今、「悪霊」を読んでいる最中なので、ドストエフスキーの社会主義思想との関わりになったペトラシェフスキー事件のことをメモしておく。
ペトラシェフスキー事件
ペトラシェフスキー事件
ぺとらしぇふすきーじけん
ドストエフスキーが加わったことで有名な19世紀ロシアの思想事件。外務省の役人ペトラシェフスキーを中心に、若いインテリゲンチャが集まり、フランスの空想的社会主義思想、とくにフーリエの著作を中心とする研究会を形成。毎週金曜日に集まったところから「金曜会」とよばれた。彼らは役人、教師、作家、芸術家、学生などで、出身からすれば中小貴族や雑階級(ラズノチンツイ)が多かった。
1848年のフランスの革命(二月革命)の影響を受けて、一部の者はサークル内部にさらに小さいグループをつくり、農民蜂起(ほうき)や秘密文書の作成を計画するようになった。しかし密告によって49年4月にペトラシェフスキーが逮捕され、相次いで123人が取調べを受けた。その結果二十余名が軍事法廷で死刑を宣告されたが、処刑の直前に減刑され、シベリア徒刑や兵卒として常備隊へ送られた。
[外川継男]
『原卓也・小泉猛編訳『ドストエフスキーとペトラシェフスキー事件』(1971・集英社)』
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