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20 「四月、彼女は来るだろう」(「四月になれば彼女は」)

 

 April,come she will

 

April,come she will

when streams are ripe

 and swelled with rain

May,she will stay

Resting in my arms again

(四月、彼女は来るだろう

 川の水が雨で増し、流れが膨らむ時に

五月、彼女はとどまるだろう

僕の腕の中でふたたび安らいで)

 

June,she‘ll change her tune

In restless walk 

 she‘ll prowl the night

JuLy,she‘ll fly

And give no warning to her fright

(六月、彼女の声音は変わるだろう

休み無く歩き回り、夜の中をさ迷うだろう

七月、彼女は飛び立つだろう

何の予告も無しに)

 

August,die she must

The autumn winds blow

 chilly and cold

September,I‘ll remember

A love once new has now grown old

(八月、彼女は死ぬだろう

秋の風が冷たく寒く吹き

九月、僕は思い出す

かつて新しかった愛が年老いたことを)

 

 

サイモン&ガーファンクルの歌で、一般的には「四月になれば彼女は」と訳されている。しかし、これは誤訳だろう。この詩は各連の第一句末尾がそれぞれの月名と韻を踏んでいるために「she will come」を「come she will」と倒置したもののはずである。つまり「四月が来る」ではなくて、「四月、彼女は……」のはずだ。だから、歌詞カードなどで「April,comes she will」と、「come」に三単現の「s」を付けているのも間違いだと思う。

韻の部分を説明すれば、

April-will

may-stay

June-tune

July-fly

August-must

September-remember

のようになっている。

訳で困ったのは、八月の韻でもある「must」である。これは「死ぬ必要がある」のか「きっと死ぬに違いない」か。同じ「must」に義務やら推量やら必要やら当然やら幾つもの訳があって、判断不能である。前の部分と統一して「彼女は死ぬだろう」と推量形の訳をしてみた。

 もちろん、この死は、彼女が僕の心の中で死ぬという意味と取るべきだろう。だから、かつて新しかった愛が年老いたと言うのである。





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19 「雨のリズム」(「悲しき雨音」)

 

 Rhythm of the rain

 

Listen to the rhythm of the falling rain

Telling me just what a fool I‘ve been

I wish that it would go 

and let me crying in vain

And let me be alone again

(落ちてくる雨の

あのリズムを聴いてごらん

あれは、僕がどんなに馬鹿だったかを言っている

雨がどこかへ行ってしまって

僕をただ泣かせてほしい

僕をもう一度一人ぼっちにしてほしい)

 

  The only girl I care about

 has gone away

Looking for a brand new start

But little does she know that

 when she left that day

Along with her she took my heart

(僕の愛したたった一人の少女は去ってしまった

まったく新しい出発を求めて

でも彼女が去ったその日

彼女がほとんど知らなかったことは

彼女が僕の心を持っていってしまったことだ)

 

Rain please tell me now

 does that seem fair

For her to steal my heart away

 when she don‘t care

I can‘t love another

 when my hearts somewhere far away

(雨よ教えてくれ

それはフェアなことだと思うかい

彼女は愛してもいないのに僕の心を持ち去って

僕の心が遠くにあるために

僕はもう誰をも愛せないなんて)

 

  リフレーン

 

 

私が中学生の頃のヒット曲である。その頃は歌詞の内容は漠然としか知らなかったが、甘悲しい憂鬱のイメージは、中学生の心にはぴったりの曲だった。歌はカスケーズというグループで、作詞作曲はジョン・ガンモー(とでも読むのだろう)。

今読むと、中々面白い歌詞で、もちろん、センチメンタルそのものではあるが、ポップスとはもともとセンチメンタルを良しとするものなのだから、それで良い。特に心の防御壁の薄い通常の青少年とセンチメンタルとは切り離せないのであり、センチメンタルでない青少年はニヒルな文学青年にでもなるしかないだろう。

