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いやまあ、のんびりと浮遊思考を書いているだけのシリーズだから、カテゴリーも「生きるヒント」のはずが「雑記」になっていたりする。変えるのも面倒だから、今はそのままで書き進める。

さて、ほかに「これから有望かもしれない商売」は何か無いだろうか。
いわゆる「士業」(国家資格を要する仕事)は考慮のほかである。若者向けの仕事も対象外。無能無芸虚弱な老人でもできるような仕事を探求しているわけだ。
前に書いた「占い師」などというものは、それに当てはまる。「詐欺師」は、頭が良く、度胸が無いと無理である。占い師は詐欺師とは別だ。詐欺師には需要は無いが、占い師にはちゃんと需要もあるのである。
家作のある人なら貸家貸し間業がいいと思うが、それにもさまざまな新しい業態が考えられるだろう。前に書いた、「レンタル勉強室」と名乗りながら、実質的には「中高生向けラブホテル」というのもその一つだ。実際、これは巨大な潜在的需要があるに決まっているのだから、今後は流行るのではないか。予備校や塾の機能の一つも、「異性との出会いの場」である、というような、常識に囚われない視点を持つことが、新商売の発見につながるだろう。
要するに、「欲望はどこの誰にあるのか、その欲望は何か」ということだ。食欲と性欲こそが生きる欲望の大きな柱であることは言うまでもない。虚栄心なども大きな欲望だからこそ服飾業界や化粧品業界の需要もあるのだ。
実際のところ、私は欲望の欠如した人間だから、他人の欲望なども下劣だとついつい思ってしまうのだが、苦手でもここを追及しないと商売の手がかりは得られないだろう。
私は男(それも精神年齢の低い男)だから、はっきり言って、ファッションや化粧など「アホか」と思うわけだ。大の大人がセックスしたさにどたばたするのも「アホか」と思う。しかし、それらが巨大産業の基盤であることは重々承知している。男も女も異性とのセックスよりオナニーがマシと思うようになれば、世間の産業と文化の3分の2は消滅し、ついでに戦争もなくなるだろう。異性獲得という目的が無くなれば、他人を蹴落とす闘争の意味もなくなるのだから。

まあ、こんな「子供哲学」はどうでもいい。今は金儲けの考察をしているのだ。それも、「できるだけ苦労や努力は無しで、誰でもできる」商売は無いか、という考察だ。これは難問だが、答えの無い問題だとは思わない。

たとえば、農業は苦労に満ちた仕事だという先入観があるが、はたしてそうか。大地に種をまいて放っておいたら芽が出て葉が出て花が咲き実が生った、というのがもともとの農業の姿だったのではないか。それを除草したり肥料をまいたり農薬を撒いたりして勝手に自分で自分の苦労を増やしているのではないか。そういう視点でいろいろな仕事を再考察してみるのもいいのではないだろうか。



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「衣食住」が生活の柱であり、それに加えて「教育、娯楽、医療」などが生活の必須項目である。
娯楽など、なぜ人々は、ありきたりの、お仕着せの娯楽に満足し、あるいはそれが得られないと不満を持つのか、私は疑問に思うのだが、まあ、それはいい。
「衣」も、昔に比べたら丈夫になり、一度買ったら何年も持つから、流行を追わなければ買う必要もない。住居は、借家だと経常支出というか、毎月必ず出ていく支出だが、買えば一生ものだ。食費は毎日の出費で、高くも安くもできる。つまり、これが一番商売にはしやすいが、競争者も多いというのは前に書いた。医療は特別な資格を持つ人たちだけに許された商売だ。
さて、ほかにはないか。

たとえば、「占い師」なんていうのもある。これは衣食住にも教育娯楽医療にも属さないが、ある種の人々の切実な需要に応える商売だ。その手のものも、「詐欺商売だ」と片づけず、考察したい。占い師が学者や評論家より下らないかどうかは分かったものではない。

学者や評論家には確かに需要はあるが、その需要はマスコミの存在が前提で、御用学者や御用評論家以外はあまりカネにはならないだろう。マスコミというよりは政治との癒着か。

