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商売のヒントねwww
カネ儲けがしたければ、溺れている人間を探せ。そのカネとひきかえに藁を投げ込め。
当然、その人は溺れ死ぬけどねwww





            

でも内科の仕事をそこそこ長いけれど、研修医の頃から今に至るまで、「溺れる人に藁は本当によく売れる」というのは変わらない。インターネットができて、EBMの考えかたが普及して、新しい治療薬もできたし抗生剤の正しい使いかたなんかもほぼ常識になって、でも藁はやっぱりよく売れる。

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確かに、偉大な業績を残した芸術家はたいてい多作家でもあったわけだ。だが、多作家がみな偉大な作品を残したわけではない。膨大なクズを製造した流行作家は枚挙に暇が無い。しかし、それでも流行作家ではあった。つまり、「成功した作家」だ。寡作な天才より、多作な凡才のほうが出版社としても役に立つ。そもそも、天才の作品を理解できるには読者にもそれだけの資質が必要で、そんな読者は少数派に決まっている。
まあ、下の記事は「成功のメソッド」として有益だろう。




(以下引用)

「同率勝算の規則」に学ぶ。多作が才能に勝つ理由

「同率勝算の規則」に学ぶ。多作が才能に勝つ理由


Crew blog:仕事や人生や芸術で確実に成功する方法は存在するのでしょうか。過去から学ぶべきだと言う人もいれば、未来に目を向けていくに尽きると言う人もいます。しかしそのどちらも意味がないという説もあります。

実際には、何をするにしても確実に成功する方法など絶対にありません。遡ること1977年、ハーバード仕込みの心理学者、Keith Simonton氏が新規に発表される科学論文の潜在的影響力に関する一説を展開させました。

どんなに卓抜した科学者も、発表された論文の平均値で比較すると、その影響力がほかの科学者を上回る可能性は統計的にはゼロである。

言い換えれば、どんな新しい作品も、その影響力や成功を予測する方法はないということです。

がっかりですね。

誰でも成功の確率は同じなら、一生懸命頑張る必要などあるのでしょうか。

しかし、Simonton氏の説には興味深い副産物があり、それは私たちの中にあるクリエイティブな潜在力の扉を開く鍵になるかもしれません。

勝算が同じなら、何であれ確実に成功する唯一の方法はとにかくたくさんやることです。芸術に関して言うなら、とにかくたくさん創作することです。それしかありません。


クリエイティブなアイデアを思いつくにはとにかく仕事場に行くこと


同率勝算ルール」を突き付けられて、唯一物を言うのは粘り強さと着実な仕事ぶりです。それがあればクリエイティブな見返りがたくさん得られるということになります。

どんなクリエイティブな分野を探求しても、「とにかく作品を創れ」という言葉を繰り返し耳にするはずです。

自尊心のある芸術家は、その気になれないという口実で創作の手を止めてはいけない。

とにかく仕事場に行きなさい。行きなさい。行きなさい。そうすれば暫くすると芸術の女神も現れます。

── チリの女流作家 イザベル・アジェンデ

私の好きな『バガーバンスの伝説 (The Legend of Bagger Vance)』を書いたスティーブン・プレスフィールド(Steven Pressfield)氏いわく、

毎日座って仕事をすると力がみなぎってきます。芸術の女神は私たちの献身度を帳面に付けてそれに承認の判を押しています。だから彼女の目にとまると贔屓してもらえます。座って仕事をするとき、私たちは鉄屑を引きつける棒磁石みたいになります。アイデアが湧いてきて、いくつもの洞察が融合します。

Pressfield氏は彼の『The war of art,』という本の中で、座ってじっくり仕事をするのに邪魔なことはすべて「抵抗」として分類しています。

仕事をしていて辛くなったときや仕事を放り出してパーティやテレビを優先することにして、物事を先送りしたり諦めたりプロジェクト投げ出してしまうたびに、その「抵抗」が立ちはだかります。

