この問題は、推理小説(探偵小説)の根本に関わる問題だろう。推理小説が子供の遊びとされる理由の一つがここにある。要するに、ファンタジー小説の一種か、単なるパズルの一種であり、「人生に相わたる」ことが無いと考えられるからである。それ以前に、「後期クイーン的問題」が示すのは、実は「推理小説はパズルとしてすら不完全であり、頭を使うに値しないのではないか」という、推理小説のレゾンデートルを揺るがす詰問である。
当のクイーンの小説自体が、こうした疑念を呼び覚ます性質の強いもののように私には思える。
たとえば、「九尾の猫」を私は読み終えたばかりだが、読み終えた後の割り切れない気分が、まさに下記の「第一の問題」のためなのである。さらに、「第二の問題」もこの作品には含まれている。
「第二の問題」をもう少し端的に言えば、「探偵の存在自体が犯罪の要素や原因となることがあっていいか」ということになるだろうか。「神のごとき名探偵」のはずが、犯罪を惹起する存在となったのでは、読む側が割り切れない思いになるのも当然だろう。いや、これは「第二の問題」の意味を勘違いしているのかもしれないし、第一の問題に比べれば、推理小説が「思考遊戯」である以上は、たいした問題ではないと思う。
「九尾の猫」は、「遺留品がほとんどゼロ」の連続殺人を、一見何も関連性の無い被害者たちの「一筋の脈絡」を頼りに、犯罪の「意味」を探求する、という話で、「意味の見いだせない犯罪」のどこに「意味」があるのか、というのが作品の主題になっていると言えるだろう。「犯罪の意味」が分かれば、同時に「犯人も分かる」(もっとも、最後でひとひねりある。)わけだが、最後に語られるその「犯罪の動機」は、けっして読者が素直に納得できるものではない。
キチガイの犯罪だから、動機がナンセンスでもいい、と思える人は幸いだ。推理小説を「合理的思考によって解決に至れる、高度なパズル」と思っている読者(それが大半だろう)からすれば、「キチガイの犯行だから動機が不合理でもいい」とは思えないのである。それは、パズルを作るための作者の都合でしかない、と思い、裏切られた気分になるのではないか。不合理(犯人の不合理性)を前提としたパズルは不可能なのである。それはパズルとは別のものだ。
要するに、「推理小説の作者は、読者を満足させるだけの合理性を持った作品が書けるか」という、推理小説創作の根本を示しているのが、「後期クイーン的問題」だろう。
なお、日本の推理小説の作家のほとんどは、素晴らしい描写力を持っているが、「後期クイーン的問題」の観点からは、ほとんどが落第である。(「犯罪小説」は「推理小説」とは別物である。女流作家は「犯罪小説」を書くのが好きだ。その犯罪小説がだいたい「残酷小説」でもある、というところが不気味である。女性は怖いwww)
「後期クイーン的問題」の観点から見て合格点がつけられるのは「ハサミ男」くらいではないか。問題の非の打ち所のない合理的解決という点では、最高に近いと思う。(海外の名作はさすがにこの点をクリアしている。謎にちゃんと意味があって、合理的に解明されるからこそホームズ物などは永遠の生命を持っているのだ。クイーンでは「Yの悲劇」は見事な合理性を持った解決になっている。)
ダメ作品で言えば、特に「密室殺人」パターンなどは、ナンセンスそのものの作品だらけである。この種の作品で解答が合理的なものは「すべてがFになる」くらいだろうが、問題の答えは合理的かもしれないが、その状況自体がナンセンスの極みである。(なおこの状況が「完全な密室である」とされた時点で、私は「答」はこれしかない、とすぐに分かった)
(以下引用)
第一の問題[編集]
「作中で探偵が最終的に提示した解決が、本当に真の解決かどうか作中では証明できないこと」についてである。
つまり“推理小説の中”という閉じられた世界の内側では、どんなに緻密に論理を組み立てたとしても、探偵が唯一の真相を確定することはできない。なぜなら、探偵に与えられた手がかりが完全に揃ったものである、あるいはその中に偽の手がかりが混ざっていないという保証ができない、つまり、「探偵の知らない情報が存在する(かもしれない)ことを探偵は察知できない」からである。
また「偽の手がかり」の問題は、いわゆる「操り」とも結び付く。すなわち、探偵が論理によって「犯人」を突き止めたとしても、その探偵、あるいは名指しされた犯人が、より上位の「犯人」による想定の中で動いている可能性はつねに存在する。このようにメタ犯人、メタ・メタ犯人、……を想定することで、推理のメタレベルが無限に積み上がっていく(無限階梯化)恐れが生じることがある。
第二の問題[編集]
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「作中で探偵が神であるかの様に振るまい、登場人物の運命を決定することについての是非」についてである。
探偵はそもそも司法機関ではなく犯人を指摘する能力はあるが逮捕する権限はなく(素人探偵の場合)、探偵が捜査に参加することあるいは犯人を指摘することにより、本来起きるべきではなかった犯罪が起き、犠牲者が増えてしまうことへの責任をどう考えるのかという問題である(例えば、探偵の捜査を逃れようとした犯人が関係者を殺して回るようなケース)。
また、「名探偵の存在そのものにより事件が引き起こされるケース(例えば、探偵を愚弄あるいは探偵に挑戦するために引き起こされる殺人のようなケース)」、あるいは、「探偵が捜査に参加することを前提として計画された事件が起きるケース」などとも絡んで議論される。
作品の外部構造(作者-読者)の関係性から生まれる「第一の問題」から、作品内の内部構造(犯人-探偵、あるいは犠牲者-探偵)の関係性から登場人物のアイデンティティーに関わる深刻な葛藤「第二の問題」が生起される。