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私は「ベルセルク」に出てくるような大剣が大嫌いなのだが、あれだけの大きさの鉄だと重量的に操作性が非常に低下するのは理の当然だと思う。
下のツィートに出てくる動画(GIF)だと大剣(実質的にはロングソード程度だろう。)をバトントワリングみたいにグルグル回す、つまり遠心力を利用して剣の動きを維持する操作を行っているが、そんな動作は実際の闘いでは簡単に隙ができるだろう。剣が後ろに回り始めた瞬間に切り込まれたら、その回り始めた自分の剣の動きを止めることも不可能なはずだ。つまり、無抵抗に斬られることになる。
西洋のRPG的作品での大剣を使った殺陣というのは、そういう不合理性がある。花相撲みたいなものだ。
ローマ兵の主武器は(集団での激突時の槍のほかは)ほとんど短刀に近い長さの小刀だったことの意味を誰も分かっていないから、馬鹿げた大剣がRPGやその種の洋画に溢れるのである。
なお、一軍の大将が部下への威厳を示し、敵を威嚇するなどのために大剣を所持することはあったかと思う。



Flagalac
@Clarento
「大剣は重量で叩き切る武器」という説はよく耳にしたが(そういえばロングソードも同じような話が...) ... まぁ、確かにロングソードなどと比べると重さはあるが、それはあくまで比較の話 なぜか分厚く重い鉄の棒のような存在と勘違いしてしまった人は多いらしい



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山岸凉子の「汐の声」という題名の作品だったと思うが、子役俳優の「使用期限」を延ばすために事務所だか母親だかがその子役に成長抑止剤を飲ませて、その少女は子供の身長のまま老婆になる、という話があったが、それに近いことを芸能界というのは平気でやるようだ。芸能人の麻薬使用癖も案外事務所がその芸能人の弱みを握っていいようにコントロールするために意図的にその誘惑にさらしているのではないか。


きたがわ翔
@kitagawa_sho
なんでも鑑定団を見ていたらフィンガー5のアキラがお宝持って登場。その際彼らのヒストリーで、アキラの声変わりを恐れた事務所が女性ホルモンを打とうとして拒否した、とか凄いことサラッと言っててアワアワとなった(;´Д`)
単なるメモである。
私は中核派と革マル派の違いがまったく分からない。どちらも暴力革命を肯定する過激派マルキストであると思うのだが、それがお互い不倶戴天の敵のように憎み合い、果ては殺害にまで至る、その思考経路が理解できないのである。「内ゲバ」ほど時の権力にとって都合のよいものはないだろうになぜ彼らは同士討ちをあれほどつづけたのか。いわゆる「内ゲバの論理」というのもあるのだろうが、はたして内ゲバが本当に論理で納得できるように説明できるだろうか。
と同時に、なぜマルキシズムだけが社会主義の本道であるかのように考えられているのかも理解できない。なぜフェビアン協会のような穏健な社会主義運動が世界の主流にならなかったのか。

(追記)ヤフー知恵袋から転載。日本共産党の「議会を通じての民主的革命」路線に不満な過激グループが共産党を脱退して、さらに内部分裂(権力抗争か?)で中核派と革マル派に分かれただけで、政治思想として中核派と革マル派に根本的な、あるいは明確な違いは無いようだ。下の回答を見ても、どちらも「労働者の組織化」を行い、そして最終段階では「暴力を用いる」点でも同じである。

2020/8/18 19:50(編集あり)




(以下引用)



 
 
中核派議長、会見の真意 若手と距離感、組織引き締め躍起© 産経新聞社 中核派議長、会見の真意 若手と距離感、組織引き締め躍起

 暴力革命を掲げて数多くのテロやゲリラ事件を起こした過激派「中核派」最高幹部で昨年、51年ぶりに公に姿を見せた清水丈夫(たけお)議長(83)が27日、東京都内で会見した。昭和46年に警察官が殺害された「渋谷暴動」をめぐり、中核派の組織的関与を認める一方、「殺害は許容していない」と強調。「革命闘争の中で、犠牲は仕方がない」と過激な活動を正当化した。

 スーツ姿で現れた清水議長は直前にマスクを外し、あいさつ。時折、笑顔を見せながら、質疑応答に応じた。昨年9月、都内の集会で登壇し、昭和44年の潜伏開始から半世紀ぶりに公然活動を再開した理由について「資本主義をぶっ倒すため、自分の経験も含め全力で訴えようということで踏み切った」と説明。潜伏中の具体的な行動は語らなかったが、「多くの人の援助があり、非常にしっかりとした生活ができた」と振り返った。

 昭和46年、沖縄返還協定反対闘争で中核派などが東京・渋谷の派出所を襲撃、警察官が殺害された渋谷暴動をめぐっては、反対闘争の取り組みを組織的に主導したことを認めたが、人命が失われたことについては「どうしても必要な闘争だった。仕方がない」との見解を示した。