毎日の生活で不便や不満を感じる事柄があれば、それが「金儲け」につながる鍵だ。

たとえば、モームの短編小説「会堂守り」では、長い道を歩いてタバコを吸いたくなったが、煙草屋が見つかるまでさらに長い道を歩かねばならなくなった主人公が、そこの通りに煙草屋を作ることを思いつき、それが巨万の財産を作る足掛かりとなる。これは寓話的だが、「金儲け」の秘鑰であることは確かだ。
前回書いた、中高生の男女がセックスする場所に不自由している、というのは、自分をその立場に置いてみればすぐに想像できることである。ただ、それを商売に結び付けるかどうかは慎重に思案する必要はあるが、少なくとも、ここには巨大な需要があるのは確かだ。

価値があるのに、ただみたいな値段やただで手に入るもの。

太陽の光、風、雨、清潔な空気、自然の風景、自分の体、著作権の切れた名作芸術、などなど

シベリアに住む人から見れば、温暖な気候はそれだけで財産に等しいだろう。つまり、たとえば沖縄などに生まれた人は、最初から「財産」を持って生まれてきたのと同然である。これは平均所得が日本最下位であろうと、他県には無く、奪われることはない財産である。反対に、現在の福島で生まれた人は、最初からマイナスの財産を背負って生まれてきたようなものだ。親の因果である。





馬鹿馬鹿しい値段で売られているものの例として医薬品と食品を挙げたが、特にコンビニの弁当など、あの値段で買う人がいるのが驚異である。つまり、家で料理をするのが少数派であるような時代になっている、ということだろう。英国(ロンドン)での見聞では、表通りの店の3軒に1軒くらいはファストフードの店か食堂であり、スーパーなどで買われている食品は生鮮食品ではなく冷凍食品のほうが多いようだ。日本もそれに近づいているのだろう。デフレ社会、低給与社会では外食産業が衰退する、と私は考えていたが、それは逆で、「家庭」を持たない「孤立(個立)社会」では、自分で料理する余裕すらなくなるようである。多少安いかどうかより、「買い弁」「宅配」「ファストフード」のほうが時間の節約になる、ということだろう。それが病的状態であることは言うまでもないが、この趨勢はなおも続くか、より悪化する、と見るのがいいだろう。
さて、我々の生活の中で、食と健康に関する商売はまだたくさんあるだろうが、見落としは後で補足することにする。次は「教育」と「娯楽」だ。

塾などの「教育商売」も、カネがさほど無くても始めることができる商売だが、これも今後は難しいのではないか。いや、やりようによってはいくらでも稼げるとは思うが、私は「教育で稼いではいけない」という考えなので、考察対象にはしない。「儲かる教育商売」とは詐欺の一種に近くなると私は見ている。

では、娯楽はどうか。これは、人間が生きている以上、絶対的に必要なものだし、「恋愛」や「セックス」を娯楽の一種と見てもいいだろう。もちろん、倫理意識の強い人間には我慢がならない考えだろうが。
現在の状況は、ゴルフやスキーに代表される「カネのかかる娯楽」が衰退していて、ネットゲームなどで遊ぶという「カネのかからない娯楽」に駆逐されつつある、と大きく言えそうだ。つまり、庶民にカネが無いのだから、庶民はゴルフやスキーには行けない。庶民が来ないと「絶対数」が足りないからそうした娯楽産業は衰退する。世の中に「超金持ち」が少数いても、彼らの数だけではゴルフ場やスキー場は維持できないのだ。払う料金は金持ちも庶民も同じだから、庶民が一人も来ない娯楽施設は倒産するしかない。
まあ、私にはそうした衰退産業(特にゴルフ場)を改革するアイデアも少しはあるが、これらはもともと大きな資本金を必要とする商売だから、ここに書いても無意味だろう。

