都築響一さんと対談するため、彼の本「圏外編集者」を読んでいるが、同感できる文章満載で嬉しい。都築さんは80年代「BRUTUS」の編集者だった。「編集長から教わったことはいろいろあるけれど、いちばん身についたのは、『読者層を想定するな、マーケットリサーチは絶対するな」だった。』」
何とか税とか何とか税とかの督促状というか、お知らせが来たので、見てみると、年収の1割くらいの感じである。国民健康保険も入れれば、税金と年金だけで2割くらいになる。公共料金が年収の3割くらいだから、だいたい年収の半分くらいがそれで消える。餓死しないようにするのが精いっぱいだwww 要するに、年収が120万くらいしかないのである。さて、本気で何か稼ぐ方法を考える必要があるが、どうも、国家の大計を考えることはできても、自分の生活などというつまらないものを考えるのはうんざりする。
昔は、小説家になりたいと思っていたが、才能がゼロの上に、今の時代は小説家で食っていくのは至難のわざであるようだ。フィクションに対する需要はあるが、儲ける奴は創作者本人ではなく、宣伝費を私物化して使える連中だけであるようだ。創作家本人に渡るのはスズメの涙ほどらしい。もっとも、電通あたりがみこしに担いだ創作家は大ヒットとなり、カネも手に入るようで、つまり、運のいい創作家しか浮かばれない仕組みのようだ。作品の質は関係ない。
電通とテレビマンと芸能人、このあたりが「カネが流れ込む商売」であるようだ。あとは、スポーツ関係か。これもスポーツマンではなく、それを使った商売をやる側にカネは流れ込む。オリンピックはその代表だ。
以上をまとめると、「虚業」「イベント関係」が現代で一番カネになる商売である、と言えるのではないか。形がなく、虚名だけのものほど大金が吸い込まれる仕組みである。
生存に直結する「モノ」には人々はシビアで、一銭でも安く買い叩こうとする。だから商売も楽ではない。ところが、正体不明の怪しい存在には平気で大金を投げ出すものだ。たとえば、祈祷師の類いだ。新興宗教もそれ。予備校もそれ。医療もそれ。健康産業もそれ。コンサルタント商売もそれ。中身や効果が知りようがないから、いくらでも要求通りに出す。ある意味、税金もそれだ。出す側は、その税金の根拠を調べるほどの根気が無いから、要求された通りに払う。
自分がこれからやる商売について考える予定だったが、概論だけでだいぶ書いてしまったので、ここでいったん切る。
昔は、小説家になりたいと思っていたが、才能がゼロの上に、今の時代は小説家で食っていくのは至難のわざであるようだ。フィクションに対する需要はあるが、儲ける奴は創作者本人ではなく、宣伝費を私物化して使える連中だけであるようだ。創作家本人に渡るのはスズメの涙ほどらしい。もっとも、電通あたりがみこしに担いだ創作家は大ヒットとなり、カネも手に入るようで、つまり、運のいい創作家しか浮かばれない仕組みのようだ。作品の質は関係ない。
電通とテレビマンと芸能人、このあたりが「カネが流れ込む商売」であるようだ。あとは、スポーツ関係か。これもスポーツマンではなく、それを使った商売をやる側にカネは流れ込む。オリンピックはその代表だ。
以上をまとめると、「虚業」「イベント関係」が現代で一番カネになる商売である、と言えるのではないか。形がなく、虚名だけのものほど大金が吸い込まれる仕組みである。
生存に直結する「モノ」には人々はシビアで、一銭でも安く買い叩こうとする。だから商売も楽ではない。ところが、正体不明の怪しい存在には平気で大金を投げ出すものだ。たとえば、祈祷師の類いだ。新興宗教もそれ。予備校もそれ。医療もそれ。健康産業もそれ。コンサルタント商売もそれ。中身や効果が知りようがないから、いくらでも要求通りに出す。ある意味、税金もそれだ。出す側は、その税金の根拠を調べるほどの根気が無いから、要求された通りに払う。
自分がこれからやる商売について考える予定だったが、概論だけでだいぶ書いてしまったので、ここでいったん切る。
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「そうか。笑顔か」と真面目にうなずいているのが50過ぎのおっさんというか、ジジイであるのが笑える。竹熊健太郎は竹熊健太郎であることが芸になっているみたいだ。もとからか。
