下の引用文の、「人物キャラの説得性が無い」という趣旨も、そう(正鵠を射ている)かもしれないが、そこに「ステレオタイプ」という概念を持ち込んだのは少し首をひねる。たとえば、ハンニバル・レクターなり誰なりが見事に造形されていたら、その真似は視聴者に馬鹿にされるのではないか。つまり、その模倣が好評だったなら、それはオリジナルとは違う個性も持っていたからだろう。味付けの問題だ。基本的に「ステレオタイプ」は演技論やフィクション論では悪口なのである。
たとえばRPG的な内容の異世界転生物は無数にあるが、「ダンジョン飯」のキャラは同種の作品キャラのステレオタイプになっていないから面白いのである。女性キャラの扱いのひどさなど、見事にステレオタイプを脱している。主人公ライオスもそうである。周囲の人間にサイコパス扱いされ、常に疑惑の目で見られるキャラがグループのリーダーなのだ。「ダンジョンの中の人」も同様である。つまり、ステレオタイプになっていないから面白い。
(以下引用)
2024-09-23
■『スオミの話をしよう』は何故つまらないのか(ネタバレあり)
映画『スオミの話をしよう』を観た。稀代の脚本家、三谷幸喜氏がメガホンを取ったとは思えないほど、つまらない作品だった。何故、これほどつまらないのだろうか。端的にいえば、寒川しずお以外の人物像に説得力がないからである。
もっとも説得力がない人物像は、主人公のスオミである。何故スオミは結婚を繰り返すのか。何故、多重人格のように出会う男に合わせて性格だけでなく、話す言語さえも完全に変えることができるのか。なぜ、身代金要求の狂言誘拐を起こしてまで生まれ故郷のヘルシンキに行くための資金を捻出しようとしたのか。
本来、これらの問いに対して観客を説得するようなエピソードを描くべきだった。しかし脚本は「そういう設定」といって長澤まさみ氏の演技力で観客を説得しようとし、失敗した。寒川しずお以外の他の登場人物も同様である。
なぜ、設定と演技力による人物像の説得に失敗したのか。その理由は、スオミの人物像を連想させるステレオタイプが十分に確立されていないからであろう。例えば、本作品で唯一、人物像に説得力がある寒川しずおはエキセントリックな有名詩人だが、エキセントリックな有名文学者というステレオタイプが文学史やフィクションを通して十分に確立されているので、設定と坂東彌十郎氏の演技力だけで観客を説得することができた。しかしスオミのような人物のステレオタイプは、史実にもフィクションにも見出すことができない。
この映画と比較すると、ドラマ『地面師たち』はエピソードによる説得と、ステレオタイプに乗っかって設定と演技力だけで行う説得を優れた形で組み合わせている。辻本拓海がなぜ地面師になったのか、石洋ハウスの青柳隆史は何故港区の土地を喉から手が出るほど欲しいのか、これらの経緯を説明するエピソードを描いて視聴者を説得している。他方でハリソン山中の場合、『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターなどの極めて高い知性と身体能力を持つ超人的な快楽殺人者というステレオタイプに乗っかって、設定と演技力だけで視聴者を説得することにも成功している。
個人的には、フィクションには説得力が重要と考える。フィクションなのだから、エキセントリックな有名文学者や超人的なシリアルキラーだけでなく、人間のような意思を持つおもちゃや超能力者など物理的に存在しえない人物さえ設定で盛り込むことができる。しかし、これらは観客に対して説得力を持たなければならない。その方法は、既に確立されたステレオタイプに乗っかって設定と演技力で観客を説得するか、エピソードを描いて「だからこの人はこういう風になったのです」と説得するか、これらのいずれか(又は両方)をしなければならない。
特に冒頭のツィートの末尾が意味不明である。小説とは「現実改竄」が当たり前だろう。「承認欲求」はいいが、「攻撃性」はだめ、という理屈もよく分からない。(私は、「承認欲求」こそが、自分の人生を他人の評価に任せるのだから、他人の評価に怯えて生きるわけで、人生の不幸の元だと思っているが。ちなみに、私は「ポパイ」の口癖である「I’m what I am(俺は俺さ)」という言葉が好きである。)これらの思想は、単に「あなたの(自分の)好み」でしかないのではないか。で、自分と趣味の違う人間すべてを「糖質」呼ばわりする傲慢さも気持ち悪い。
(以下引用)
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異世界転生もまあまあ分かりやすい意地の悪い敵役は出てくるけどそれって主人公が無双するための踏み台って感じなのに対し
追放系、婚約破棄はなんかもう復讐が全面に出過ぎてて恐ろしいんだよな
テンプレの用法なんてそもそも
使い回して面白くなりそうならパクる、
逆張りして面白くなりそうならパクる、
どこかに含み持たせられるならパクる、
他の要素に繋げられるならパクるとかだろって話なのに
真逆の価値観に甘えてる非オタの言ってることなんか何で信じるんだろうな
だから婚約破棄が人気なのか
↑
これが正しいなら追放物は耐えられないよね?
最新の見解どうなっとるんやろな
本当は天才の俺の才能を見抜けず追い出したバカどもに新しい仲間を連れて復讐しに行く
みたいな話が流行ってるのやばいでしょ
オタク精神病みすぎだわ
読者層の知能の低さ感じちゃう
元は3年も前のレスやしな
今は最初から強大な力持ってる奴が配信してバズりまくるのが流行りやぞ
なろうは女向けしかいない
まるでレディコミ
現代ファンタジーは現代ダンジョン配信物やね
前世がワイ凄いから今世でもその力が覚醒するやろなあってのとどっちがマシなんかな
同じちゃうか?
