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貸家や宿泊業というのも、新商売の余地があるのではないか。
まあ、この方面での新商売というと、貸す相手を限定して

1)老人相手に貸す
2)学生相手に貸す
3)外国人相手に貸す
4)低収入者に貸す

などがあるが、もちろん、それぞれ、「短期に貸す」のと「長期に貸す」のがある。短期に貸すのがホテルや旅館やホステルなどだ。で、実は「ラブホテル」も、特定目的特定相手に特化した宿泊業だ。しかも、宿泊どころか時間単位での貸し間だ。
で、私がこれらの中で需要があり、成功可能性が高いと思うのが、そのラブホテルなのである。老人とか外国人相手の貸家や宿泊業も需要はあるが、成功可能性は疑問だ。

さて、実は、ラブホテルは業界全体としては凋落しつつあると思う。何しろ、今どき、恋人のいない若者が多いのだから、客は減少している。
ところが、潜在的需要は膨大にあるのである。
それは、冗談抜きで言うが、「中高生」である。
これほど「性交する場所」を切実に必要としている連中はいない。にもかかわらず、「親に隠れて性交ができる場所」はほとんど無いのである。自分の部屋など、いつ親兄弟が入ってくるか分からない。休日などで、他の家族が確実に家にいないときしかチャンスは無いのである。
まあ、未成年は性交禁止という法律を作るのに私自身は賛成だが、現実には未成年の性交は容認されているのが日本であり、先進国のほとんどだ。だが、性交する機会や場所はほとんど無い。中高生は蛇の生殺し状態である。
彼らはカネは案外ある。しかし、ラブホテルなどに入る勇気は、まずないだろう。だから、カラオケ喫茶などでやって、店員につるし上げられたりするわけだ。あるいは、学校の体育具倉庫とか、トイレとかでやる。ロマンチックさのかけらもない。
そこで、たとえば、一人住まいをしている級友のアパートなどがあれば、当然、そこが友人一同のセックス天国となるわけだが、そんな都合のいい級友もいない、というのがほとんどだ。

そこで、空き部屋のある一軒家を持っている人には、商売のチャンスである。中高生向けに、「そういう場」を提供して、1時間2000円くらい取ればいいのである。まあ、無許可の宿泊業は法律違反だろうが、「レンタル勉強室」という名目にでもすれば、可能ではないか。
2000円出せば、1時間は完全な密室が得られる、となれば、そこを「そういう目的」で借りる中高生が続々と出てくるのは自然の勢いだ。
これを不道徳と言うなら、中高生は性交禁止、というのを厳密に取り締まればいいのである。
大人が未成年を相手に性交してはいけないが、中学生どうしはいい、とかいう理屈は成り立たないだろう。中学生だろうが、未成年相手の性行為は「傷害罪」適用でいい。

ということで、以上が、需要は膨大にあるが、商売としては可能かどうかは分からんよ、という新商売の話である。

真面目な話をすれば、外国人相手の低料金宿泊所なども需要はあると思う。だが、認可を得るのが面倒そうだ。オリンピックに向けてこれを簡便化するという考えが政府にはあるようだが。



(追記)参考までに


民泊 管理者置けば届け出で営業可能に
5月13日 4時06分

住宅の空き部屋などを有料で貸し出す「民泊」について厚生労働省と観光庁は家主が同居していなくても管理者を置くことを条件に都道府県への届け出を行えば営業を認める方針を決めました。

住宅やマンションの空き部屋を有料で貸し出す「民泊」を巡っては、外国人観光客の増加で宿泊施設の不足が深刻となる中厚生労働省と観光庁がルール作りを進めています。先月からは「民泊」をカプセルホテルなどと同様に旅館業法で「簡易宿所」と位置づけ、貸主が都道府県から許可を得れば営業が認められるようになりました。

このうち、一般の家庭で受け入れる「ホームステイ型」については家主がいるため宿泊者の安全管理がしやすいなどとして、今後、許可制ではなく都道府県への届け出だけで認める方針です。

さらに「民泊」を広げるため厚生労働省などは家主が同居していない場合でも管理者を置くことを条件に、旅館などと競合しないよう営業日数の制限を設けたうえで、「ホームステイ型」と同様に都道府県への届け出を行えば営業を認める方針を決めました。管理者は近隣とのトラブルの対応や宿泊者の名簿の作成などが義務づけられるということです。

厚生労働省と観光庁は今後、インターネットなどで仲介を行う業者への規制について検討することにしています。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160513/k10010518831000.html



