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「混沌堂主人雑記(旧題)」から転載。中央アジア(日本から見れば西アジア)の地図が載っているのが助かる。

(以下引用)

2021 - 08/15 [Sun] - 21:06

DEEPLY JAPAN より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
40年ごしのアフガン騒乱:不明点がいろいろ見えた
40年越しのアフガン騒乱は、現在、USとUKが撤退中で、逆にタリバンがますますコントロール地域を増やしている。
USとUKは「外交官」の安全を確保するために1000人とか3000人の兵隊を送り込んいる模様。現時点では、それらの人々がアルカイダだとか傭兵だとかいう説は出てきてないので、真面目に撤退をしているようだ。
ロシア外務省の副大臣の人が、
アフガニスタン内のテロリスト組織と効果的に戦うためには、国内の政治勢力すべてが集団的に努力する必要があります。互いの対立だけに注力していては、テロリズムの根絶は、不可能です。
と言ってる。
この様子は、チェチェンのようでもあり、シリアのようでもあるなと思ってみたりもする。
シリアでは、俺はアサドは嫌いだ、大嫌いだ、だけど、アルカイダと一緒になってシリアを潰して、結果的にシリアを失うぐらいならアサドを大統領として認める、といってシリア政府軍に投降していった反政府勢力の人たちがたくさんいた。
アフガニスタンとシリアはそもそもの国情が異なるので、同じようにはいかないにせよ、でも、基本的には中の人たちが考えをまとめていかなければ、誰が何を持って行こうとどうにもならない、というのは本当でしょう。
これからどんなことが起きるのか、誰にも予想はつかないけど、基本的にロシアがウズベキスタン、タジキスタンと合同でアフガニスタンとの国境線を守っていることは、もし本当に地域の安定を望むのなら、これは安心材料の1つ。(逆の人にとっては、腹立たしい出来事だと思うが)
ロシア、タジキスタン、ウズベキスタンの合同演習の模様。まぁ普通に長い長い間の知り合いですので不思議はないし、共通言語はロシア語のままだった、ってのが本当のところだと思うので、作戦行動に何の不都合もないでしょう。
Основной этап совместного российско-таджикско-узбекского учения

■ 戦争というより占領の終了

で、世間では、これは米の第二のサイゴンだ、といった感じで捉えられていて、それはそれで間違いではないんだけど、だけど、本質的にそこだけが問題ではないのではなかろうか。
実際問題、第二のサイゴンっぽくないのは、NATO諸国のアフガニスタンの行動って、戦争というより、なんでだか理由も不明な進駐とか占領とかいった趣だったから。
米メディアとかその子分の日本の新聞などは、「アフガン戦争の終結」みたいな書き方をするけど、実際には、戦争らしい戦争っていつのこと?という感じ。多くは、単に進駐軍が勝手に我が物顔をしてそこを出て行かなかったという感じしかないのでは?
バイデン氏、アフガン戦争終結に固執 「米国第一」貫く
で、アフガニスタンの人たちは、NATO軍も馬鹿にしていたけど、西側支援の自国の政府軍なるものが強いとも、権威があるとも全然思わなくなって久しい。政府軍の1/3はタリバン、1/3は、名前だけの兵隊、とか言われていたぐらい。そうなると後の1/3は、わざわざ勝てないのに紛争しても仕方がないから、タリバンが来たらさっさと鍵を渡す、みたいな状況。
こういう場合、当然、中で割れることはあるし、敗走する側が抵抗したり、命乞いしてへんなディールが出来上がる、とかいうのもまったくありがちなこと。あらゆる騒乱の最終局面で起こることが起こるでしょう。
■ 奇妙な勢力が排除される、ってことか
で、目の前で起こってることから少し目を離していろいろ考えてくると、多分、これは、過激イスラム勢力が負けた、ということなんじゃなかろうか。そして、この過激イスラム勢力は、分解してみると、ナチ風味の勢力と黒いアラブの合体だったのではなかろうか。
冷静にみてみれば、ムジャヒディーンは現地アフガニスタン人が煽られて勢力化したものではあるけど、でも、その中に、オサマ・ビン・ラーデンとかいう人がいたりしたわけでしょ。お前、アフガニスタン関係ないやろ、な人たちがいたわけです。
さらに、そこら中にモスクを立てて、ワッファービズムを広めたのはサウジの金。2018年にサウジ・アラビアは、最初は西側に頼まれたから、とゲロったがそれも、中央アジアの騒乱にアラブが重要な役割を果たしているという話の半分ではあるんでしょう。
で、そのようにしてイスラム化が準備され、それを1979年にソ連軍を呼び寄せるプロットの要因とした。これを指揮したのは、ブレジンスキーだけど、このプロットには多数の国家群が含まれる。
そうそう、イラン、パキスタン、中国も無問題じゃない。前から書いてる通り、40年前にムジャヒディーンを作り出して、アフガニスタンにソ連軍を引き寄せるという、不道徳作戦に賛成したのは、米だけじゃない。むしろ、ブレジンスキー&キッシンジャーという、不実を絵に描いたような男たちによる米中共同作戦でしょう。