竹熊健太郎《一直線》 @kentaro666 9時間前
竹熊健太郎《一直線》
一理ある。しかしまた、「自分の好きなものを提供すれば売れる」という思い込みが、脱サラ自営業の失敗の一番の原因だ、ということも知っておく必要はあるだろう。
そもそも、脱サラする人間とは、「大多数からはじかれた人間」であり、異端的存在なのだから、そういう人間の趣味嗜好が大多数とマッチするはずがない。しかし、自分の好きなものを追及しないなら、脱サラした意味がない。そういうジレンマを乗り越える必要がある
雑誌などのマーケティングに関しては、下の言葉は正しいかもしれない。だが、さらに踏み込んで考えるなら、女性誌の編集者や編集長は女性にすればいい、というだけの話である。都築氏の言葉は、男性編集者としての自分を正当化するだけのポジショントークにも聞こえる。
竹熊健太郎《一直線》 @kentaro666 10時間前
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「たとえば女性誌を作るとする。『この雑誌の対象は25〜30歳の独身女性で、収入はこれくらいで…』とか、読者層を想定する。その瞬間に、その雑誌って終わるよね。だって自分は25〜30歳の女性じゃないから。」(都築響一『圏外編集者』)私もこの世で一番嫌いなものがマーケティングです。
これは凄い言葉だと思う。「漫画家になりたいなら絵を描いている暇なんてないはずです」実際、ここがプロとアマチュアの違いなのだろう。絵の描ける人間はゴマンといるが、話の作れる人は稀である。そして、漫画家とは、実は絵を描ける人ではなく、話を作れる人なのだ。
こうした根本的な思い違いは、漫画家以外の他の分野でもありそうだ。たとえば、「作る才能」はあるのに「売り込む才能」が無いためにプロになれないことに気づいていないとか。自分には本当は何が必要なのかが分かっていない、ということ。
宮崎駿は、作る才能だけに自分を特化させるために、他の仕事(売る仕事)はすべて鈴木プロデューサーに任せているわけだ。
あん@相互フォロー @an_an_an_sougo 2016-06-02 10:29:09
こうした根本的な思い違いは、漫画家以外の他の分野でもありそうだ。たとえば、「作る才能」はあるのに「売り込む才能」が無いためにプロになれないことに気づいていないとか。自分には本当は何が必要なのかが分かっていない、ということ。
宮崎駿は、作る才能だけに自分を特化させるために、他の仕事(売る仕事)はすべて鈴木プロデューサーに任せているわけだ。
あん@相互フォロー @an_an_an_sougo 2016-06-02 10:29:09
@takenotaro @micorun こういうことですね pic.twitter.com/4X8D9JssGq
久しぶりに、「生きるヒント」カテゴリーの記事を書いてみる。内容は、「これからの商売」である。何回くらい書いたのか、忘れたので、今後は通し番号ではなく、日付でタイトルを書く。
「人材と金融」という記事タイトルは、べつに「金融業における人材」の話の意味ではなく、別個のテーマだ。
まず、今の日本に一番「余っている」のは、「優れた人材」ではないか、というのが、ここでの問題提起の第一点で、これからの日本で成功できる可能性のある仕事として、案外金融業があるのではないか、というのが論点の第二点だ。この二つとも、世間の認識とは反対だろう。
まず、今の日本では、インターネットの発達のために、これまでのような印刷出版業、つまり「紙メディア」の衰退が甚だしい。それに伴う、書店の倒産廃業も著しい。
ということは、それらに勤めていた無数の人材が、職を失っているわけである。また、少子化に伴う学校縮小により、高等教育機関に勤めていた人たちも職を失っている。
つまり、今の日本は「無数の知的人材が、仕事を失っている」状態なのである。
逆に言えば、ここに何かのビジネスチャンスがあるのではないか、というのが私が提起している問題だ。これらの「知的人材」を活用できる(特に中高年だ。)何らかの知的ビジネスを作れたら、成功する可能性が高いように思われる。そして、それは一つの企業としてではなく、日本全体が再生する道の一つではないだろうか。
