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「ブラックジャック」行為はどの程度可能か、ということが気になって調べると、次のようなものらしい。つまり、

1)警察に通報などされないなら大丈夫。ブラックジャックは成功率ほぼ100%であり、相手はBJが無免許医であることを承知の上で彼に頼むのだから、患者から通報される恐れはほとんど無い。だが、患者周辺にお節介な「法律至上主義者」がいた場合、そこから通報される可能性はある。
2)警察に逮捕されても、3年以下の懲役、もしくは100万円以下の罰金であり、高額治療費を取っているBJには罰金は痛くも痒くも無い。懲役のほうが嫌だろう。
3)ただし、手術行為自体を「傷害罪」として併科される可能性は高い。

といったところだろうか。1)3)は私の推測だが、合っていると思う。
まったく医療知識の無い私が、ネット知識などを利用して知人の病気を推定し、たまたまその有効な治療薬を知っていて、それを勧めることは罪にはならないと思うが、それでカネを取ったら、罪になるのではないか。





(以下引用)

(1)医師以外の者の医業禁止、名称の使用制限

医師でないのに医業をした者、あるいは虚偽又は不正の事実に基づいて医師免許を受けた者については、3年以下の懲役若しく100万円以下の罰金に処され、又はこれが併科されます。これらの者が医師又はこれに類似した名称を用いた場合には、3年以下の懲役若しくは200万円以下の罰金に処され、又はこれが併科されます。(医師法31条)

また、医業の停止を命ぜられた者が、当該停止を命ぜられた期間中に、医業を行えば、1年以下の懲役若しくは50万円以下の罰金に処せられ、又はこれが併科されます。(医師法32条)

医師でないのに、医師又はこれに紛らわしい名称を用いた者は、50万円以下の罰金に処せられます。(医師法33の3第1項)


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「蒐集」の「蒐」の字はなぜ「鬼に草冠」なのか。それが、何かを集めることと何の関係があるのか。また、それが「しゅう」と読まれるのはなぜか。

十代のころの私は、人間は年を取るほど賢くなる、と思っていた。知識は年々増えるのだから、考えることもどんどん妥当なものになるはずだ、と思っていたのである。もちろん、知識イコール賢さとは思わないが、間違った知識がどんどん正しい知識に置き換わっていくのだから、賢くなって当然だ、と思っていたわけだ。
だが、現在の私は、年を取ることで賢くなる部分より、失われる知的能力の方が大きいと思っている。
年を取れば、俗世間的な問題に関しては正確な知識は増え、判断も適切になることは確かだ。
つまり、事業経営や政治などに関しては、若者より老人のほうが正しい判断をすることが多いだろう。
だが、失われる最大のものは、「想像力と創造力」である。
老人が旺盛な創造性を持っている、という例は少ない。かろうじて、わずかな創造力を保っているだけである。創造力の源泉である想像力も、枯れていることがほとんどだろう。
なぜか。それは、「想像するまでもなく、知っている」からだ。
老人は世界について、ほとんど知っているし、知らないものは
「保留にしておけばいずれ分かる」
ことを知っているから、想像する必要性を感じない。したがって、想像することもない。
こうして、想像力が枯れていった結果、創造力も枯れるのである。
だいいち、自分に残された時間は少ないのだから、無駄な行為をして時間を浪費したくない。
創造に要する膨大な時間と労力を考えれば、そんなことをする気力も失うのが当然である。
かくして、「いちばんくだらない、不毛な遊びをして」老後をすごすことになるのである。

この骨格は凄い。私は、フグの針は皮膚から出ていると思っていたが、骨格の一部だったのか。こういう骨格(提灯の骨状)だからこそ、フグ提灯も作れるわけか。
なお、2枚目の写真のように骨格が編み籠状でもあるから、膨張や収縮が可能になる、ということだろう。



            

イシガキフグの骨格の異形っぷりに驚き

或るブログの中に、この言葉が出てきて、意味を調べると(まあ、だいたい予想通りだったが)「天の神、地の神」で、それはいいのだが、私が疑問に思っていた「地祇」の「祇」の漢字の用法が描かれている説明は一つもなかった。なぜ「神」と「祇」の使い分けがあるのか。

漢和辞典を持っていないから、推理で書く。
もともと土着の神とは、中国でも日本でも、かつてその土地を支配していた者を、新しい征服者が倒した後、その呪いを恐れて神として祭ったものだ、と思われる。そして、征服者の祖先は「天の神」、被征服者の祖先は「地の神」とされ、両者の違いを明らかにする目的で「神」と「祇」の漢字の使い分けも行ったのではないか。
つまり、「祇」のシメス偏は神的な事柄を意味しているが、旁(つくり)の「氏」は、まさにその出自が、土地の氏族(一部族)だったことを示しているわけである。
だから、「天神地神」とは書かないで、両者を区別するのである。
まあ、ただの推理だ。
なお、北野天神などの「天神」はまた話が別である。この時代になると、「被征服部族」問題は無くなり、朝廷内での権力闘争に敗れた人間を神として祭るだけだから、「神」という漢字を使い、そして朝廷の者はすべて征服部族である「天神族」の子孫だから、菅原道真なども天神とされるわけである。


天神地祇

読み方:アマツカミクニツカミ(amatsukamikunitsukami)

すべての神々総称

別名 神祇


天津神・国津神

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/29 14:06 UTC 版)

(天神地祇 から転送)

天津神・国津神(あまつかみ・くにつかみ)は、日本神話に登場するの分類である[1]大国主など、天孫降臨以前からこの国土を治めていたとされる土着の神(地神)を「国津神」、天照大神などがいる高天原の神を「天津神」という。


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