1980年モスクワ五輪とムジャヒディーン協賛諸国
https://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/83a9c709e51ea5ed18e7b32c1beb4e47
このプロットにとって重要なもう1つの柱が、イランのイスラム回帰だったでしょう。あそこが世俗的な政権のままだと、アフガニスタン-イラン-トルコというある種の回廊が完成できない。もとより、アフガニスタンではイラン系種族が強い影響力を持つ。
ホメイニのイラン革命を思い出すと、ある種のナチ残党ネットワークの存在が浮かび上がり、それをほじくるとアル・フサイミーに行きつく。
フサイニーから親ナチネットワークまで
https://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/b68ddbb835d588715ab90ecb5a527fd7
ネタニヤフ退陣か & アインザッツグルッペン

■ 整理できないけど、前よりましになった

で、こうやって要素を並べてはみたものの、これをどう整理したものか、まだよくわからない。
ただ、例えば、
アル・フサイミー
サッスーン財閥
ホメイニのウヨ性
あたりが、タブー化されていたようだ、とはわかる。
また、もう1つ、著しくファシスト的だった白系ロシア人集団というのもタブー化されていると思う。欧州にも満州にもいた。
これらの要素を加えていかないと、現代史を辻褄のあったように再構成することは無理でしょう。
でもとっても大変。おもしろいけど。

■ 関連記事

ネタニヤフ退陣か & アインザッツグルッペン
40年越しのアフガン騒乱 & 次の秩序へぼちぼち
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某スレッドのコメントだが、日本人は階層性や統一というもの、あるいは「絶対思想」に疑惑を感じるという精神性はあるかもしれない。
封建社会下で限界はあっても、或る意味、西欧とは別の「民主主義」が存在しているとも言えそうだ。つまり、「絶対的存在」を疑うという、精神の民主主義だ。

(以下引用)


■ 日本の主要な信仰体系では、
  宗教的な信念において中央集権は重要な要素ではなかった。
  それは神道や仏教でもそう。
  明確な階層的、あるいは統一された構造はない。
  一般人と僧侶たちとで意見が異なる事さえある。
  これは基本的に、日本の歴史を通じて変わらないんだ。
  キリスト教が日本に持ち込まれた時に、
  市民や為政者が懐疑的に感じた要素は、
  教会の中央集権的で統一された性格だったんだ。
  神は唯一で、「教会(カトリック)」も1つで、法王も1人。
  階層的な信仰に対する本能的な反発は、
  今でも日本社会には残ってるんじゃないかな。
「混沌堂主人雑記」所載の「Deeply Japan」記事の一部で、第二次大戦末期のソ連参戦の「意義」を明解に説明している。まあ、当時のキチガイ日本からアジアを救ったのがこのソ連参戦だろう。

(以下引用)


