細田守の「時をかける少女」は、シリーズ物ではないが、何度もリメイクされた作品を、作品の大筋は残しながら新しい設定で作ったものなので、リメイクではなくリブートと呼ぶのに一番適切な作品だろう。ただし、細田の「時かけ」では大成功したが、下手なリブートは原作を台無しにする作法(さくほう)であり、危険な行為だと知るべきである。同じく「時かけ」を実写テレビドラマ化し、しかも最悪のリブートであった最近の例を推して知るべし。
また、もともと傑作である作品をリメイクすることにもまったく意味は無い。意味があるとすれば、古い作品では未熟だった音声技術(特に日本映画のそれはひどい)に手を加えて聞き取りやすくするくらいだろう。(これはリメイクと言うよりはリマスターと言うのだろうか。)正直、黒澤映画の古い作品の音声技術はひどいもので、聞き取れないせりふが非常に多い。他の監督の作品も、似たようなものだ。
リブート (作品展開)
リブート(reboot) または再起動とは、フィクション作品において、シリーズにおける連続性を捨て、新たに一から仕切り直すことを意味する用語[1][2]。
様々なメディアにおけるリブート[編集]
リブートは、シリーズにとって核となる要素とコンセプトを整理することで、あらゆる「不可欠でない要素」を取り除く事を可能にし、シリーズをやり直す手法である[3]。リブート作品は、シリーズの初期タイトルをあまり知らない消費者にも簡単に触れることができる[3]。
映画[編集]
映画のシリーズ作品においては、新しいファンを獲得し、興行収入の向上させることを狙ってリブートさせることがある[1]。したがって、リブートは「停滞する」ようになったシリーズを救済する試みであると言える[4]。ファン層が確立された作品のリブートは商業的なリスクが少なく、スタジオ側にとって「安全な」プロジェクトでもある[5]。
ほとんどの作品はスタッフやキャストを大幅に変更しており、時系列は最も初期の段階から始まることが定番である。
また、ピンク・パンサーシリーズのように、主演俳優の死去によりシリーズ続行が困難となった場合のシリーズ再開、ゴジラシリーズのように前回シリーズの最終作によって映画の世界観に一旦の区切りが付いたための新たな物語のスタート、というようにリブートの理由も様々である。
コンピュータゲーム[編集]
リブートはコンピュータゲーム業界で一般的であり、[3] 特にシリーズに多数の作品があるフランチャイズで用いられる[3]。コンピュータゲームにおけるリブートは物語の流れやゲーム要素を一新するのに用いられる[3]。
語源[編集]
語源はコンピュータ用語におけるリブート(再起動)から来ている[1]。
リメイク・プリークェルとの比較[編集]
リメイクとリブートは設定を一から作り直した作品という点は似ているが、リメイクは作品によって異なるものの基本的にリメイク作品は元の作品と大体同じような展開・結末となるのが原則であり、元の作品の制約を受けずに独自のストーリーを構築できるリブート作品とはそこが違う。
プリークェルは前編・前日譚という意味であり、プリークェルであるとそれまでのシリーズの連続性・設定は保持されるため、リブートとは異なる[1]。