中学生レベルの英文でもあるのだが、案外と訳し間違えそうなのが、第三連の最初の命令形で、呼びかけの「Rain」を、中学生あたりだと主語と勘違いする生徒が出てきそうである。英語解釈のコツの一つは、「挿入句」と「倒置法」に対して意識的になることだと私は思っている。ここでも、「Rain」の後にコンマがあれば話は簡単なのだが、コンマを頻繁に使うのは嫌われるのか、そのコンマが無いので、間違いやすい。この場合は、「please」があるために命令形であることが分かるが、たとえば「God save the queen」は「神は女王を救う」という平叙文ではなく、「God,save the queen」、つまり「神よ、女王を救い給え」という命令文、より適切に言えば祈願文なのである。








 

18 二度と恋には落ちないわ(「恋にさよなら」)

 

I‘ll never fall in love again

 

What do you get when you fall in love?

A guy with a pin to burst your bubble

That what you get for all your trouble

I‘ll never fall in love again

I‘ll never fall in love again

(恋に落ちたら何を得るの? 

あなたの風船を破裂させるピンを持った男と恋をして

それがあなたのすべての骨折りの代わりに手に入れる物

私は二度と恋には落ちないわ

私は二度と恋などしない)

 

What do you get when you kiss a guy?

You get enough germs to catch pnewmonia

After you do,he‘ll never phone you

I‘ll never fall in love again

I‘ll never fall in love again

(男とキスをして何が得られるの?

肺炎になるのに十分な病原菌をたっぷり手に入れるだけ

その後では、男は電話すらかけてこないでしょう

私は二度と恋には落ちないわ

私は二度と恋などしない)

 

Don‘t tell me what it all about

Cause I‘ve been there and I’m out

Out of those chains,those chains

            that bind you

That is ,why I‘m here to remind you

(恋がどんなものかなんて教えないで

なぜって、私はずっとそこにいて、抜け出したばかりなの

自分を縛り付ける、鎖から、鎖から、鎖から!

それが、私があなたに恋のくだらなさを教える理由)

 

What do you get when you fall in love

You only get lies and pain and sorrow

So for at least untill tomorrow

I‘ll never fall in love again

No,no,I‘ll never fall in love again

(恋をしたらどうなるの?

嘘と苦痛と悲しみが得られるだけ

だから、少なくとも明日までは

私は恋には落ちないわ

いいえ、いいえ、二度と恋には落ちないわ!)

 

 

 ミュージカル「プロミセス・プロミセス」の挿入歌で、ハル・デイビッドの作詞、バート・バカラックの作曲、歌はディオンヌ・ワーウィックでヒットした。

 言うまでもなく、この歌の洒落ているところは、恋をクソミソに言いながら、「少なくとも明日までは」恋などしないと言うところである。裏返しの恋の賛歌なのだが、そのユーモアが、実に楽しい。このパターンは、前に書いた「何で馬鹿は恋をする?」に似ている。

 訳の上では、「(恋の)鎖から抜け出て」云々の部分を意訳したが、同じフレーズの繰り返しが、私は日本語の詩としては気になるので、「鎖から、鎖から、鎖から」とそっけない繰り返しにしたというわけである。繰り返しを二度でなく三度にしたのも、ただの好みにすぎない。まあ、この訳が気に入らなければ、自分で訳せばいいだけである。 

 








 

17 無引く無(「ナッシング・フロム・ナッシング」)

 

 Nothing from nothing

 

Nothing from nothing leaves nothing

You gotta have something

   if you wannna be with me

Nothing from nothing leaves nothing

You gotta have something

   if you wannna be with me

(無から無を引けば無

もしも君が僕と一緒になれば

何かは得られるよ

無から無を引いても無

でも君が僕と一緒になれば

何かはきっと得られるんだ)

 

I‘m not trying to be your hero

‘Cause that zero

  is too cold for me(Brr)

I‘m not trying to be your highness

‘Cause that minus

  is too low to see(Yea)

(僕は君のヒーローにはなる気はないよ

だってゼロってのは僕には寒すぎるからね(ブルブルッ!)

