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今、「悪霊」を読んでいる最中なので、ドストエフスキーの社会主義思想との関わりになったペトラシェフスキー事件のことをメモしておく。

ペトラシェフスキー事件
ぺとらしぇふすきーじけん

ドストエフスキーが加わったことで有名な19世紀ロシアの思想事件。外務省の役人ペトラシェフスキーを中心に、若いインテリゲンチャが集まり、フランスの空想的社会主義思想、とくにフーリエの著作を中心とする研究会を形成。毎週金曜日に集まったところから「金曜会」とよばれた。彼らは役人、教師、作家、芸術家、学生などで、出身からすれば中小貴族や雑階級(ラズノチンツイ)が多かった。

 1848年のフランスの革命(二月革命)の影響を受けて、一部の者はサークル内部にさらに小さいグループをつくり、農民蜂起(ほうき)や秘密文書の作成を計画するようになった。しかし密告によって49年4月にペトラシェフスキーが逮捕され、相次いで123人が取調べを受けた。その結果二十余名が軍事法廷で死刑を宣告されたが、処刑の直前に減刑され、シベリア徒刑や兵卒として常備隊へ送られた。

[外川継男]

『原卓也・小泉猛編訳『ドストエフスキーとペトラシェフスキー事件』(1971・集英社)』

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「混沌堂主人雑記(旧名)」所載の「deeply japan」記事の一部である。

(以下引用)

だがしかし、違うものは違うし、嘘は嘘でしかない。
ナチの被害。左から、相手にした師団数、航空機の損害、砲・銃器類、戦車。
どれをとってもほぼ75%が、ソ連によって壊滅された。英米(+α)は足しあげても25%
私はこれに、タイムラインも加えたいですね。西部戦線は最初はドイツ人が元気な時期だけど、最後は東部戦線で壊滅的な打撃を負った後なので、相当くたびれたドイツ人師団になっていた。それを叩いたのがノルマンディー作戦。
これを第二次世界大戦の分水嶺だった、などというのは冗談でしかない。しかしそれを映画だの言論を使って馬鹿みたいに広めてきたのがアメリカであり、それをまともにくらってるのが西側世界。
小さな嘘ならともかく、これだけ多くの人が関わった出来事を新聞屋が学者ごときがどれだけ嘘をこねくりまわしたところで本当になるわけではない。
このへんの話は去年まとめた通り。
2020年:the Westのナラティブ管理崩壊年
ここから1年経って、ともあれ、事実関係を認める人たちが去年と比べれば増えたでしょう。twitter見ててもそれはわかる。また、著作物のあるような人達の論考でも、欧州戦線でいえば英米の果たした役割は2割程度なんだから云々、といった文が入っているのも見た。
じいさまたちはもうどうでもいい。若い人たちがその毒に飲まれないことがわけても重要。

■ 差別感情の権化

で、結局どうしてこうなるのかというと、ナチと同様、西側の支配層というのは、「ロシア人」なら死んだってかまわないと思っているからでしょう。彼らには意思だの名誉なんかないと勝手に思いなしている。だから盗みに入っても無問題だと思ってるし、騙しても無問題だと思ってる。
「ロシア人」になんで「」を付けたかというとこれは西側から見た総称で、要するにスラブっぽい人たちはみんなRussians。ウクライナ人はもちろん、ポーランド人とかセルビアあたりの人たちも入る。
西側の人間が教え込まれている、アメリカがナチを破ったというのは相当に怪しい話で、実際最も決定的な働きをしたのはソ連の人々でした。
この膨大な犠牲を一顧だにしないのが西側が言う「人道」というもの。また、ソ連の人なら死んでも無問題というのが後の「反共思想」に脈々と流れる差別感情の源流だと思う。是非ともこれは崩壊させるべき。
WW2の決定的な勝者はソ連だよと人々が言うの巻
戦争後に、戦争主導者としての資本家が裁かれることはほとんど無い。これによって、政治を動かしているのは政治家(役者)ではなく資本家(脚本・演出家)であるという事実が分かる。

(以下「櫻井ジャーナル」から転載)