まあ実はワイ凄いってのと方向性は一緒か
普通の話が読みたいんやこっちは
つまり、体の自由を奪って、思考以外はできない状態にすることで、「思考の牢獄」の中に自分を追い込む、というのが、この行為の意味だと思う。また、「意味のあるものは見えない」というのも、重要ポイントだろう。つまり、視覚による意識の拡散が避けられるわけだ。
(以下引用)
脚本家の三谷幸喜氏が6日放送のフジテレビ系「酒のツマミになる話」(金曜・午後9時58分)に出演した。
この日、「僕は本業が脚本家なので、やっぱり行き詰まる時があるんですよ。そういう時にそれをどんな風に克服するかみたいな。それを人に話すと不思議がられるみたいな」と話し出した三谷氏。
「以前はホテルで缶詰になってたんですよ。部屋で徹夜で書くけど、思いつかないみたいな。次の週のドラマの撮影するものがないくらいまで追い詰められて」と振り返ると「本当にダメだって時はベッドと壁の隙間があるじゃないですか? その小っちゃい隙間に挟まってる」と告白。
「もう、ダメ人間の極致まで(自分を)追いやりたい。ボートがひっくり返った時に『助けて』って暴れると、(船体から)出られなくなる。とことん、沈めば、ボートより離れた所に浮いてきて助かるって聞いたんで、そのイメージで」と説明。
「(隙間に挟まって)朝を迎えました」と明かすと「そんな時もあったし、ホテルでお風呂に入るんですけど、泡風呂に入って、泡にまみれながら栓を抜くと、水が抜けて僕の体の形をした泡だけが残る。その時に俺って最低の男だって思う。ここまで落ちたかって」と続けていた。
私はテレビを見ることができない環境にいる(監獄の中にいるのではなく、アンテナ接続ができない)ので、朝ドラの「虎に翼」は見たことが無いが、下のコメントで、内容がだいたい分かって面白い。つまり、1年間ドラマを見なくても、5分で全体が分かる。
つまり、親父が総理という既得権益の御本家の小泉進次郎が「既得権益をぶっ潰す」と言うみたいなお笑いなわけだろうか。
(以下引用)
2024-09-10
■虎に翼から漂う「本当は二次創作じゃなくてオリジナルでやりたいんだろうなぁ」感
結局アレ脚本家が本当に描きたいことを描こうとするたびに、史実要素が全部邪魔になるんだよな
だってそうじゃん?
寅子はどこまで行っても、所詮いいとこのお嬢様が生まれ持った文化資本を存分に使い倒す、そういう話でしかない
あの時代としてはたいへん理解のあるパパに恵まれ、ママにも恵まれ、結婚を二度もして子も孫もできて、まあ朝ドラの伝統で身内を失うテンプレじみた苦労はあれど、あくまで既存の社会秩序に属した権力の手先風情に過ぎない
二言目には人権や反権力を謳うリベラル左翼勢力がまぎれもなく国家権力の一端を担っているという一見矛盾した事態ぐらい、制作側だって当たり前に自覚してるわけよ
そんな奴がいくら小手先でフェミニズムらしきものを唱え、差別と闘うポーズ見せたってね、あの毒親持ちのメンヘラツイフェミ連中が「これ私のことだ……」ってなるようなもんじゃねえの、本来は
そこ受け持ってるのよねだよね
まあ連中に司法試験受かるようなオツムはなさそうだけど
ぶっちゃけ本当はオリジナルであいつだけやりたいんじゃねーかとしか思えない
あれは主人公が裁判官なんかにならず、弁護士兼活動家の道をひた走るifルートそのものなんだろう
とことんフェミに寄り添うならもちろん結婚も出産もご法度だが、史実が史実なんでそういうわけにもいかない
プロパガンダとしては余計なものが多く、さりとて今更いつものイージーな朝ドラにも戻れず、なんとも軸がブレてしまった
例えば、同じく思想むき出しでおなじみのはだしのゲンにしても、そういうとこがある
俺は全部読んだから知ってるけど、一番後ろのゲンが絵描き目指して上京するだの恋愛するだの、そういうのは割とどうでもいいわけ
そんなものよりゲンが何かに噛みつく姿の方が面白いに決まってんの
ガンダムもドラゴンボールもみんな同じで、一度バトルで受けた作品っていうのは、もう永久にバトル以外まともに見向きもされない
視聴者はこの男社会に虐げられた女たちが立ち上がり、近藤隆太みたいに暴れ回るリーガルバイオレンスドラマ見てひと時スカッとしたいだけなのに、それを満たしてくれないんだから、当初みたいに盛り上がらないのも残念ながら当然
西遊記で言うところの前半と後半の違い
頭に輪っかはめられた寅子なんてだーれも見たくないのよ
だいたいが轟とのバディというのからして、女の「ゲイの友達欲しい願望」丸出しなわけだしさ
三淵嘉子とかどうでもよくて、それこそこの先の違憲裁判全部よねにぶん投げて、ドクターXみたいに「私TUEEEので」と無双したいだけなんじゃなかろうか
そういうわけにもいかない苦渋が感じられてならない