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珍しく歴史関係の本でベストセラーになったらしい呉座勇一「応仁の乱」を少し目を通してみたが、文章に魅力が無く、読んだ部分だけで判断するなら、些末な記述が多すぎて、乱の全体像が掴みにくそうな感じである。それに、人名の振り仮名が最初にしか出ないので、それを覚えないと後の部分でその名前の読みが分からないのも不愉快である。
そもそも、新資料らしい坊さん二人の残した文書を手掛かりにして記述する、というスタイルが最初から気に食わない。たかが無名坊主が、歴史の重要な現場を知っているわけはない。つまり、断片的な噂話にすぎないはずだ。これが、事件当事者の残した日記なら、嘘交じりでも重要性は大きい。
まあ、まだほとんど読んでいないし、読む気も起らないが、それがベストセラーになったということ自体が面白い。世の中には「お勉強」の好きな人間、知的スノッブは案外多いということだ。

さて、その本の後書きに、応仁の乱を第一次世界大戦と比較している箇所があったが、そこに「結局、イギリス海軍の海上封鎖によって補給路を断たれたドイツが屈服する形で終戦となった」という言葉があって、えっと驚いた。第一次世界大戦の終戦はそういう風に結論されているのだろうか。そもそも、ほぼ内陸国であるドイツが海上封鎖によって補給路を断たれるということがあるだろうか。ドイツは戦争遂行に必要な物資補給を海路による輸送だけに頼っていたのだろうか。その物資は何なのか。
あまり考えずに読むと何気なく読みすごすところだが、こういう部分に引っかかると、私はその本全体が信じられなくなるのである。

なお、井沢元彦の「逆説の日本史」にもそういうところがある。色々と面白い意見が書かれてはいるが、その半分以上は作者の妄想だろうという気がするわけだ。些細なことを根拠に「世間の定評とはまったく反対の意見」を言う、という感じだ。たとえば、松平定信と田沼意次の評価など、前者は完全な馬鹿で、後者は立派な政治家、としているが、その根拠は単に田沼意次は「商業重視だったから」という、現代的(資本主義的)視点での評価にすぎない。封建時代には封建時代の生活環境や時代的制約があったのであり、たとえばの話だが、クーラーが無かったから江戸時代は野蛮だったという評価はできないわけである。儒教の批判にしても、儒教のもたらしたメリットを無視してその弊害だけを言えば、批判は容易である。




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