Pressfield氏にとって、「抵抗」とは物事の現状維持だけを目指すほとんど神話的と言えるこの力のことです。

では、「抵抗」に勝つ唯一の方法は何でしょうか? それは粘り強さということになります。

Simonton氏がクリエイティブな才能に恵まれた人たちの人生を調べてみたところ、影響力のある作品を複数生み出した人たち全員に共通する重要な性格的特徴が2つあることがわかりました。

同時にたくさんのプロジェクトを抱えてそれに没頭する。
常に仕事をしている。

現に、イノベーションに関しては、名案を思い付くにはダーウィンレベルの資質を要することにSimonton氏は気付きます。

「クリエイティブなアイデアの質は多作がポジティブに機能した結果である」とSimonton氏は書いています。

作家であり心理学者でもあるScott Barry Kaufman氏は『Scientific American』誌に次のように書いています。

クリエイターが多くのアイデアをたくさん生み出すほど(アイデア1つ1つの質は問わない)、究極の傑作を生みだす可能性が高まる。

このプロセスを実行に移す場合のわかりやすい例として、広告業界ほどぴったりなものはないでしょう。米ソーシャルニュースサイトRedditに投稿された記事によれば、広告業界の巨人Ogilvy氏は「粗製乱造(scamping)」と呼ばれる産業的レベルでアイデアを産出する広告業界のプロセスについて次のように述べています。

要は、なるべく考えないことであり、なるべく速く仕事することです。最初は話にならないアイデアしか浮かばないかもしれませんが、それでいいのです。目標は、使い物にならないアイデアを少しはましなものにし続けていくことです。そのうちに玉石混交の中から玉が見つかるはずです。そうなればこっちのもの。それを土台にして築き上げていくのです。私の場合は、思い浮かぶことすべてに当たってみるまではその作業をやめません。だいたい2時間ぐらいかかります。

その作業を終えてみると、単に消去のプロセスであることがわかります。頭に浮かんだすべてのアイデアを思い起こして、それを「良い」と「悪い」の2つに分類します。それが終わったら、「良い」方を「良い」と「より良い」にさらに分類します。最後の5つになるまでこの作業を続けてください。

名案が浮かぶには、まず質より量が必要なことが多いようです。

  • 1分も見ていられないのだったら、こうしてしまえ

粘り強さと根性でとにかく仕事を仕上げてしまうこと


粘り強くヘラクレス並の努力で仕事をすることについて語るのは結構ですが、そんな精神状態に自分をもっていくにはどうしたら良いのでしょうか。成功する保証がないのなら、仕事が辛くなってきたときは(必ず辛くなります)どうやってモチベーションを保てば良いのでしょうか。同率勝算ルールの困ったところは、外的モチベーションがすっかりダメになってしまうことです。今手がけている仕事が上手くいくかまったくわからないのですから。それなら、自分の内面に意識を向けるべきです。

仕事をし続けるためには、モチベーションは自分の内側になくてはいけません。

コンサルタントから学校の先生に転身したAngela Duckworthさんはこの資質を「根性」と呼び、どんな人の未来の成功の可能性もこれがどの程度あるかどうかで予測できると言います。

27歳でAngelaさんはコンサルタントの仕事を辞めてニューヨークの公立中学校で数学を教えるようになりました。その仕事をしていると、IQが一番高い子供がテストで高得点を取ることは稀であることに気づきました。

それが彼女の心に「素早く楽に学習できる能力とは別のことが学校や人生で成功するかどうかを左右しているのだろうか?」という強い疑問を残しました。

Angelaさんは教職を離れて心理学者になるために大学院に戻り、この疑問の答えを見つけるためにさまざまなことを試みました。陸軍士官学校を訪問してドロップアウトしそうな学生を予測したり、スペリング全国大会で勝者を予測したりしました。民間企業と組んでどの営業担当者がトップセールスを達成して一番お金を稼ぐか予測したこともあります。その結果、どの状況で勝利を収めた人にも、「根性がある」という共通の資質があることがわかりました。

