バトル漫画は誰でも知っているだろうが、バトル小説は聞いたことが無いだろう。それは当然で、基本的にバトル小説というものは存在しないからである。まあ、それに近いのは吉川英治の「宮本武蔵」と、その亜流の時代小説群くらいのものだろうが、それらも、バトル漫画とは違って、戦い以外の場面やストーリー展開の比重が大きいため、実は「バトル小説」とは言えない。「バトル小説」に一番近い「眠狂四郎」シリーズだって、決闘場面だけというわけにはいかず、そこまで行くのに紙数をかなり費やすのである。それを言えばバトル漫画だって戦い以外の場面もあるだろう、と言うだろうが、比重が違う。バトル漫画の戦い以外の場面は仲間とふざけあうか修行をするだけだ。それで済むのは、読者層が実年齢が低いか精神年齢が低いからである。
そして、戦いの場面の描写では、視覚芸術である漫画が小説より有利であるのは言うまでもない。小説の場合は、どうしても読者の想像に任せるしか動きの描写はできないのである。
そして、「敵」の描写においても漫画が有利だ。新しい敵を創造する場合、ビジュアル的に違う敵を出せばだいたい済むからである。(昔は、強大な敵を表現するのに、まさに身長や体重が常人の2倍も3倍もある巨人を出すことが多かったのは、漫画がまさにビジュアル性が生命だったからである。)
そして、戦いの場面の描写では、視覚芸術である漫画が小説より有利であるのは言うまでもない。小説の場合は、どうしても読者の想像に任せるしか動きの描写はできないのである。
そして、「敵」の描写においても漫画が有利だ。新しい敵を創造する場合、ビジュアル的に違う敵を出せばだいたい済むからである。(昔は、強大な敵を表現するのに、まさに身長や体重が常人の2倍も3倍もある巨人を出すことが多かったのは、漫画がまさにビジュアル性が生命だったからである。)
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