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ネットテレビでロバート・ワイズの古い作品である「地球の静止する日」を見ているのだが、非常に示唆的な内容で、メモするためにストップしている。
おそらく、ほとんどの人は当時のSFX技術の幼稚さを馬鹿にして、この作品の持つ様々な含蓄に目もくれないと思う。それ(古い作品への馬鹿げた蔑視)が現代の映画やアニメの多くを幼稚にしている原因だ。表現技術と、内容の哲学的深さはまったく別である。
特に私が注意したのは、「文明が高度に進んだ星(文化)では、戦争は存在しない」という、これまでも多くの思想家がおそらく考えた事柄である。これは当たり前の話であり、戦争という、文明と文化と生命を破壊するだけの行為がなぜ現代まで続いているかと言えば、戦争で利益を得る少数の人間が政治を主導しているからにすぎない。(戦争によって科学は進歩した、とか、戦争のもたらす社会全体への経済効果というのは、詭弁である。それらは、戦争で失われたひとつの生命にも値しない。簡単な話、その生命があなた自身のものならどう思うか。)
それはともかく、ここでメモしておきたいのは、この映画に出てくる、「高度な文明を持つ異星人が地球人観察のために庶民に紛れ込んで生活する」という話である。いわば、手塚治虫の「W3」であり、最近ではネットフリックスの「ミッシング3」にもそれに近い部分がある。ただし、後者は、単に亡命のために地球で地球人の姿をとって生活する、というだけで、哲学性はゼロで、幼稚であるから見ていて飽きる。まあ、子供向けだろうから仕方がない。
私が書いてみたいと思ったのも、「地球人に化けて庶民の間で生活している高度文明の異星人」の話である。ただし、その高度な文明の代償に、彼らは「感情」というものを持たないし、非合理的な行動が困難である。(「寄生獣」で、主人公が、死んだ犬か何かをゴミ箱に捨てる、というのもそれに近い。つまり、死体を特別視する理由が彼には分からないのである。)その「彼」を、地球人の平凡だがとても優しく善良な女の子が好きになり、「彼」も戸惑いながらその子とつきあううちに、「感情」を理解し、「恋」と「愛」を知り、地球を滅ぼすべきかどうかという調査に「滅ぼすべきでない」というレポートを送る、という話。
つまり、平凡そのものの一少女が、知らず知らずのうちに地球を救うという話である。
ただし、高度文明の、感情を持たない「人間」が、様々な場合にどういう振る舞いをするか、ということをキチンと考えないと愚劣な作品になるだろう。たとえば、その文明では「性行為」はあるかどうか、など。「バーバレラ」式のセックスというのも面白いかもしれない。



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