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光とは何か、についても疑問が再燃したので、ウィキペディアから転載しておく。
もっとも、ここで言う「波」の説明もほしいところだ。最初は粒子説と波動説が科学界を二分していたのも、波は粒子ではない、という考えが確固としてあったからだろう。つまり、波とは「存在」ではなく、「動き(ある存在の動き方)」だとされていたのではないか。だからこそ「波動」と言ったのだろう。まあ、これは物理音痴のたわごとだが、私には波の定義が分からないのだから仕方がない。だが、その考え方だと、波動説を採る場合、その「波動の本体は何か」というのが問題になるのではなかったか。海の波なら、水(海水)が本体で、その動きが波だという、とても分かりやすい話だ。しかし、光が波なら、その本体は何か。そこで、「エーテル」というものが宇宙空間を満たしている、という考えも出てきたわけだろう。
で、その「エーテル」説は、完全に排除していい考え方なのか、私にはそれも疑問に思える。宇宙が真空だとしたら、宇宙のあらゆる存在は、その真空に外皮をどんどん剥ぎ取られて消滅していくのではないか。つまり、あらゆる星々が真空の中にあるというより、エーテルの中にあるという考えの方が私には自然に思える。もちろん、空気などとはまったく異なる、他者にまったく影響を及ぼさないような気体であり、その気体の粒子も無い。

(以下引用)


粒子説と波動説[編集]

「光は粒子なのか? それとも波なのか?」 この問題は20世紀前半まで、大きな問題として科学者たちを大いに悩ませた。なぜなら、光が波であるとしなければ説明できない現象(たとえば光の干渉分光など)と、光が粒子であるとしなければ説明できない現象(たとえば光電効果など)が存在していたからである(詳細は後述)。

この問題は、20世紀に「量子力学」という分野が確立していく中でようやく解決することになった。不確定性原理によって生じた問題を説明するために1927年ニールス・ボーア相補性という概念を提唱したことで解決した。一方を確定すると他方が不確定になるような2つの量というのは、互いに補い合いあうことにより対象の完全な記述が得られる、とする考え方である。

「光は粒子でもありでもある。粒子と波の両方の性質を併せ持つ、量子というものである」とされるようになり、「光は〈粒子性〉と〈波動性〉を併せ持つ」とも表現されるようになった。

近年では、光の粒子性に重点を置く場合は「光子」、波動性に重点を置く場合には「光波」、光が粒子と波の二面性を持った量子である、という点に重点をおく場合は「光量子」と呼ぶ。

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