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パソコン麻雀ゲームで二度目の役満上がった。緑一色。48000点。これ、普通の役満よりでかい?
なお、上がるまで、普通のホンイツだと思っていた。
娯楽の要素を「ギャンブル・スポーツ・鑑賞」と規定してみたが、これからの娯楽商売を考える上で一番大事なのは、「庶民にはカネが無い」ということだろう。
ここから出てくる帰結は

1)安い大衆娯楽を発明する
2)金持ち用の新しい娯楽を考える

の二つとなるが、後者には当然高額の資本金が必要になるから、考えるまでもない。ゴルフ場などが廃れているのを見ても、今の金持ち相手の娯楽商売は困難だ。だから、闇カジノなどに手を出す金持ちが出てくるのである。金持ちにふさわしい娯楽が無い。流行っていないゴルフなどをしても空しく思うのだろう。
庶民相手の安価な娯楽について考えてみよう。
「ボーリング」や「麻雀」はなぜすたれ、「カラオケ」や「パチンコ」はなぜすたれないのか。
いや、ボーリングなどはまだすたれてはいないだろう。若者だけの場になってしまっただけだと思う。かつてのように老いも若きもという娯楽ではなくなり、「大人」は行きにくいものとなった。それは「流行りではない」からだ。ゴルフと同様である。ディズニーランドも「流行り」ならば大人も行くが、流行りでなくなったら、大人は恥ずかしくて遊園地など行かない。
「麻雀」は、時間拘束が長すぎる。一晩ぶっ続けでやらないと麻雀は面白くないし、今どき、そんな時間の余裕のある庶民はいない。面子を4人探す苦労が大変だ。他者とのつきあいで毎日気苦労があるのに、個人的な時間まで他人とつきあいたくない、という若者も多いだろう。恋人やセフレとのつきあいは、性欲というエンジンがあるから別である。
「カラオケ」がすたれないのも、そこには「男女関係のいい機会」という要素があるからだろう。しかも、「密室」だ。男女の絶好の発展場である。
「パチンコ」は言うまでもなく、カネが儲かるかもしれない、という射幸心がエンジンである。
つまり、これから儲かる娯楽関係の新商売には「性欲の満足につながる」か「射幸心を刺激する」かのどちらかの要素があれば、かなり成功確率は高い、と言えそうである。
前者は法に触れる可能性があるし、後者も法律すれすれだ。抜け道は、「甘納豆くじ」のような子供相手の「ギャンブル」だろうか。もちろん、単純な運任せだけのゲームではなく、そこに「頭脳と経験で勝率が上がるシステムを組み込む」などのバリエーションも考えられる。
ネットを使って、壮大な「仮想野球世界」を作る、(小説「ユニバーサル野球協会」のネット版)というのも面白いのではないか、と思うが、これは構築したり商売化したりするのにカネがかかりそうな案だからここでは考察しない。
実は、「鑑賞」というのが現代のもっともポピュラーな娯楽である。つまり、「スポーツ観戦」だ。野球やサッカーをテレビで見ることだ。相撲やボクシングなどもある。これらは、一番安価で楽な娯楽だが、これを使って金儲けをするのは大資本にしかできない。
ただし、「便乗商売」はできる。ダフ屋や飲み屋(酒を飲むのではなく、ギャンブルのノミ屋である。)などだ。もちろん、これは違法行為だから、お勧めはできない。鑑賞することだけが庶民にできることだ。あるいは、自分自身がそのスポーツをやればいい。草野球などだ。
結局、手軽に始められる娯楽商売というのは

1)たいして儲からない(相手が子供だったりする)
2)法律に触れる

のどちらかになるだけ、かと思われる。

「刑事コロンボ」第二回を見た。
驚いたことに、監督はジャック・スマイト(のちに映画「ダーティハリー」シリーズの一つを撮っている。)。ゲストスターが、これも驚きだが、スザンヌ・プレシェット。さらに驚きだが、音楽はヘンリー・マンシーニであった。
馬鹿馬鹿しい値段で売られているものの例として医薬品と食品を挙げたが、特にコンビニの弁当など、あの値段で買う人がいるのが驚異である。つまり、家で料理をするのが少数派であるような時代になっている、ということだろう。英国(ロンドン)での見聞では、表通りの店の3軒に1軒くらいはファストフードの店か食堂であり、スーパーなどで買われている食品は生鮮食品ではなく冷凍食品のほうが多いようだ。日本もそれに近づいているのだろう。デフレ社会、低給与社会では外食産業が衰退する、と私は考えていたが、それは逆で、「家庭」を持たない「孤立(個立)社会」では、自分で料理する余裕すらなくなるようである。多少安いかどうかより、「買い弁」「宅配」「ファストフード」のほうが時間の節約になる、ということだろう。それが病的状態であることは言うまでもないが、この趨勢はなおも続くか、より悪化する、と見るのがいいだろう。
さて、我々の生活の中で、食と健康に関する商売はまだたくさんあるだろうが、見落としは後で補足することにする。次は「教育」と「娯楽」だ。