Angelaさんいわく、

根性とは、大変長期的な目標に対する情熱と粘り強さです。スタミナがあり、将来のビジョンをしっかり見据えて、1週間や1ヵ月でなく何年間も毎日、毎日努力することです。

彼女は「根性」のレベルを上げるには、スタンフォード大学心理学者のCarol Dweck氏が「成長のマインドセット」と呼んでいるものが必要であることにも気付きました。「成長のマインドセット」とは、学習を生涯続けるものとしてとらえること、さらに大切なこととしては、失敗は永続する状態ではないという考え方です。


Simonton氏は、アイデアを生むのはダーウィンの進化論的プロセスに似ていると言っていますが、それがイノベーションには必要であり、そうしたアイデアを実現していくためには、期待通りに行かなくても諦めないことが必要です。

作家のElizabeth Gilber氏は近著『Big Magic: Creative living beyond fear』で、彼女の出版社のポジティブでダイナミックな環境と会議の前にCEOの出す声明にすべてが取り込まれていく過程について語っています。

信じられないぐらい面白味のある失敗のし方をしている限りは、失敗してもこの組織では決して困ったことにはなりません。

面白味のある失敗のし方とは、新しい試みに対してオープンであることであり、失敗したときの反動を恐れずにコンフォートゾーンから飛び出してみることです。

The Unmistakable Creative Podcastのホストを務めるSrinivas Rao氏も「駄作になるのを怖がってはいけません。」と説いています。

自由に失敗できるということは、結果的には一夜にして成功した人間であるかのように見えてしまいます。

Twitterの共同設立者であるBiz Stone氏は次のように言っています。

成功するには運も必要です...。しかし、タイミング、粘り強さ、10年にも及ぶハードワークがあってこそ、一夜にして成功したかのように見えるのだと私は言いたいです。

失敗は成功への踏み石に過ぎない


どんなにクリエイティブな人も最高のイノベーターもすぐに成功するわけではありませんし、常に成功しているわけでもありません。

どんな人も少なくとも失敗の予感に毎日直面します。そして、何度も何度も目にすることですが、成功する人たちは進んでコイントスのような成り行きに賭ける人たちです(クリエイティブな世界では、コイントスの勝率はもっと高いかもしれません)。

映画監督兼脚本家兼コメディアンとして高い評価を得ているウディ・アレン氏のことを考えてみましょう。彼は過去数十年にわたり毎年1本映画を製作していますが、公開されているのはその一部でしかありません。しかし、彼の『さよなら、さよならハリウッド』を覚えている人はいるでしょうか? 盲目の映画監督を描いた映画で、2002年にアメリカで公開されたときは大不振でした。

作家のアーネスト・ヘミングウェイのよく引用される言葉で「1ページの傑作が生まれるまでに99ページの駄作がある」は、傑作を作る途中に駄作を乱造してしまう私たちの心に響きます。

有史以来最も優れたイノベーターの1人であるトーマス・エジソン(Thomas Edison)でさえ、彼が主導した特許の約3分の1は却下されました。さらに1093件の特許取得案件のほとんどが実用としては実を結びませんでした。現に、彼が成し遂げた真に卓抜した発明は片手で数えられるぐらいしかありません。

それから、ミュージシャンのジョナサン・マン(Jonathan Mann)もいます。彼は1日1曲書いて録音することを2500日以上続けました(7年以上1日1曲のペースを保ったことになります)。その多くは駄作ですが、彼の着実な活動がTEDやCNN、Anderson Cooper Liveに出演することにつながりました。

型破りな数学者のポール・エルデシュ(Paul Erdos)氏の名前はもしかしたら聞いたことがないかもしれませんが、彼は1500本以上の論文を発表して500人以上と共同研究をしたことで有名です。