同様に、今や衰退するしかないと見られている金融業だが、案外、そこに「個人的な」成功の道があるように思う。金融業全体としては衰退するのが当然だが、単独の企業としては、金融業全体が足並み揃えて衰退しているのだから、発想を変えることで、「一人勝ち」できる可能性がある、と私は思う。それは、「預金金利を上げる」ことである。他の金融業より0.1%多いとかいう、ケチな金利ではなく、3%から5%の金利を確約した普通預金にすることだ。
そうすれば、膨大な人間が、他行からこの銀行に預金を移すだろう。
問題は、金利3~5%を生み出せるような融資先を、今の低成長時代に見つけることができるか、ということで、あらゆる金融業者が鵜の目鷹の目でそれを探して探せないのだから、私がここで書いていることは空中楼閣でしかない、と言われるだろう。
はたしてそうか。たとえば、海外の銀行などでは、金利5%を約束しているところもあるはずだ。そこに、金利3%で委託されたカネをすべて預ければ、それだけで2%の利益が確保され、預金者への3%の利子もちゃんと返せるわけである。
こんな楽な商売があるのに、やらないとしたら、そこに何かのボトルネックがあるのだろう。しかし、日本国債をマイナス金利で購入するだけ、というような今の銀行経営の馬鹿馬鹿しさを見るなら、今こそが金融業の「冒険のチャンス」であり、「一人勝ち」のチャンスなのかもしれないのである。
「人材と金融」という記事タイトルは、べつに「金融業における人材」の話の意味ではなく、別個のテーマだ。
まず、今の日本に一番「余っている」のは、「優れた人材」ではないか、というのが、ここでの問題提起の第一点で、これからの日本で成功できる可能性のある仕事として、案外金融業があるのではないか、というのが論点の第二点だ。この二つとも、世間の認識とは反対だろう。
まず、今の日本では、インターネットの発達のために、これまでのような印刷出版業、つまり「紙メディア」の衰退が甚だしい。それに伴う、書店の倒産廃業も著しい。
ということは、それらに勤めていた無数の人材が、職を失っているわけである。また、少子化に伴う学校縮小により、高等教育機関に勤めていた人たちも職を失っている。
つまり、今の日本は「無数の知的人材が、仕事を失っている」状態なのである。
逆に言えば、ここに何かのビジネスチャンスがあるのではないか、というのが私が提起している問題だ。これらの「知的人材」を活用できる(特に中高年だ。)何らかの知的ビジネスを作れたら、成功する可能性が高いように思われる。そして、それは一つの企業としてではなく、日本全体が再生する道の一つではないだろうか。
同様に、今や衰退するしかないと見られている金融業だが、案外、そこに「個人的な」成功の道があるように思う。金融業全体としては衰退するのが当然だが、単独の企業としては、金融業全体が足並み揃えて衰退しているのだから、発想を変えることで、「一人勝ち」できる可能性がある、と私は思う。それは、「預金金利を上げる」ことである。他の金融業より0.1%多いとかいう、ケチな金利ではなく、3%から5%の金利を確約した普通預金にすることだ。
そうすれば、膨大な人間が、他行からこの銀行に預金を移すだろう。
問題は、金利3~5%を生み出せるような融資先を、今の低成長時代に見つけることができるか、ということで、あらゆる金融業者が鵜の目鷹の目でそれを探して探せないのだから、私がここで書いていることは空中楼閣でしかない、と言われるだろう。
はたしてそうか。たとえば、海外の銀行などでは、金利5%を約束しているところもあるはずだ。そこに、金利3%で委託されたカネをすべて預ければ、それだけで2%の利益が確保され、預金者への3%の利子もちゃんと返せるわけである。
こんな楽な商売があるのに、やらないとしたら、そこに何かのボトルネックがあるのだろう。しかし、日本国債をマイナス金利で購入するだけ、というような今の銀行経営の馬鹿馬鹿しさを見るなら、今こそが金融業の「冒険のチャンス」であり、「一人勝ち」のチャンスなのかもしれないのである。
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