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私は、英語文化圏におけるコンラッドの高い評価が不思議なのだが、実は私は彼の作品を読み通したことがない。日本語訳における文章にあまりに魅力が無さすぎて、1ページと読み続けられないのだ。
だが、彼の作品は「冒険小説」好きの英国人にはウケるようだ。(異国趣味という点ではキプリングに似ているか)その英語も、英語ネイティブとは違った味わいを感じるのだろう。思うのだが、彼のような作家にこそ「超訳」が向いているのではないか。彼の作品の映画化が非常に多いのを見ても、プロットが面白いのだろうと想像できるからだ。

(以下引用)

生前のコンラッドはエドワーディアンの作家の中で、アーノルド・ベネットH.G.ウェルズジョン・ゴールズワージーとともにビッグフォーと呼ばれていたが、むしろアジアインド洋などのエキゾチックな異国の風物や、海の冒険を描く海洋文学作家と見なされていた。

今日では、コンラッドはチャールズ・ディケンズフョードル・ドストエフスキーに代表される古典的小説と、モダニズム小説の中庸的存在として位置づけられる。ただしコンラッド自身は、イワン・ツルゲーネフを除いてロシア文学にはあまり良い印象を持っていなかったことが知られている。

作品[編集]

作風[編集]

タイム』誌1923年4月7日号表紙

コンラッドは、イギリス国内の出来事よりも、洋上や異国の地について書くことが多かった。エッセイ『海の鏡』が出版された時、フランス語翻訳者に送った手紙で「批評家たちは私への褒め言葉を浴びせるが、"地上でなく外海にいることだ"というささやきが私の耳に聞こえる、彼らは私を海の真ん中に追放したいのだ」、と書いている[6]

コンラッドの作品には、彼自身の経験の他に、過去及びその当時広く知られている事件や文学作品に基づいたものも多い。『ロード・ジム』の前半部は、蒸気船「ジッダ」が1880年に遭難した時に、船長らが乗客を置き去りにして避難した事件を題材にしており[11]、後半部はボルネオ島サラワク王国の王となったジェームズ・ブルックの生涯を基にしている[12]。 1904年発表の『ノストローモ』は、コンラッドがメキシコ湾上で耳にした、銀の大規模盗難事件にヒントを得ており[11]、また政治的には当時計画進行中のパナマ運河をめぐるアメリカコロンビアの関係を背景にしている[13]。『西欧人の眼に』では、1904年のロシア帝国内相ヴャチェスラフ・プレーヴェ暗殺がモデルとされている[11]

登場する人物の多くは、彼が実際に会った実在の人物をモデルにしている。『オルメイヤーの阿房宮』に登場する”William Charles Olmeijer”も、コンラッドがボルネオで訪問したことのある人物だ[11]。『台風』の”Captain McWhirr”、『青春』の”Captain Beard”と”Mr. Mahon”、『陰影線』の”Captain Ellis”などでも実在の人物の名前を借りている。

コンラッドは日記をつけたことはなく、ノートも持つことはなかったと語ったが、リチャード・カールがコンゴでのコンラッドの経験を記した日記を編集して没後刊行し、1978年にはより完全な版が出版された[14][15]

ジェイコブ・エプスタイン作コンラッドの胸像(1924年)(ロンドン・ナショナル・ポートレート・ギャラリー所蔵)

 

 

原作作品[編集]

映画[編集]




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