音楽から数学まで、粘り強さと根性があることが、勝率に打ち勝ち影響力のあるものを生み出す唯一本物の方法です。

私たちは意味のあるものを作れる確率は誰でも同じという考えからそろそろ解放されてもいいのではないでしょうか。

誰でも同じ勝率から始めますが、勝率が障害になるわけではありません。誰もが同じ確率で世間に評価される物を作れるのです。

何か言えるとしたら、この考え方はクリエイターに訴えかけるということです。作品の良し悪しにこだわらず、創作活動を続けて、自分の作品を世の中に発表し続けましょう。


Get busy: The equal odds rule and the power of creative persistence | Crew blog

Jory Mackay(訳:春野ユリ)


どういうものが「要らない」とされ、「捨てられる」か、あるいはどういう人が捨てるのか、どういう場所で「実際は有益なもの」が「不要」とされて捨てられているか、などと考えを「ずらして」見ていけばいいだろう。


と前回書いた、その続きを考えてみる。まあ、何であれ、とっかかりが無いと、物事を始めるのは難しいわけだ。

何が「要らないもの」となるか。
1)使えないもの
2)趣味に合わなくなったもの、好かれなくなったもの、古くなったもの
の2点に大きく分かれそうだ。つまり、「使えるが要らない」か、「使えないから要らない」のどちらかで、後者は本物のゴミである。回収業者は、ゴミを集めているわけではなく、「使えるが要らないもの、不要品」を回収し、それを再利用することで商売にする。
書籍などは「文化の塊」のようなもので、その中身である「情報」にはもの凄い価値があるものもあるがたいていの場合は古い書籍は不要品となり、ゴミとされる。情報などはパソコンやスマホでネットを通じて入手すればいいから、無駄に空間を占領する「物」は不要、という時代だ。
回収業者も古本などは古書店に売るか、再生紙の原料にするだろう。

どうも、この「不要品」をテーマで考えると、いいアイデアが出ない。
儲けにつなげるには逆方向から考えたほうがよさそうだ。つまり、「何を世間は必要と思うのか」である。
その対象には、食品や医薬品のように「生存のために切実に必要なもの」と、衣料品や化粧品などのように「生命維持には関係はない(切実さはあまりない)が、社会生活に参加する上では是非必要」というもの、趣味や娯楽関係のように「余裕があれば欲しいし、生活を健全に楽しむためにはあることが望ましい」ものなどがある。

ここで、価格というものについて 簡単に言ってしまえば、「生存に直結する物質の価格は安く抑えられている」「生存に直結しない、物質的精神的装飾は価格が青天井である」と言えるのではないか。そして、後者の価格つり上げには、社会的洗脳が必須であるわけだ。誰もが、そのべらぼうな価格を不審に思いながら、それがそういう価格で取引されているという事実が、その価格の正当性を裏付けている、つまり、高価格のものは実際に価値があるのだと自分自身を説得させてしまうのである。

これは人間の脳の「物語作成システム」である、勝手につじつまあわせを脳が作るのである。そうでないとつじつまの合わないことばかりで、先に進めないから、無意識のうちに自分で「合理化された物語」を作る、ということだ。

価格と価値の相違を簡単な例で言おう。朝鮮の民家に転がっていたほとんど無価値な便器を千利休が「これは素晴らしい価値のある茶器だ」とお墨付きを与えれば、その便器は一つの領国に等しい価格となる。これが「価格」というものである。ネットに転がっている素材を名のあるデザイナーが少し加工したら何千万の価格で売れる、という例を我々は最近見ている。つまり、価値のつり上げは社会的地位と関連するわけである。だから詐欺師は例外なくいい身なりをする。社会的地位の高さを偽装するのである。詐欺師は仲間を増やすことで価格のつり上げや利益の独占や保全もできる。これが「上級国民」である。で、価格にだまされているのが下級国民である。



