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起床前の朦朧とした思考の中で、次のような思考連鎖があった。

・私は10歳11歳のころの記憶がほとんど無い。それはなぜか。

・その頃の記憶はただ、M・Eという少女への片思いしかない。
              
・しかし、その片思いの具体的な情景の記憶はほとんどない。

・彼女は私にとっては唯一の光源だった。それ以外は闇。
(you are my sunshine , my only sunshine)というわけだが、当時の私にとって彼女は太陽と言うよりは、闇の中の灯か。私は石の下のワラジムシのようにまどろみ、夢の中で朦朧とひとつの光源を見ていたようだ。


実はその前に、朦朧思考の中でひとつの歌を作っていたのだが、それは以前にも作りかかって投げ出していた歌のように思う。その一節が(through the summertime)というもので、歌のイメージとしては、子供が家の戸口で外界を眺め、夏の情景を味わっている、というものだと思う。そこからの連想で、なぜ自分に10歳11歳くらいのころの記憶が無いのか、という思考につながったのだろう。歌の出だしが、たしか「I was an eleven boy」という、英文法的にはどうかと思われるものだったが、とりあえず記録だけしておく。eleven years oldでは曲に合わないのである。

M・E関連の思考から、幾つか思考連鎖があったかもしれないが、覚えているのは次のような思考連鎖。


・(コーヒーの)モカの味と匂いはラッカーを連想させる。

・ラッカーと言えば、「ラッカー行進曲」。

・「ラッカー行進曲」の中に出て来るイギリスの挿絵画家の名前は何だったか。名前の中に「ラッカー」という語が含まれていたが。


で、そのあたりではっきりと目が覚めてしまって、しばらく考えていたが、ラッカー行進曲の一節「クラック・ラック・ラックラー」は「クラック」と言っているのだから、何かを「壊せ」そして「ラック」は「ラッカーせよ」つまり、自分の嫌な記憶を壊し、それに新しい色を塗れ、と言っているのかもしれない、と今思いついた。とすると、この「ラッカー行進曲」が出てきたのは(もちろん大島弓子の)「いちご物語」だったのかもしれない。あの話の中に、主人公が自分の嫌な記憶を消したい、と泣く挿話があった。(まあ、作品が何だったかはここでは関係はないのだが、)「記憶を消す」という点では、一番最初の思考連鎖と潜伏的なつながりはあったのかもしれない。


(追記)なぜ唐突に「モカ」が出てきたかと言うと、実は昼間に、挽いたコーヒーを買ってきたので、その保存をどうするか気にかけていたからだろう。買ったのはモカではなくブレンドだが、私はモカが好きなのでコーヒー豆のことを考えると自動的にモカを連想するわけだ。モカという存在が「夢中思考」に出てきたのは、昼間の経験が夜の夢(潜在意識)に投影されるという、アニメ「銀河鉄道の夜」のモチーフと同じである。


(追記)念のため調べてみると、あれこれ間違っている。まず「ラッカー行進曲」は「いちご物語」ではなく、「ヒー・ヒズ・ヒム」に出てくる歌で、「クラック・ラック・ラックラー」というフレーズは無い。しかし、「いちご」は歌の中に出てくるから、朦朧思考の中で「いちご物語」と私が結びつけたのだろう。






― ラッカー行進曲 ―



今日の苺はラッカのかおり

今日の苺はラッカのかおり

シェラック ラッカラッカ

シェラック ラッカラッカ

アーサーラッカムラッカはぬらぬ

苺にぬらぬ

だけど今日はラッカのかおり

いまやイチゴはすごいかがやき

ひとくちかじればWA…O…O…O…N

WAOOOON

WAOOOON

シェラックラッカラッカ

シェラックラッカラッカ

(くりかえし)

つづきです



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