白井聡の『国体論 - 菊と星条旗』(集英社新書)を読んだが、もともと白井を全く買っていない私が予想していた通り、ろくでもない本だった。
(中略)
なお、『国体論』でもう一つ指摘しておかなければならない大きな問題点は、相変わらず鳩山由紀夫政権を「対米従属」から脱しようとして挫折した政権だと位置づけていることだ。私見ではそれは事実に反する。普天間基地の辺野古移設「現状回帰」を決断したのは鳩山由紀夫自身であり、当時鳩山が「こんなことをしたら小沢さんに政局にされる」と恐れており、かつそれが現実になった歴史的事実をしつこく指摘し続けているのは私くらいのものだろう。私は当時の『報道ステーション』の報道を覚えているだけなのだが。
あの時は、鳩山を追い落として菅直人と組もうとした小沢一郎のもくろみに反して、小沢が菅にポストを打診した時には既に菅は前原誠司や野田佳彦らと手を組んでおり、小沢は菅にあえなく切られてしまった。そこで小沢はやむなく鳩山と一緒に「党内下野」し、再び小沢と鳩山とが野合したのだった。あの時の菅直人と小沢一郎の選択は、両者とも最悪だった。菅と小沢の罪は万死に値する、今でも私はそう思っている*1。「鳩山政権=対米自立志向政権」という神話が生まれたのは、実は鳩山政権が倒れてからあとの話だった(これには孫崎享も一役買っている)。もちろん小沢と鳩山とでは政策も違うのだが、もともと2人とも反米でも何でもなかった。それが証拠に、両者とも自民党時代には吉田茂の流れを汲む田中角栄・竹下登系列の派閥に属していた。前世紀末から今世紀の初めにかけては、小沢も鳩山もアメリカの歓心を買いそうな改憲案をメディアに発表したこともあった。鳩山由紀夫が祖父・鳩山一郎譲りの反米路線(それは鳩山一郎が公職追放された個人的恨みに由来するものだった)へと舵を切ったのは、鳩山が政権を投げ出したあとのことだったのである。
結論。『国体論』はやはりろくでもない本だった。リベラル・左派を自認する諸氏は、あんな本に騙されてはなるまい。
[追記]
検索語「君側の奸 白井聡」でググって、下記中島岳志による『国体論』の書評(『文藝春秋』2018年7月号掲載)を見つけた。
天皇とアメリカ――誰も書けない“激しい問題提起” | 文春オンライン
天皇とアメリカ――誰も書けない“激しい問題提起”
中島岳志が『国体論 菊と星条旗』(白井聡 著)を読む
中島 岳志
2018/06/17
source : 文藝春秋 2018年7月号
genre : ニュース, 読書, 社会, 政治, 国際
戦前の日本は天皇統治の正当性を唱える「国体」が支配し、戦後になって解放されたと考えられている。しかし、著者の見解では、国体は連続している。「『国体』は表面的には廃絶されたにもかかわらず、実は再編されたかたちで生き残った」。そして「現代日本の入り込んだ奇怪な逼塞状態を分析・説明することのできる唯一の概念が、『国体』である」と言う。どういうことか。白井の見るところ、「戦後の国体」は「菊と星条旗の結合」、つまり天皇とアメリカの共犯関係である。アメリカが構想した戦後日本のあり方は、天皇制から軍国主義を抜き取り、「平和と民主主義」を注入することにあった。そのため、「対米追随構造の下」に「天皇の権威」が措定された。「象徴天皇制とは、大枠として対米従属構造の一部を成すものとして設計されたもの」である。しかし、「戦後の国体」は、すでに破たんしている。発端は冷戦の終結にある。ソ連という共通敵が存在する時代、アメリカは日本を庇護する理由があったが、冷戦の崩壊によって、アメリカが日本を守らなければならない理由はなくなった。これにより日本へのスタンスが「庇護」から「収奪」へと変化する。
ここに天皇とアメリカの分離が生じる。今上天皇が志向するのは国民統合である。天皇・皇后の特徴は「動く」こと。被災地に赴き、慰めとねぎらいの言葉をかける。戦地に赴き、祈る。天皇は「動き、祈ること」で日本国の象徴となり、「国民の統合」をつくりだす。天皇が「日本という共同体の霊的中心」となる。
この「国民統合」の障害となっているのがアメリカだ。親米保守はアメリカの国益のために行動し、日本社会を荒廃させる。沖縄の声を無視し、辺野古の基地建設を強行する。
天皇は、加齢によって「動く」ことが満足にできなくなることを、退位の理由とした。しかし、安倍政権を支える親米保守論者は、天皇の生き方を否定し、「天皇は祈っているだけでいい」と言い放つ。そして、天皇よりもアメリカを選択する。
天皇のお言葉は危機意識の表れに他ならないと白井は言う。腐敗した「戦後の国体」が日本国民を破たんへ導こうとしているとき、「本来ならば国体の中心にいると観念されてきた存在=天皇が、その流れに待ったをかける行為に出たのである」。
白井は、今上天皇の決断に対する「共感と敬意」を述べ、その意思を民衆が受け止めることで、真の民主主義が稼働する可能性を模索する。
この構想は危ない。君民一体の国体によって、君側の奸を撃つという昭和維新のイマジネーションが投入されているからだ。白井は、そんなことを百も承知で、この構想を投げかける。それだけ安倍政権への危機意識が大きいのだろう。
激しい問題提起の一冊である。
(文春オンラインより)
さすがに中島岳志は白井聡の「構想は危ない」と的確に指摘しているが、「それだけ安倍政権への危機意識が大きいのだろう」などと白井の心中を忖度して、せっかくの批判を自分から腰砕けさせてしまっている。これについては、中島が反安倍政権側の言論の主流(=惰性力)に流された(=妥協した)安易な態度の表れとして批判しないわけにはいかない。