元手がいらない商売というと、「クズ拾い」というものなどをすぐ想像するのは私が古い人間のせいだろうか。
実際、ゴミ捨て場に行けば、まだ使用可能な品物がごろごろ転がっているのではないか。それを見て、もったいない、と思うような人間は今の消費社会では化石の類いかもしれない。
だが、元手無しで商売をするとすれば、「捨てられているもの」を利用するか、「知恵や知識を売る」くらいだろう。もちろん、「技術を売る」というのもあるが、そこに「苦労や努力なしで」という要素を入れるとなると、「技術を売る」はダメで、「知識を売る」もダメかもしれない。
やはり「クズ拾い」が一番目の候補になる。現代では「いらないものを捨てる」のにも苦労するから、「回収業者」は案外社会に役立ってもいるのである。
だが、回収業者のような「すでにある商売」「競争のある商売」は今は考えない。

「フリーマーケット」というのがあって、「自由(free)市場」ではなく「ノミ(flea)の市」のことだが、要らない品を集めて(持ち寄って)売るという市場だ。
ロンドンでは、これを「店舗」でやっている商売がある。まあ、慈善目的だろうから「商売」ではないかもしれないが、広場や空き地や駐車場ではなく、固定店舗でやる、というところがまだ日本では珍しいのではないか。仕入れ費用はタダだから、店舗家賃と店員の日当が出るだけの売り上げがあればいいわけである。その店員もボランティアという手もあるが、それは売上を慈善に使うという前提の話になるだろう。ここは、そういう「商売」もある、と紹介だけしておく。

さて、「捨てられているもの」から「要らないもの」へと話が変化した。こういうように視点を変えていく(ずらしてみる)のが考察する場合有益だ、というのに今気がついた。。
「捨てられているもの」とだけ考えていては見えないものが、「要らないもの」と言葉を変えることで見えてくるわけだ。
次は、どういうものが「要らない」とされ、「捨てられる」か、あるいはどういう人が捨てるのか、どういう場所で「実際は有益なもの」が「不要」とされて捨てられているか、などと考えを「ずらして」見ていけばいいだろう。
前回書いたことにつながるが、塾や予備校の「見えない機能」が「男女の出会いの場」である、という視点を広げたら、ほかにもそういうものがたくさんありそうだ。
たとえば、「カルチャースクール」は中高年男女の出会いの場かもしれない。
「海外ツァー」もそうである。
「テニススクール」や「スキースクール」や「ゴルフスクール」は金持ちの奥さんの浮気のための出会いの場。それらのインストラクターは、スポーツのできるホストやジゴロ、というわけだ。
「PTA」すら、ハンサムな教師や美人教師と出会える場であったりする。
「ロックコンサート会場」は同じ嗜好を持つ異性との出会いの場でもある。
場所そのものが出会いの場でもあったりする。夏の浜辺など。

ということは、そういう仕事や職場を少し変えるだけで、「出会いの場」機能を強化し、その企業(は大げさだが)が発展する可能性もあるのではないか。
しかし、そうした「見えない機能」は見えないからこそ有意義だということもある。最初からテニススクールが「浮気便宜所」だと銘打ったなら、旦那が女房を行かせるわけがない。
「養老院」も、それを学校兼寄宿舎だと考えたら、中高生に戻ったような甘酸っぱい気分になるのではないだろうか。実際養老院での色恋沙汰は珍しくないという。アホである。人間は幾つになっても成長などしない。シモの世話の必要な老人の色恋沙汰とは、なかなか不気味だ。だが、それほど性欲は人間を支配する、ということだろう。
で、この発想を養老院経営に生かすなら、老人に「お遊戯」などさせず、「社交ダンス」でもさせるのがいい、という考えになるだろう。性欲の回復は生命の回復につながり、異性にいいところを見せようという意欲が、その生活態度全般を向上させる。
まあ、私自身は養老院経営などする気はないから、これはただのアドバイスだ。
しかし、こういう「出会いの場」機能を考慮すること、「職場にピンク色を増す」ことは大事なポイントだと思う。具体策は、勝手にめいめいが考えればいい。ただし、これは職場の壁にヌードカレンダーを貼る、といったセクハラ親父的行為を推奨しているのではないのはもちろんだ。
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