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どうでもいいことだが、稀に見る、下手な比喩だと思うので、載せておく。
何の比喩かは、少し空白を挟んで載せる。

(以下引用)

 わかりにくい話ですね。もう少し分かりやすい喩えを使ってみます。
「虎の威を借る狐」ということわざがあります。虎の実力を背景にして、空威張りしている狐のことです。この狐は虎が居丈高に命令を下したり、異論を一喝して退けたりする真似はたいへん上手に再現できます。でも、虎に代わって「対話」や「交渉」をすることはできない。絶対にできません。仮に虎に対して「ちょっとだけの間、縞模様を茶色の無地に換えて頂けますか?」とか「いま目の前に兎が歩いてきますけど、今回だけ食べずに我慢してもらえますか?」とかいうオッファーがあったときに、虎であれば採否を即断できます(「茶色の無地の方がダートで狩りをするとき便利かも」とか「兎って、小骨が多くて食いにくいんだよな」とかいう虎固有の判断基準に照らして)。でも、「虎の威を借る狐」にはこの採否の判断ができない。というのは、「虎の虎性を形成している本質的条件は何か」が狐にはわからないからです。虎は自分のことですから、「虎とは何であるか」を知っています。自分が自分自身であるためには、何が必要であるかを知っている。絶対に譲ることのできない「虎の本質」とは何かを知っている。縞模様は別に虎の本質ではない(毛が生え替わることだってありますから)、腹一杯のときには獲物がそばを通っても見向きもしない。それでもいささかも虎の虎性は揺るがない。でも、狐にはそれがわからない。偉そうに吠えている虎の真似はできるけれど、「譲る虎」や「折れる虎」の真似はできない。
 













人間の場合も同じです。

 ある人が自分のオリジナルな知見を語っているのか、誰かの請け売りをしているのかは、実際には簡単に判別できます。「偉そうに、断定的に、定型的な言葉づかいで、同じことを何度も言うやつ」はおおかた誰かの請け売りをしていると判じて過ちません。自分の頭で考え、自分の言葉で語る人、独立独行の人は、そうはなりません。

(引用終わり)

下手な比喩だというより、説明が長すぎるし余計なことをダラダラ書いているので論旨がつかみにくいわけだ。
誰の文章かというと、内田樹である。
彼は論理的に書くことは上手いが、名文家ではない。その論理性というのは、官僚的な、「他人から批判されたりしないように、ミス無く念入りに書く」ことが主眼だから、どうしてもダラダラと長い文章になるのである。

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