塾などの「教育商売」も、カネがさほど無くても始めることができる商売だが、これも今後は難しいのではないか。いや、やりようによってはいくらでも稼げるとは思うが、私は「教育で稼いではいけない」という考えなので、考察対象にはしない。「儲かる教育商売」とは詐欺の一種に近くなると私は見ている。

では、娯楽はどうか。これは、人間が生きている以上、絶対的に必要なものだし、「恋愛」や「セックス」を娯楽の一種と見てもいいだろう。もちろん、倫理意識の強い人間には我慢がならない考えだろうが。
現在の状況は、ゴルフやスキーに代表される「カネのかかる娯楽」が衰退していて、ネットゲームなどで遊ぶという「カネのかからない娯楽」に駆逐されつつある、と大きく言えそうだ。つまり、庶民にカネが無いのだから、庶民はゴルフやスキーには行けない。庶民が来ないと「絶対数」が足りないからそうした娯楽産業は衰退する。世の中に「超金持ち」が少数いても、彼らの数だけではゴルフ場やスキー場は維持できないのだ。払う料金は金持ちも庶民も同じだから、庶民が一人も来ない娯楽施設は倒産するしかない。
まあ、私にはそうした衰退産業(特にゴルフ場)を改革するアイデアも少しはあるが、これらはもともと大きな資本金を必要とする商売だから、ここに書いても無意味だろう。

娯楽というのは面白いもので、何でも娯楽になる。つまり、カネが無いから娯楽が無い、というのは想像力の欠如した人間の言うことだ。ただ、それを「商売」にするとなると、カネが必要となってくるわけである。しかもたいていは大資本が必要だ。だが、そうでない例もある。
簡単な例を言えば、昔は「駄菓子屋」というのがあって、そこに「くじ引き」付きの甘納豆などが売っていた。当たりが出たら、子供だましの景品がもらえるのだ。子供のころの私はこれに夢中だった。いつか一等を当てるのが夢だったわけだ。
これは大人がパチンコをやり、競馬をやり、宝くじを買うのと何も変わらない。「合法的ギャンブル」なのである。違いは、大人は子供だましの景品など欲しくはないから、「甘納豆くじ」は買わない、ということだ。だが、原理は同じである。しかも、小資本でできる。
たとえば、ゴルフなど、ゲームの実体は「子供の遊び」である。地面に掘った穴に小さなボールを入れるだけのことだ。それにいい大人が夢中になり、高いクラブを買い、高い料金を払ってプレーをする。
素人からプロまで、スポーツにおいて自分の技術を磨き、それをプレーで確認する喜びは共通だ。そこがギャンブルとスポーツの違いでもある。ギャンブルは運任せである。
スポーツ性とギャンブル性が娯楽の柱だろう。
もちろん、単なる「鑑賞」という娯楽もある。ストリップを見るのは、あれは鑑賞なのか? それとも別の意図があるのか、私には分からない。ああいうのを見たがる男どもの気が知れない。だが、絵画鑑賞は高級な趣味で、ストリップ鑑賞は低劣な趣味だ、という区別も、我々を自由な考察から疎外する障害としての「常識」だろう、ということを指摘しておきたい。ついでに言えば、「自分の体に自信のある女は裸を見せたがる」ものだし、そういう女性の中で、性的アピールでカネを稼ぐことへのためらいを持つ女は少数派だろう。体でカネを稼ぐというのは女の武器だし、男でもそういう「色を売る」男も珍しくない。ただ、これらは犯罪や犯罪組織、人生の破滅と常に隣り合わせの商売である。ギャンブルのほうが、まだ健全な娯楽だと言えるだろう。

以上、(ギャンブル、スポーツ、鑑賞)という娯楽の3要素を考察してみたが、もちろん、「商売」としての考察はまだである。それを次回にやってみたい。


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