2021.05.10

 
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 5月9日はロシアの「戦勝記念日」である。ウラジミル・プーチン露大統領はこの日、ある勢力が第2次世界大戦から何も学ばず、ロシアに対する攻撃的な計画を抱いていると指摘したうえで、国民の利益を守るという決意を述べた。好戦的なジョー・バイデン政権やその僕たちを意識しての発言だろう。

 ドイツとソ連の関係が悪化するのはナチスが台頭してからでる。十月革命でボルシェビキ体制が成立して以来、ソ連とドイツとの関係は良好だった。ナチス時代の1941年6月にドイツ軍はソ連を侵攻した。バルバロッサ作戦だ。西側には約90万人だけを残し、310万人を投入するという非常識なものだったが、これはアドルフ・ヒトラーの命令である。まるで西側から攻めてこないことを知っていたかのようだ。

 ドイツ軍は7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達した。10月の段階でドイツだけでなくイギリスもモスクワの陥落は近いと考えていたのだが、日本軍が真珠湾やマレー半島を奇襲攻撃した12月にソ連軍が反撃を開始、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでもソ連軍に敗北、1943年1月に降伏する。

 この段階でドイツの敗北は決定的になったが、慌てたイギリスやアメリカはすぐに善後策を協議、その年の7月に両国軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸した。その後、ナチスの幹部はアレン・ダレスたちと接触し始める。サンライズ作戦だ。その後、アメリカの軍や情報機関はフランクリン・ルーズベルト大統領には無断でナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。ラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などだ。

 アメリカやイギリスの金融資本はナチスを資金面から支えていた。例えばディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングなどがそうしたパイプだった。その経営陣にはョージ・ハーバート・ウォーカー、その義理の息子であるプレスコット・ブッシュ、ブッシュと同じエール大学のスカル・アンド・ボーンズに入っていたW・アベレル・ハリマンも含まれている。そのほかスイスで設立されたBIS(国際決済銀行)や第2次世界大戦が勃発する半年ほど前にドイツへ約2000トンの金塊を渡したと言われているイングランド銀行も仲間だと言えるだろう。

 そもそも、ウォール街は1930年代からファシストと関係があった。そのウォール街の傀儡だったハーバート・フーバーが1932年の大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗北すると、アメリカの金融資本は在郷軍人会を利用してクーデターを行おうと計画している。

 計画の中心的な存在だったJPモルガンは司令官としてダグラス・マッカーサーを考えていたが、人望があり、軍の内部への影響力が大きいスメドリー・バトラーを取り込まないとクーデターは無理だという意見が通り、バトラーに働きかけた。

 しかし、この人物は憲法を遵守するタイプの人物。そこで計画内容を聞き出した上でカウンタークーデターを宣言し、議会で詳細を明らかにした。

 ウォール街のクーデター派はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領への信頼感を失わせるようなプロパガンダを展開、50万名規模の組織を編成して恫喝して大統領をすげ替えることにしていたという。

 バトラーの話を聞いたジャーナリストのポール・コムリー・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。金融資本は親ファシズムだった。ナチスへ資金を提供し、ナチスの幹部や協力者を救出、保護するのは必然だった。その延長線上に冷戦はある。バラク・オバマやジョー・バイデンの政策も同じだ。

子供心にも、このフレーズのナンセンスな面白みは分かるし、長いセリフを覚えてまくしたてる面白さも分かるだけだろう。「ジュゲムジュゲム」や「外郎売」の類である。

(以下引用)

小学生の長女の口から「いつ?何年何月何日何曜日?何時何分?地球が何回回ったとき?」という煽りフレーズが出てきたのだが、令和の小学生にも根強く生き残る定番フレーズに密かに感銘を受けている。どういうメカニズムで、数十年に渡って異世代間で引き継がれているんだろうか。
あさりよしとおのツィートだが、実際、萩尾望都があの題名を付けた時は、その程度の安易さだったのではないか。エドガー・アラン・ポーは吸血鬼の話を書きそうな作家だが、書いていないはずだ。まあ、死体が蘇る話はあったような気がするが、それは吸血鬼の話ではない。

(以下引用)

「エドガーでーす!」 「アランでーす!」 「二人あわせて、ポーの一族でーす!」 「血ぃ吸うたろか」 「いー加減にしなさい!」
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