■ 日本以外にとっては朗報だったソ連侵攻

で、前から書いてますが、日本人にとっては、1945年8月9日のソ連軍の満州侵攻作戦は腹立たしいものなんでしょうが、中国、朝鮮にとっては、これは、よーーーーやく、あの忌々しい関東軍を満州から追い出し、もって、我が物顔に大陸に居座った日本軍を追い出すことに成功したという事象なので、朗報以外の何なの?ってところでしょう。
去年の在日ロシア大使館さんは、このへんのところをコンパクトにまとめていた。地図までつけて。
まさに、これこそ重要だったわけですよ。前はそこまで考えが及ばなかったけど、このブログを書いたおかげで、毎年考えるチャンスがあって、考えれば考えるほど、この1945年8月のソ連の攻撃は本当に大きかったと思うようになった。
私は再度力説したい。関東軍が物理的に破壊されなかったら、関東軍、支那派遣軍、朝鮮派遣軍からなる日本が大陸においた勢力が、事実起こったように速やかに撤退していたかどうかは、かなり怪しい。
例えばアメリカのディープステートが、天皇いてもOKのゴーサインを出したことを受けて東京の支配層が、よかったよかった、さて戦争は終わりと言ったところで、大陸の軍人たちが総意で命令を遵守できるのか? まったく確証が持てない。
そもそも、東京の命令を無視して突っ切って他国をかすめ取ることに熱をあげて、はては、世界戦争だとか抜かしていた妄想が強い勢力なわけですから、負けてないのになぜ撤退なのだ、と言い出す気配は濃厚でしょう(負けたノモンハンは不問に付すわけだが)。さらに、そもそも、日本軍は使用に耐える軍事に使える船舶を失っている状況だから、もとより、数百万の兵隊は本土に帰ろうにも帰れない。
その状態で、誰が何をできるでしょう? アメリカが、俺は強いので俺の命令を聞け、船は出そう、といったところで、アメリカには大陸の日本軍、特に関東軍を制圧する力はない。そんなデカい作戦が可能なアメリカ陸軍は今も昔も存在しない。
航空機があれば、爆弾があれば、とか言う人は、単に戦争をわかってない。爆撃したところで、逃げる場所があったら簡単には終わらない。ながーーい時間をかけて、武器弾薬の損耗を待つ? いやしかし、フィリピンあたりと異なり、大陸内は大損害の戦闘は限定的だったので、武器弾薬はかなりのところ温存できていた(だから、日本軍の武装解除で出た兵器を国民党側にもらい受けるよう、米軍があわてて手配したという話もある)。
日本の兵隊をばらけさせて、中国の国民党軍に合流させて使うという手もあったかもしれない。兵隊を連れ帰ると面倒を起こすので、別の戦争を与えて、そこで死んでもらうという作戦・・・。日本人にとってOKなんだろうか、という気もするが。
ということで、ソ連軍が明確な戦略目標の下に、関東軍を南に追い出しながら破壊して、元に戻せなくするという大作戦を決行するというのは、考えられる限り最も合理的で迅速な戦争の終わらせ方だったと思う。
したがって、日本人にとっては癪に障る一件であるにせよ、朝鮮、中国がこれを喜ばない、正当な評価を与えないというのは、ちょっとやそっとではなく、信じられないぐらいの不名誉だった。軌道修正できたことは彼ら(韓国を除く)にとって良いこと。
去年まとめた通り。
1945年8月ソ連軍満洲侵攻作戦 by 駐日ロシア大使館

■ オマケ

で、今後の日本は、ますますナチ化して、欧州のおかしな人たちと組んでいくか、さすがにそれはヤバいと、適当にうにゃうにゃするかのどちらかを取るんじゃないかと思う。この辺で見直し、などということにはならない。
そこで、欧州のナチ勢と組む際には、おそらく、クリミアと北方領土をバーターにして、相互に支持してロシアに圧力を、とか言い出すんじゃなかろうか?
超がつくほど筋の悪い話だが、ありそう。
かなり悪相であり、実際に非道な行いをやったこともあるようだが、カトリックとの闘いの上では英雄と言っていい。人格者というのは戦いには向かないのである。

(以下引用)

ルーカス・クラーナハ『マルティン・ルターの肖像』1529年 聖アンナ教会
画像



「魔群の饗宴」を書いてから、その後に何か書きたいと思ってはいるが、まったくアイデアが出ない。まあ、単なる趣味だから無理に書く必要は無いが、まったく無為に日月を過ごすのも、少し気が飢える。もちろん、基本的にはあらゆる趣味は単なる時間つぶしだが、創作は、趣味の中では有益性が高いような気がするわけだ。誰かがその創作を読んで面白いと思えば、誰かの人生の一瞬間を充実させるメリットはあるのだから。
昔読んだ小説や未読の小説を読むのも面白い時間つぶしだが、何かを作っている時の充実感は、それとは少し色合いが違う。下手な創作でも、そういう充実感はある。

私は山田風太郎という作家を、作家としてより「観察者」として高く評価しているのだが、彼の小説自体は、読んだ後に「読書の充実感」が無いのである。つまり、それによって自分の人生に何かが加わったとか広がったという感じが無い。暇つぶしとしては実に優秀な小説ではあるが、人生の残りが少ない老人としては、「時間潰し」をしていられないという焦燥感があるから、彼の小説を虚心に味わうことができない。
そういう「時間つぶし」をするよりは、たとえばブログに雑文を書くほうがマシな気がする。それは、少なくとも「自分自身の発見」にはなるからだ。何かを書くことは、その問題(ネタ)自体を深く観照することであり、それは自分自身の脳(心)を観照することである。
甘い考えではあるが、ある瞬間に、何かの凄い発見をする可能性というのは、死ぬまで「可能性としては」あるわけだ。そういうワクワク感が、創作や思考作業にはある。それは、受動的な娯楽では得られないのだ。
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