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第七章 ビエンテの夜

 

「まずは旅籠じゃな。ビールでも一杯やって疲れを直そう」

 ゆったりと馬を歩ませて町に入りながら、ジグムントは言った。汗と埃にまみれた顔は、早くも喉を通るビールの味を想像して、弛んでいる。こんな時代にビールがあったのかと疑う、作者の私よりも無知な読者のために言っておくと、ビールは紀元前から知られた飲み物である。ただし、もちろん、冷蔵庫でキリキリと冷やされたビールなどというものは無い。良く冷やされたビールを飲む喜びは、下戸どもが何と言おうと、現代に生まれた大きなメリットの一つである。

 ビエンテの町は、他の町に比べて裕福らしく、石造りや煉瓦造りの立派な家が多い。しかも、道路に砂利が敷かれているのにフリードは驚いた。ローラン国の首都でも、道は土のままで、雨がふるとひどいぬかるみになるのが普通である。

「この道では、馬には少々可哀想じゃな」

 ジグムントは呟いて馬から下りた。フリードたちもそれに習う。

やがて、フリードたちは旅籠を見つけ、中に入ってビールを注文した。

「さすがにくたびれたのう。これで風呂に入れれば、ぐっすり眠れそうじゃ」

 ジグムントは生ぬるいビールを三杯飲むと、すぐに酔いが回ったらしく、先に部屋に引き上げた。

 フリードとマリアは言葉少なに夕食を終え、それぞれの部屋に入った。フリードとジグムントは同じ部屋だが、マリアの部屋は別に取ってある。

 その夜、フリードの部屋の扉が小さくノックされた。フリードはベッドから起きて扉を開けた。マリアが外にいた。

「お話があります。私の部屋に来てください」

 フリードは胸をどきどきさせながらマリアの部屋に行った。

 マリアは、しばらくためらっていたが、やがて思い切ったように言った。

「フリード様は、私がお嫌いですか?」

「い、いいえ、嫌いだなんて」

「では、私を抱いてください。それとも、山賊などに汚された女の体を抱くのはお厭ですか」

「まさか、そんな事は考えたこともありません」

「わたしは、フリード様が好きです。でも、私はこのような汚れた身。山賊から救われたお礼をすることもできません。せめて、もし、お厭でなければ、私の体を自由にしてください」

「そんな、あなたは汚れてなどいない」

「ならば、どうぞ……」

 マリアは言葉をとぎらせた。

 マリアの申し出を断るのは、かえってマリアを傷つけることだと、フリードにも分かった。

「本当に、いいのですね」

 フリードは、マリアをベッドに横たえ、その耳元に囁いた。

「ええ……」

 マリアは恥ずかしそうに言った。

 月光が、窓から差し込んでいる。

 その光の中で、フリードはマリアの着ているものを脱がせた。

 真っ白な裸身が彼の前にある。神々しいばかりに美しいとフリードは思った。

……

以下、元の文章ではおよそ一ページくらいのエロシーンがあったのだが、この文章が公表されると作者の幼い娘たちに対して父親の威厳が保てなくなるので、残念ながら割愛する。読者は、自分で想像するように。

……。

フリードはすっかり満足して、大きく溜め息をついた。

マリアは裸の上半身をベッドの上に起こしてフリードにやさしくキスし、呟くように言った。

「これで、少しでもお礼になったかしら。でも、もうすぐでお別れなのだから、こんな女の事など忘れてね」

「忘れるもんか。マリア、パーリャに着いた後も、会って貰えないか」

「分からないわ。お父様やお母様が、どうするか」

  夜が明ける間際まで、フリードはマリアと共にベッドの上にいた。若いフリードだから、最初の交合の後すぐに元気を取り戻し、二度、三度とした事は言うまでもない。

 名残を惜しみながら自分の部屋に戻ると、同じ部屋で寝ていたジグムントが声を掛けた。

「どうだったかな。マリアとうまくいったか」

 フリードはどぎまぎしながら闇の中で頷いた。

「え、ええ」

「若いというのはいいのう。だが、お前さんたちが結ばれて良かったわい。パーリャに着くまでお前があの子に手を出さなければ、よっぽどわしが頂こうかと思っとった。あんな美人を目の前にして手を出さんのは、間抜けだぞ。その点、あの山賊どもの方が余程賢いわい。欲しいくせに我慢する、その我慢で何がどうなるのじゃ。食いたい物はさっさと食わねば、二度とあるとは限らん。それがこの世の真実というものだ」