娯楽というのは面白いもので、何でも娯楽になる。つまり、カネが無いから娯楽が無い、というのは想像力の欠如した人間の言うことだ。ただ、それを「商売」にするとなると、カネが必要となってくるわけである。しかもたいていは大資本が必要だ。だが、そうでない例もある。
簡単な例を言えば、昔は「駄菓子屋」というのがあって、そこに「くじ引き」付きの甘納豆などが売っていた。当たりが出たら、子供だましの景品がもらえるのだ。子供のころの私はこれに夢中だった。いつか一等を当てるのが夢だったわけだ。
これは大人がパチンコをやり、競馬をやり、宝くじを買うのと何も変わらない。「合法的ギャンブル」なのである。違いは、大人は子供だましの景品など欲しくはないから、「甘納豆くじ」は買わない、ということだ。だが、原理は同じである。しかも、小資本でできる。
たとえば、ゴルフなど、ゲームの実体は「子供の遊び」である。地面に掘った穴に小さなボールを入れるだけのことだ。それにいい大人が夢中になり、高いクラブを買い、高い料金を払ってプレーをする。
素人からプロまで、スポーツにおいて自分の技術を磨き、それをプレーで確認する喜びは共通だ。そこがギャンブルとスポーツの違いでもある。ギャンブルは運任せである。
スポーツ性とギャンブル性が娯楽の柱だろう。
もちろん、単なる「鑑賞」という娯楽もある。ストリップを見るのは、あれは鑑賞なのか? それとも別の意図があるのか、私には分からない。ああいうのを見たがる男どもの気が知れない。だが、絵画鑑賞は高級な趣味で、ストリップ鑑賞は低劣な趣味だ、という区別も、我々を自由な考察から疎外する障害としての「常識」だろう、ということを指摘しておきたい。ついでに言えば、「自分の体に自信のある女は裸を見せたがる」ものだし、そういう女性の中で、性的アピールでカネを稼ぐことへのためらいを持つ女は少数派だろう。体でカネを稼ぐというのは女の武器だし、男でもそういう「色を売る」男も珍しくない。ただ、これらは犯罪や犯罪組織、人生の破滅と常に隣り合わせの商売である。ギャンブルのほうが、まだ健全な娯楽だと言えるだろう。

以上、(ギャンブル、スポーツ、鑑賞)という娯楽の3要素を考察してみたが、もちろん、「商売」としての考察はまだである。それを次回にやってみたい。


さて、私が「成功可能性があるのではないか」と思う仕事(主に自営業)を、思いつくだけ並べてみる。

1)医薬品輸入業(これに認可が要るかどうかは知らない)

これを成功可能性が高いと見るのは、日本の医薬品が暴利をむさぼっているからだ。欧米の医薬品のすべてが安いわけではないが、日用品的医薬品は非常に安い、という印象である。咳止めなど、日本製品はほとんど効かないが、英国製の某薬品(これは名前を秘しておくが、1ポンドショップで売っているから、現地で調べればすぐに分かる。)など、一発で咳が止まり、値段は170円(1ポンド)だった。アルカセルツァーという痛み止めも有名だが、安い。同じく1ポンドだった。(ただし、10錠入りの小箱)私が薬局でも経営しているなら、こういう「欧米の格安医薬品」を仕入れて売る。欧米の医療(病院)が高い、というのは、日常的な病気などは病院などに行かず、売薬で済まし、その薬は安い、という事実とセットになっていて、後者を日本のマスコミやネットでは言わないからだろう。

ここで一つ指針ができる。それは、日本と外国の物品を比べ、日本では異常に高いが海外では安いという物品を見つけて売ればいい、ということである。輸入にかかる費用を考慮しても十分に利益が出るだろう。それほど日本では無意味に高額化している物品が多々ありそうな気がする

*上に書いたアルカセルツァーの箱書きにはさまざまな痛みの痛み止めだけでなく、風邪やインフルエンザにも効く、と書いてある。日本で、170円で買える風邪薬があるか? もちろん、風邪やインフルエンザそのものを治癒する薬など存在しない。症状を緩和するだけだが、それは日本の薬品も同様である。

2)果物や野菜の輸入販売業

上と同様の発想だが、日本には無いか、日本では異常に高価な果物や野菜で、海外では安いものを探して売る。一例を挙げれば、ブドウの一品種で、皮のまま食べられ、しかも味が非常にさっぱりとした甘味であるものがある。見かけはマスカットに似ているが、あんなに酸っぱくない。これはこの前イオンでも売っていたが、残念ながら品質管理が悪く、カビが生えていた。きちんと品質管理して売れば、ファンが増え大需要が生まれるはずの品種である。他にも、西洋野菜などの中には日本人の知らない味を持ったものがあるだろう。まあ、農家と契約して、日本で育てて売るのが一番成功可能性は高いのではないか


