#1 山は流れ、水は流れず
本の読み方にもいろいろあるが、本の中の一節だけを読むのも、読書の意義は十分にあると私は考えている。ショーペンハウエルが批判しているような、自分ではまったく考えず、自分の頭を他人の思想の運動場にするような読み方も若い頃には悪くはないが、本に書かれたことをヒントにあれこれ思いをめぐらせるほうがずっと面白いものである。
哲学書の類も、そうした読み方をするなら気楽に楽しく読めるのではないだろうか。鴎外も漱石も言っているように、どんな偉人だろうが我々のちょっと偉い者にすぎないので、何も最初から恐れ入り、畏まって読む必要はないのである。
「山は流れ、水は流れず」は、道元の「正法眼蔵」の中に出てくる言葉らしい。私がそんな書物を読むわけはないが、ある解説書にそう出ていた。その本自体は真面目すぎて面白くなかったが、この言葉は面白いと思った。これは仏教を学ぶ心得を述べたもので、まず「山流、水不流」を心に置くところから入れというのである。たとえば魚にとっては、水は宮殿であり、高楼であって、流れてはいない。人間にとっての美人は動物からは怪物だ。そんな風に、あらゆる我見や差別相を離れて物を見ることが仏教の第一歩だというのである。
言うは易く行うは難しで、この言葉を知っても我々が物にとらわれる気持ちを無くすことはなかなかできないが、少なくともこの言葉を思い出した時にはしばらくは煩悩から逃れることもできそうだ。気ままな、断片的読書にもこういう効用はある。
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