 ジグムントは起きあがって、言った。

「さて、わしもマリアにお願いしてみようかな。お前たちのせいで、何だかむずむずして、このままでは寝られぬ。あの子が厭だと言えばそれまでの話。言ってみる価値は十分にあろう。それとも、お前はそれを止めるか?」

 フリードは、あっけにとられた。ジグムントのような老人が、まさかこんな事を言い出すとは思いもしなかったからだ。

「い、いいえ。それはマリアの気持ちしだいですから」

「そうかな。それがお前の本心だとはわしには思えん。だが、お前がそう言うなら、そうしておこう」

 ジグムントは部屋を出て行った。

 残されたフリードは、呆然と佇んでいた。まさか、自分の保護者だとも理解者だとも思っていたジグムントが、このような仕打ちをしようとは。しかし、マリアがあのような老人を相手にすることはあるまい、と考えて、フリードは自分の心を慰めた。

 だが、ジグムントはそのまま二時間ほども帰ってこなかったのであった。

 

第八章 男と女についての思弁的駄弁

 

 翌朝、遅い朝食の席で、フリードは、マリアと顔を合わせる事ができなかった。昨夜の自分との間の出来事よりも、その後ジグムントとどうなったのかが気になって、マリアの顔が正視できなかったのである。その心理は、自分でもよく分からない。マリアが、自分に対して恥ずかしいだろうから、彼女の顔を見るのが悪い気がするのか、それとも、そんな事を気にする自分の心がちっぽけで恥ずかしいのか。

 ジグムントは、帰ってきてからも、何があったかは、意地悪く、言わなかった。今朝もいつも通りに、いや、いつも以上に上機嫌で、マリアに冗談口など叩いているが、マリアとジグムントがいつもより馴れ馴れしく見えるのは、自分の気の廻しすぎなのだろうか。そんな事を考えていると、フリードは自分が厭になってきた。

 もしもマリアがジグムントと寝たのなら、こんな誰とでも寝るような女など忘れてやる、とフリードは幼稚な決心をした。彼のために弁護するなら、男というものは、女の純潔や貞潔を神聖なものと思い、女が自分のためだけの物であることに異常なまでの誇りと喜びを感じるものであり、トルストイの「クロイツェル・ソナタ」に見事に描かれているように、自分の女と信じていた女の「裏切り」ほど男を絶望させるものはないのである。

女性は、その時の自分の感情がすべてであり、性的な情熱の前では、いかなる道徳も女を縛れない。だからこそ男の作った道徳は、女を縛り付けることに重きを置いているのである。たとえば、中近東あたりでは、男が女の体に触れる事を厳しく戒め、買い物の釣銭の受け渡しすら、手渡しはしないという。これは、女性が肉体的な接触に興奮しやすいものであることから来ているものであり、昔の人間は、女性をそういう誘惑から遠ざけることで道徳的な危険性から守っていたのである。これはある意味では一つの叡智だが、女性を縛り、苦しめるものでもあった。女が性的に解放された現代では、逆に男が自らの偏狭な「倫理」によって苦しむ世の中になったわけで、昔、女を苦しめたつけが男に回ってきたわけだ。

男は愛する女が過去にも未来にも自分ひとりだけのためのものである事を望むが、女にとっては、今この時に男が自分を愛し、自分に尽くし、自分に服従してさえいればいいのである。女性はむしろ浮気な男の心を自分に向けさせることに情熱を傾けるものである。どちらかといえば、堅物の男よりも浮気者の男の方が女にはもてるものであり、この事をバルザックは「女というものは、他の女が興味を持たないような男には興味を持たないものだ」と言っている。

