくかどうかである。だが、作品全体として「ほとんど無視されている」謎には読者は気づきにくい。
「点と線」の場合は、「心中遺体」の「自殺」手段が不自然だ。青酸カリを飲んだ遺体が二つ並んでいて、その傍らに青酸カリの入ったジュースの瓶があったなら、それは「心中」と見ていい。しかし、それが「他殺」だとしたら、これは不可能なのではないか。つまり、一方がジュースを飲んで苦しんだり即死したりしたら、もう一方にそのジュースを飲ませることは不可能だろうからだ。とすると、この「心中事件」は他殺ではなく本当に心中だったということになる。そうすると、本書の土台となっている「アリバイ崩し」自体がまったく無意味な行為となるのではないか。
まあ、まだ全体の8割くらいしか読んでいないので、作者がどういう結末をつけるか楽しみである。
なお、私は松本清張を「日本のバルザック」だと思っており、彼が推理小説作家として出発したため正当な評価を受けていないのは悲劇だと思っている。
とあるサイトから転載。

(以下引用)赤字は当ブログ筆者による強調。

P124
「こうした表現を反復することによって、クラウゼヴィッツは、当初からあいまいな自己の哲学理論の全貌をさらに不明確にし、それを、単なる行進曲のリフレイン、すなわち、ラ・マルセイユズ(フランス国歌)のプロセイン版を作り、国民の血を沸かし人心を鼓舞するだけのものにしてしまった。注入されたこの教義は、将校用ではなく、下士官用のものであった。というのは、戦闘を唯一の「真に戦争らしい行為」とすることにより、彼の教義は戦略の優位を奪い、戦争の術(アート)を大量殺戮の製造者に仕立てて、さらには、軍人を先導して、有利な戦機を醸成することではなく、単に決戦を挑むよう仕向けてしまったからである。」

この部分は正しい。
ドイツ人とフランス人を見ればまさにこう言う意図で作った部分が戦争論に注入されているのは明らか...
(しかし、クラウゼヴィッツは世界が正しい理論部分を読み取らずこんな無様な結果になるとは思わなかった。)

P127
「ヨーロッパの軍人は、一世紀もの間、クラウゼヴィッツが誤解して主唱した、「人間と人間の格闘は、明らかに戦闘の基礎である」ということに固執した。」

損害計算の無い歪んだ戦闘モデルに固執したということ。

P144
絶対戦争の概念は、クラウゼヴィッツの教義の源泉であるが、これは、彼のあらゆる戦略思想への貢献の中で、最も極端かつ非現実的なものであった。「絶対戦争」という用語の意味するところは、対峙する軍のどちらかが抵抗能力を消耗し尽くすまで継続される戦闘であり、現実には、勝者も力を消耗して極限に達することを意味するのである。」

ここは、制限事項をはずして戦争に勝つ処方箋だと信じて使った無能な蒋師達が悪いのか?
それとも、矛盾する絶対戦争理論(総動員用の仕掛け)を理念として残したクラウゼヴィッツが悪いのか?

P145
「1870年の戦争の結果はクラウゼヴィッツを支持し、彼の絶対戦争理論がヨーロッパの軍人に定着、あらゆる国家の軍人に議論の余地の無い真理として認められ、さらには、危険なまでに戦争に無知な世代の政治家に、簡単に容認されるようになったからである。こうしたヨーロッパ社会の思想に偏見が加わり、クラウゼヴィッツの哲学的理論は、第一次世界大戦の勃発を後押ししたのである。

世間一般に広まったのは正しいクラウゼヴィッツではなく、ナポレオン戦争の悪しき投影部分の絶対戦争理論だった。
この部分は誤解ではなく実際に起こったこと
2003.02.04...


戦略論大系「リデルハート」の「ナポレオンの亡霊」を引用した部分の批判はリデルハートの正しかった部分を抜き出して誤りだと書いている部分があり悪文
A・クリスティ「ねじれた家」読了。
最後の1章だか2章だかになるまで私は犯人が分からなかった。犯行は、誰にでも可能なものであるために、動機が問題になるわけだが、その動機が、普通の読者にはまず分からないのである。つまり、大金持ちの家で起こった殺人事件だけに、遺産相続が問題になる、と誰でも考える。そこに思考の落とし穴がある。遺産相続に無関係な動機として色情、怨恨などがあるが、色情関係のものもやはり遺産相続と関係しているだろう、と思うのがこういう状況では普通だ。
で、最後にどんでん返しがあるのだが、この犯人の可能性は私はまったく考えていなかった。というのは、この犯人がなかなか魅力的だったからである。私は、この人物を主人公(探偵役)に推理小説を書いてみたら面白いのではないか、と思っていたくらいだ。
「犯行動機」というのは、犯人の精神レベルや性格とも関係する、という事実を見事に使った作品だと思う。まあ、これだけで既に犯人が誰か、これから読む人に分かってしまうと思うが、このヒントを貰って読んでもまだ最後まで犯人が分からない人もかなりいると思う。
なお、「ねじれた家」はマザー・グースの歌から取った題名だと思うが、「crooked」は「せむし」の意味があり、舞台となった家に住む人々がほとんど精神的奇形である、という趣旨だと思う。
私は、些細な疑問を推理することが趣味なのだが、先ほど突然、「ラ・ボエーム」とはどういう意味だろう、という疑問が頭に浮かんだ。もちろん、「ラ」はフランス語の冠詞だろうから、問題は「ボエーム」だ。確か、パリの貧乏芸術家の集まる界隈の話だったような気がする。そこで、思いついたのが、これは「ボヘミアン」のことではないか、ということだ。フランス語では確かH音は発声されないはずだから、「ボヘーム→ボエーム」だ。
ネットで調べれば簡単だが、べつに調べるほどの疑問ではないので、思いついたことだけをそのまま書いておく。
ちなみに、大島弓子の初期短編の「雨の音が聞こえる」には「ラ・レッセー・イデン」というフランス語風の副題がついているが、これは「The 劣性遺伝」だろう、と私は推理している。「ラ」という冠詞がこの洒落のミソである。ついでに言えば、「雨の音が聞こえる」は八木重吉の詩の題名であり、最初の一節である。
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