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『グイン・サーガ』分析

 

 

Ⅰ「G・S」における物語エンジン

 

     グインの自己探索と、それに関わる歴史の起源の謎。

     イシュトヴァーンの王位への野心。

     レムスの劣等感と、ナリスへのライバル心。

     イシュトヴァーンを巡る愛憎劇。

     国々の王や王族の領土的野心。魔道士グラチウスや魔物たちの野心。

 

Ⅱ 同じく、「GS」における人物の主な魅力

 

     グイン:肉体的にも知的にも人格的にも超人でありながら、豹頭という弱点を与えることで、読者の反撥を抑え、また、物語が生まれる要素にした。

     イシュトヴァーン:不良あるいは悪ガキの魅力。

     グラチウス:ひょうきんさと悪辣さのブレンドの魅力。

     ヴァレリウス:漫才の突っ込み役的な毒舌とシニシズムの魅力。

 

女性陣は、気取っているときにはまったく魅力が無いが、恋に落ちるなどして「ただの女の子」化した時は非常に面白い。こういう場面では作者のユーモアセンスが発揮される。イシュトヴァーンでも、その間抜けな「男の子」ぶりが発揮される場面が一番魅力的である。ナリスに魅力が無い理由も、そうした「ずっこけ」が無いからである。

 

Ⅲ その他の魅力(あるいは、栗本薫の最大の特長かもしれない)

 

     戦争における戦略面のリアリティ。

     肉体的戦闘におけるリアリティ及び、描写力。

     会話の流れの中での心理の推移の面白さ、表現の的確さ。

     概して、栗本薫は、脇役を描くのが上手い。アリストートスとか、グインの副官の何とか言う男(トール?)など、生き生きとしている。その反面、作者が入れ込んだ人物の描写は空回りが多い。アルド・ナリスなど。

     魅力というほどではないが、女性作家でないと描けないのが、衣服の描写。風景描写は普通。

     時々見られる喜劇的会話。グラチウス、ヴァレリウスなどの意識的諧謔だけでなく、当人は真面目でありながら、状況的に喜劇的になるという場面が上手い。

 

Ⅳ 欠点

 

     冗漫さ。同じような事件、描写がしばしば繰り返される。同じような繰り返しとは言えなくても、不必要と思われる退屈な細部描写も多い。つまり、最初から「百巻(あるいはそれ以上の、世界最長の小説)」を予定していたため、描写を抑制するということはまったく考慮しなかったのだろう。いちいち書くかどうかに悩んで時間を無駄にするよりも、「書けること、思いつく事はすべて書け」という方針だったのではないか。

     下手糞な「詩」。あるいは「詩的」描写。作者が思うほど詩的でもなく、退屈。

     リンダ、ナリス、スカールの魅力の無さと、頭の悪さ。(頭が悪いから魅力が無いとも言える。当人のドジで状況を悪化させる人物は、喜劇的脇役以外では許容されない)リンダはまだ状況の被害者とも言えるが、行動的要素がまったく無く、「お転婆だった」と言われる割には、ひたすら他人にすがっているだけである。ナリスは、王位に就きたいのか、就きたくないのか、行動の理由があいまいすぎて、読者の共感を生まない。他人を道具扱いする最低の「非人間」でもあり、これを魅力があると思うのは、美男ならば魅力があるという錯覚だろう。ナリスに比べれば、朴念仁のグインは百倍魅力があるし、悪役ではあってもイシュトヴァーンの方がはるかに魅力がある。(後記:作者自身も、ナリスのこの欠点はわかってはいるようであり、ナリスおよびイシュトヴァーンは、どちらもある意味、子供なのだと書いている。だが、それはそれとしても、ナリスという人物が、嫌みそのものの人間であることには変わりがない。まあ、ナリスの馬鹿な行動がなければ、物語そのものが成立しないということはあるが。)スカールは、精一杯「男」を気取っているが、やはり馬鹿すぎる。無意味なノスフェラス行で部下の大半を無駄死にさせるなど、統率者としては最低である。最初から、自分一人で行くがいい。部下と一緒でないと怖いというなら、どこが男らしいのか。まあ、王族などそんなものだというのが作者の認識なら、彼を魅力的だと書くのはやめるが良い。彼ら三人に比べたら、アムネリスはずっと魅力的な女性である。最初の頃の驕慢も、タリムの妾になってからの「悪女志願」ぶりも、ナリスやイシュトヴァーンへの恋も、すべて可愛らしい。そのアムネリスの悲惨な運命は、一部人物への作者のえこひいきが過ぎるのではないか。まあ、イシュトヴァーンとくっついた時点で、そうなる運命は決まっていたんだろうが。カメロンも、渋い中年男の魅力がありそうなくせに、イシュトヴァーンに手を焼いておろおろするなど、みっともない。尚武の国ケイロニアの人間は、概して魅力的である。というより、ほぼ全員がグインを信頼しているから、間違った行動の取りようがない。つまり、読者をイライラさせることがない。

 

Ⅴ 以上から導き出される定式など

 

     物語を読む快感は、必ずしも、意想外な展開にあるのではない。そういう意味では、「G

  S」には意外性はそれほど無い。物語の根幹にあるSF的部分も、大方の読者の予想の範囲だろう。物語を読むとは、愛するに足るキャラクターと時間を共にすることであり、そのようなキャラクターを生み出せる人間が優れた物語作家なのである。

     もちろん、物語というからには、物語性、つまりストーリーは絶対的に必要である。これは物語の骨格である。物語を生み出すのは、「人間の欲望」だろう。欲望が障害を克服するその過程が物語である。その意味で、イシュトヴァーンは重要な「物語エンジン」だが、アルド・ナリスやマリウスと言った、我が儘な連中も、確かに物語の原動力ではあるかもしれない。相当、うんざりさせられる連中で、彼らの出てくる場面は、全部、読み飛ばしたくなる奴らだが。

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