僕は君の陛下(ハイネス)になる気もない

だってマイナスってのは、見るには低すぎるじゃないか(イエィ!))

 

Nothing from nothing leaves nothing

And I‘m not stuffing 

  believe you me

Don‘t you remember I told ya

I‘m a soldier

  in the war of poverty

   yeah,yes Iam

(無から無を引いても何も残らない

僕は君に自分を信じさせようとは思わないよ

君に言ったことを覚えていないかい

僕は貧困の戦いの戦士なのさ(イェイ! そうなんだぜ))

 

  第一連リフレーン

 

You gotta have something

  if you wanna be with me

You gotta bring me something girl

  if you wanna be with me

(僕と一緒になれば

君も何かを得るさ

君と一緒になれば

僕にも何かが得られるはずさ)

 

 

ほとんど無名のポップスだが、私の好みで30撰の中に入れることにした。というのは、算数的表現をそのまま歌詞にしたところが面白くて、ユニークだからである。つまり、「2引く1は1」のような英語の算数表現が「1 from 2 leaves 1」だったと記憶しているが、それを「無から無を引く」と言うと、何やら哲学風味が出るところが面白い。だが、趣旨はやはり恋愛であり、貧乏な二人でも、一緒になればきっと楽しいよ、くらいの内容である。自分の貧乏さを「僕は貧困の戦いの戦士なんだ、イェイ!」などと言うところが、何とも能天気でいい。歌も軽快なリズムで楽しいし。

 歌はビリー・プレストンという、アフロヘアで肥った黒人。○ノダ・ヒロみたいな感じのエネルギッシュで臭そうな男で、ユー・チューブで実物を見たらガッカリすることうけあいだ。

  







 

16 七つの水仙

 

Seven daffodils

 

I may not have a mansion

I haven‘t any land

Not even a paper dollar

  to crincle in my hands

But I can show you morning

 on a thousand hills

And kiss you and give you

 seven daffodils

(私には豪邸もない

私には土地もない

手の中でカサカサと音を立てる1ドルのお金さえない

でも私はあなたに幾つもの丘の上の朝の姿を見せることができる

そしてあなたにキスをして七つの水仙をあげることができる)

 

I do not have a fortune

to buy you pretty things

But I can weave you moonbeams

for necklaces and rings

And I can show you morning

on a thousand hills

And kiss you and give you

seven daffodils

(私には財産がない

あなたにきれいな物を買うための財産が

でも私は月の光を織ってあなたにネックレスと指輪を作ることができる

そしてあなたに幾つもの丘の上で朝を見せることができる

そしてあなたにキスをして七つの水仙をあげることができる)

 

Oh seven golden daffodils

all shining in the sun

To light our way to evening

when our day is done

And I will give you music

and a crust of bread

And a pillow of

piny boughs to rest your head

And a pillow of

piny boughs to rest your head

(おお、七つの黄金の水仙よ

すべて朝日の中に輝き

一日が終わる夕暮れの時まで

私たちの道を照らしてくれる

そして一日が終わる時には

私はあなたに音楽を贈ろう

そしてわずかなパンを

そしてあなたが頭を休めるための松の葉の匂いのする枕を贈ろう

あなたが休むための松の匂いの枕を贈ろう)

 

 

 ブラザース・フォーのフォークソングである。次の17番の「無引く無」もそうだが、アメリカンポップスには貧乏ソングとでもいうべき歌があって、「ぼろは着てても心の錦」というか、「武士は食わねど高楊枝」というか、心の気高さが大事だよ、と考える伝統がある。もちろん、そういうことを言うのは、女房や恋人に高価な贈り物や贅沢な生活を与えることのできない甲斐性の無い男に決まっているのだが、それはそれで金がすべての資本主義社会の一服の清涼剤ではある。女性の側がこうした歌を鼻で笑うのは言うまでもない。

次の「無引く無」や「道路の陽の当る側」と共に読むと一層面白いだろう。





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