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漢文を読む時に危険なことは、漢字一文字を、それを使った熟語から判断することである。
宮崎市定は東洋史学では優秀な学者だと思うが、彼が訳した「論語」の中にはかなり独断的で首をひねる解釈が多い。
たとえば、「因」を「因循」としている類だ。「因循」の中心語は「循」であり、これは「循環」が「回る」意味であり、堂々巡りであることを考えれば、「因循」とは「原因となる何かが繰り返される状態」であり、ポイントは「循」の字にあることが分かる。つまり、「因」だけでは「因循」の意味にはなりようがないのである。一回きりの現象にも「原因」はあるだろうが、それが繰り返しにならないと「因循」にはならないのである。つまり、「因循」の中心語は「循」であり、「因」一字では「因循」の意味とすることは不可能である。

「君子不器」を「君子は器械であっては困る」と訳したのも同様であり、孔子の時代に「器械(機械)」など存在しない。器は器(うつわ)以外の何物でもない。要するに、何かひとつの用途にしか使えない人間、あるいは容量の決まっている人間ではいけない、ということだろう。

魅力のある女性の形容として「素もって絢(あや)となす」の「素」を「白粉(おしろい)」とするのもおそらく間違い。「素顔のままで絢爛たる美しさがある」ということだろう。

まあ、文学的センスの無さの故かと思う。
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