他にも、輸入販売業は考えられると思うが、この方面はひとまずこれだけにしておく。ワインなども、安くて美味いのがあったのだが、これは個人的な主観かもしれない。まあ、私が美味いと思った安酒は、その後たいてい売れているから、間違いは無いとは思っているのだが。スーパーなどに並んでいるワインで美味いのにはほとんど出会ったことがない。これはバイヤーが酒の味を知らないからだと思う。また、酒通でも、通になりすぎると安酒を認めなくなる。甘口などは最初から考慮の外になる。だが、大衆はやはりその語源どおり「甘い」が「美味い」なのである。馬鹿なバイヤーが「ワイン通は辛口を好む」という一つ覚えで買い付けるからスーパーのワインは売れないのである。
英国のスーパーで棚に大きくスペースを占めているワインは一番の安酒だが、それでも結構美味いのがある。やはり、ワインは欧米人の文化の一部である。


思考メモとはいいながら、一応はブログ風の文章になっているところが我ながら面白い。そのうちただの箇条書きだけになるかもしれない。
なお、英国の加工肉はひどい味だった。英国人が味覚音痴だからというよりも、世界的に加工肉を排斥する風潮があり、加工肉をまともに作っていないのではないかと思う。ただし、安物の加工肉しか食っていないので、これが全体に言えるかどうかは分からない。











この項目は、ただのノート代わりである。特に、「生きるヒント」の思考メモだ。
生きるためにはカネが必要だ。そこで、カネを得る、ということに関する思いつきを脈絡も論理も無しにメモしていこうという次第である。私自身は差し迫ってカネの必要は無いが、必要になってから準備しても遅いだろうから、普段から考えておこう、ということである。

要点は、

資本金無しにカネを手に入れる道は無いか、

ということだが、それは犯罪しかない、と結論がすぐに出る。そこで、最小資本(まあ、300万円くらい)でカネを得る(増やす)方法を考察してみよう、ということだ。
これは無数の賢い人たちが日夜考えて答えを出せない難問ではあるが、考えないよりは、頭の体操くらいにはなる。

思考のポイントは

1)今の日本で必要性が十二分にありながら、誰も気がつかないもの
2)今の日本で有り余っているが、その価値を誰も気づかないもの

の2点であり、しかもそれを商売とするのに資本金が要らないものを見つける、ということだ。

たいていの人が自営業などを始めようと考えた場合、だいたいは飲食店を考える。資本金が少なくて済むからであるし、需要が確実だからだ。だが、同業者は多く、競争も激しい。そこで生き残り、成功するのはかなり少数だろう。上記の1)か2)の条件を満たせば、同業者もいないし、競争もないわけだ。それが簡単に見つからないのは承知だが、思考遊戯として考えるわけである。

今の時代で絶滅の危機に瀕しているのが、「音楽産業」と「印刷出版業」である。これは小資本でも参加できる可能性はあるが、衰退分野だ。つまり、それがなぜ衰退しつつあるかを考えれば、逆にそれを成功に導ける可能性もあるだろう。音楽産業はネット配信が主流となってレコードやCDなど、音楽を「物」として売る手段が不要になり、カネは「情報配信元」だけに入ることになった。全国のレコードCDショップは店をたたむしかない。印刷出版業も似たようなものだ。人々はネットで小説も本もタダで読めるから、本や漫画を買わない。全国の書店は潰れるしかない。
そのほかの分野の中で、これが今後は需要が出てくる、というものはあるのだろうか。
ただ、音楽にしても小説や漫画にしても、それ自体への需要はある。ただ、それが「物」ではなく「情報」部分だけが求められるようになってきたのである。

この、「物」を持つことがメリットではなく逆にデメリットとさえなってきたという点は留意する必要がありそうだ。
少し古いがひところの「断捨離」ブームは、狭い家にムダな物を置きたくない、という主婦層の潜在的欲求をつかんだ結果だったのだろう。本など新刊で買わずに図書館で借りればいいじゃない、という人間が増えれば、作家は飯の食い上げであり、実際そうなりつつある。これは「本の売れ行きで印税を支払う」という現在の出版業システムが破綻しているということである。

だが、こういう文化論や社会論は当面の論点ではない。貧しい個人が生きていくために何か商売をするとしたら、何か新しい切り口の(成功可能性の高い)商売は無いか、模索する、というのがテーマであった。それを、次回に考えたい。

なお、ブログではなく日記や雑記帳に書くべきこんな内容の文章をなぜブログに書くかというと、私はブログを自分の雑記帳としているからである。ブログに載せると、自分でも読み直し、考えを追加したりすることができる。他人に盗まれたらダメになる程度のアイデアなら、自分でやってもムダだろう。
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