女性は概して、自分自身の考えよりも他人の評価を重んじるものである。(ただし、世の亭主たちは知っているとおり、自分の亭主の意見にはまったく耳を貸さないものだが)他の女の目から見てから評価されない男は、男として価値が無いと、女性は心の奥底では考えている。したがって、一人の女にもてたければ、人気者になって女全員にもてねばならない。もっとも、これは一般論であって、中には世間的評価と関係なく男を好きになる女もいるにはいるし、ヤクザのような最低の人間を好きになる女は数え切れないほどいる。(このことは、女性が世間の道徳よりも、男の「力」を重んずることの証でもある)つまり、女が興味を持つ対象になるかどうかは、恋愛の出発点にしかすぎないのである。男でも、美貌に恵まれているというだけで女たちから興味を持たれる存在になることはよくあるが、そういう人間が本当にもてているとは限らない。このことは、女に本当にはもてたことがない作者が保証する。数学的に言えば、この事から作者は美貌であることに……ならないか。

女にもてる男というものは、結局は女好きな男、女にまめな男に限られるのである。相手が自分に欲望を持っているからこそ、女性もその男を好きになるのであり、女より本やテレビゲームが好きな男が女にもてるわけはない。ついでに言うならば、一般の女にもてない作者も、自分が興味を持った女性(というのは、たいていは美しい女性だが)からは、自惚れではなく、なかなか好感を持たれるのである。しかし、作者は家庭が何よりも大事なので、それ以上に進めないというのが辛いところだ。

 このような脇道に話が逸れるのを嫌う向きもあることは知っているが、私は小説の良さとは作者とのお喋りにあると信じているので、このような十八世紀イギリス小説風の無駄話が時折出てくるのは許して頂きたい。スターンだったか、「脇道こそ小説の太陽である」とか言っているが、まったくそうだと作者は考えているのである。

 ついでに白状しておくと、この小説の書き方もまったくスターン流で、つまり「最初の一筆は作者が書く。しかし、その後どうなるかは神のみぞ知る」というもの、要するに、何の構想も当てもなく、思いつくままに書いていくだけである。しかし、もしもこの小説に何か自由で気楽な雰囲気が感じられるならば、それはこの書き方が小説の神様の神意に叶っているせいだろう。まったく、世の中に見事な小説は腐るほどあるが、作者自身が楽しんで書いている小説は、滅多にないのではなかろうか。そのせいで、「上手いが面白くない。ケチのつけようはないほど見事だが、さっぱり楽しくない」という小説がやたらに多いのである。かの夏目漱石も、「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」の頃は、作者自身が楽しんで書いている事がはっきり分かるが、その後の真面目小説になると、明らかにその楽しさは無くなっている。

おそらく、その真面目小説のお陰で彼はちゃんとした作家であると認められ、教科書にも取り上げられるような文豪となったのだろうが、山田風太郎氏などのように、彼の傑作は「猫」と「坊ちゃん」である、と断言する慧眼の士もいるのである。

ついでに、そういう事が気になる向きに教えておくと、マリアは実際にジグムントと寝たのであった。詳しくは次の章で述べるが、彼女は、山賊たちに拉致されるずっと前から、ほとんどが強姦される形ではあったが数回の性体験はあり、山賊の女とされた経験の後では、自分の貞操などというものにはもはやまったく価値はないと考えていた。だから、自分の体が欲しいという男がいたら、それがよほどいやな男でない限りは、誰にでも自分の体を提供する考えになっていたのである。

見かけと実際のこうした食い違いは世の中に結構あるものであり、まったく手の届かない清純な美女と思っていた女が、案外簡単に男に身を任せるという事は多い。ある人物の客観的価値と、本人の自己判断による価値とは別物なのである。そのために、下品なブスが、自分をとんでもない高値で売ることに成功することもあれば、天上的な美女が、つまらない男にあっけなく身を任せることもある。いや、女性は、自分を望む男に身を任せるのが常だから、強引で卑しい男ほど、美女を手に入れるものである。ゲーリー・クーパーのようなシャイな美男子が美女を手に入れるのは、ハリウッド映画だけの話である。

ある昔の漫画の中で、美女に惚れた醜男を慰めて、その友人が、「あきらめてはいけないよ。だって、あの人は悪趣味かもしれないじゃないか」と言うのがあったが、確かに相手が悪趣味なら、ブスや醜男の方が有利かもしれない。要するに、自分の主観だけで最初から決め込んでしまってはいけないということである。

さて、脇道が思いがけず長くなった。しばらくはこのような無駄口は叩かず物語の進行に努めるつもりなので、真面目な読者は安心して貰いたい。








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