 議長職からの離任も取り沙汰されるが「今後、党が理性的に決めるだろう」と明言を避けた。また、革命の実現性を問われると、「できれば、自分が存命のうちにしたい」と語った。

 暴力革命を掲げて数多くのテロやゲリラ事件を起こした過激派「中核派」最高幹部で昨年9月に半世紀ぶりに表舞台に姿を見せた清水丈夫議長。27日に東京都内で開かれた会見では、過去にゲリラやテロ行為などの非公然活動を繰り返してきた闘争路線を正当化したが、現在の中核派は、かつての過激な活動はなりをひそめ、SNSなどを活用した「ソフト路線」で支持獲得をもくろむ。唐突な感が否めない議長会見は、なぜ開かれたのか。

 清水議長は現在、東京都江戸川区の中核派の拠点「前進社」に居住。若手とも交流を図っているというが、関係者は「歩んだ時代が違うメンバーとは微妙な距離感がある」と話す。

 昭和30年代、全日本学生自治会総連合(全学連)の書記長として学生運動を主導した清水議長は中核派でも中心人物となり警察当局の摘発強化で潜伏を開始。50年、本多延嘉書記長が対立する過激派、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)に殺害されると最高指導者の地位を継承したとされる。

 中核派は、警察官が殺害された46年の渋谷暴動に関与。平成2年には、即位の礼に合わせ、都内約30カ所に迫撃弾を撃ち込むなど全国で124件のゲリラ事件を起こした。対立する過激派との「内ゲバ」では、多数の活動家が死傷した。

 過激な闘争は徹底的な取り締まりを受け、世論の支持を失い組織も縮小。近年は労働運動や差別問題などをテーマに幅広い層に訴える活動に転換した。若手メンバーがデザイン技術を使った動画をSNSで配信するなど支持拡大に躍起だ。

 ただ活動家獲得の成果は乏しく、新型コロナウイルスの感染拡大もあり、警察関係者は「打開策が見えず執行部への不満は根強い」と分析する。活動方針をめぐり党中央執行部と地方組織が対立して執行部が解任に追い込まれたといい、清水議長が組織引き締めのため、表舞台に改めて姿を見せたとの指摘がある。

 公安関係者は、清水議長と同世代の支持は得られたが、若い世代は批判的だとし、「現在も賛否は分かれており、執行部の厳しい立場は続くのではないか」と話した。

 ■中核派 正式名称は革命的共産主義者同盟全国委員会。昭和32年、過激な武装闘争路線から転換した日本共産党を離脱した急進的学生らのグループが源流。安保闘争や反天皇制をはじめ過激な闘争で知られ、46年、東京・渋谷の派出所を火炎瓶などで襲撃した渋谷暴動で新潟県警の警察官を殺害。平成29年には同事件で長年、指名手配されていた活動家、大坂正明被告(71)が逮捕された。



*注意:綾辻行人「霧越邸殺人事件」の内容にかなり触れています。
この小論に書かれた内容(私の推理)が「正解」かどうかは原作と読み比べてのお楽しみ。




美という悪魔(「霧越邸殺人事件」試論)

 

(最初にお断りしておくが、私は綾辻行人の「霧越邸殺人事件」を読了していない。正確には同書の470ページまで読んだ時点、文庫版で700ページ近いこの長い小説の7割弱読んだ時点でこの文章を書いている。つまり、主要な事件はほぼ終わりと思われ、後は謎解き部分が始まるのではないか、というあたりだろう。で、この段階で私は犯人も犯行の動機も分かったと思い、その犯罪を面白く思ったので、この試論を書いている。だから、もちろん、この「推理」が大外れである可能性は十分にあることをお断りしておく。ただ、かりにこの「推理」が間違っていても、それはおそらく「正解」より面白いのではないか、と思うのでこの文章を書いているのである。)

 

あまりもったいぶらずに、最初に私の「推理」を書いておく。霧越邸における殺人事件の「犯人」は、槍中秋清だろうと推定する。ただし、最初の2件は主犯が槍中で、実行犯はおそらく甲斐倖比古だと思われる。実行犯は名望奈志であっても(どちらにもアリバイは無いので)べつにかまわないが、作中での言動から推察して、甲斐のほうが実行犯だと思われる。

いずれにしても、3件の殺人事件の「真犯人」は槍中だろうというのが私の考えだ。

問題は、槍中の「動機」である。作中で作者(綾辻氏)は語り手役のアマチュア作家に推理小説での動機にはさほど意味が無い、と論じさせているが、これは作者による「落とし穴」だと私は推測する。なぜなら、この推理小説の一番の面白さは、犯人のその「動機」にこそあるからだ。

で、その動機に関わることだが、この一連の殺人事件の真犯人は実は「霧越邸」そのものだ、と言えないこともない。太陽がまぶしかったので通りすがりの人間を殺したという殺人犯がいたら、真犯人は太陽だ、という論法である。まあ、それよりも「霧越邸」の犯罪関与度は大きいのだが。別の言い方をすれば、漱石の「猫」に出てくる、「機会は人をして罪を犯せしむ」という思想の壮大な発展形がこの「霧越邸殺人事件」ではないかと思う。

まあ、これで私の「推理」が正解なら推理小説ではタブーであるネタばらしになるのだが、私は「解答部分」を未読なので、安心して(良心に咎めることなく)論を進めることにする。

 

 

順序としては、私がいかにしてその解答に至ったか、から説明したいのだが、これは推理ではなく、同作品を読み進めながら私の潜在意識の中で進行していた無意識的思考が突然、「解答はこれだ」と提示してきたので、説明はできない。ただ、その「根拠」らしきものを挙げれば、

 

1) 3つの殺人事件の中で、最後の死体だけが「美しいまま」である。

2) 劇団員の中で槍中だけが、明らかに芸名かペンネームらしい名前なのに、「本名」が一度も書かれていない。

3) 槍中の「芸術至上主義」的思想。「背景」へのこだわり。

4) 霧越邸の様々な事物に劇団員の名前を無理にこじつける言動。

5) 劇団主催者として、榊由高と希美埼蘭のスキャンダルの発覚を恐れていたこと。

6) 榊と蘭の「殺人劇被害者」としての死は、上記のスキャンダルを消し去り、逆に劇団のマスコミ知名度を一挙に上げること。(劇団員はいくらでも補充できるし、「使い勝手」の悪い二人におそらく槍中はうんざりしていただろう。)

7) 芦野深月の寿命が残り少ないことを知っていたこと。だから、霧越邸という美しい舞台で「美しいままで」死なせてやろうという、自分勝手な「思いやり」。

 

といったところだろうか。

 

で、「霧越邸」が真犯人だ、という奇矯な言い方を説明すれば、この事件は槍中が霧越邸という「背景」に出会うことで生まれたものだ、ということだ。つまり、雪の山中で迷ったことも、彼ら劇団員が霧越邸に遭遇したのもすべて偶然である。したがって、霧越邸の住人は3つの殺人事件にまったく関与していない。事件の中でしばしば登場する謎の「影」のような人物は、おそらく4年前の火事で顔を火傷し、足が不自由になった奥さんだろう。霧越邸主人がこんな山中に隠棲したのも、奥さんを人目から隠すためだったわけである。若いころの奥さんが芦野深月と瓜二つだったのも単なる偶然であり、世の中には容貌の似た人間などたくさんいるものだ。

まあ、この作品全体が偶然と必然の曖昧な境目の中で進行するわけで、読者はこんな偶然などあるわけがない、という思い込みから、推理の迷宮に迷い込むわけだ。だが、人生の出来事の9割は偶然だ、と言っても過言ではないのである。

さて、槍中は霧越邸という「背景」あるいは舞台に遭遇することで、一連の殺人事件、というより、最初は榊と蘭のふたりだけを殺す計画だっただろうが、その計画を思いついたわけだ。つまり、霧越邸との偶然の遭遇が無ければ、これらの事件は生まれなかった。そういう意味では、霧越邸が真犯人だ、と言える。これは一連の「○○館殺人事件」を書いてきた綾辻氏にとっては実に自然な発想だろう。

なお、一連の「見立て殺人」は幼稚なもので、特に意味は無い。北原白秋の童謡「雨」に忠実なのは最初の榊の死体の状況だけで、蘭の死体は「いやでもお家で遊びましょう」という歌詞に反して戸外の目立つ場所に「展示」されている。深月の死体も童謡の歌詞との関連性は薄く、一階のテラスに「きれいに」置かれた(窓から投下したというのは、整然とした死体の状況から見て誤った推定だろう。)それを見下ろすように雉の剥製が二階の部屋の窓辺に置かれただけだ。

ここで深月が殺害された理由について推測すれば、深月は槍中が榊と蘭を殺した犯人だと推定して、それを槍中に確認したのだろう。その結果、殺されたわけだ。つまり、前の二人とは殺害理由が違い、槍中には深月を殺す積極的な理由は無かったのである。むしろ、殺したくなかったが、そのままだと自分が犯人だとバレるから殺した。殺す理由は、「そのままでも、心臓の悪い深月は30まで生きられないという話だから、今、この『美しい舞台(背景)』で、美しいままに殺してやるのがむしろ慈悲だろう」という自分勝手な理屈でもつけたのだろうと思われる。芸術至上主義者というのはそういうものだ。

 

というわけで、この小論の題名を「美という悪魔」とつけた理由がお分かりかと思う。






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