「悪霊」のシナリオを書くのに、黒田清隆を主人公須田銀三郎の父親のモデルとしたいので、その生涯についてメモしておく。父親から狂気と腕力を受け継いだ設定。
母親が、酒乱の父親に斬り殺されたことが銀三郎の異常な性格の遠因。
(以下引用)
母親が、酒乱の父親に斬り殺されたことが銀三郎の異常な性格の遠因。
(以下引用)
薩摩藩士として、幕末に薩長同盟のため奔走し、明治元年(1868年)から明治2年(1869年)の戊辰戦争に際しては北越から庄内までの北陸戦線と、箱館戦争で新政府軍の参謀として指揮を執った。開拓次官、後に開拓長官として明治3年(1870年)から明治5年(1872年)まで北海道の開拓を指揮した。開拓使のトップを兼任しつつ、政府首脳として東京にあり、明治9年(1876年)に日朝修好条規を締結し、同10年(1877年)の西南戦争では熊本城の解囲に功を立てた。翌年に大久保利通が暗殺されると、薩摩閥の重鎮となった。しかし、開拓使の廃止直前に開拓使官有物払下げ事件を起こして指弾された。明治21年(1888年)4月から内閣総理大臣。在任中に大日本帝国憲法の発布があったが、条約交渉に失敗して翌年辞任した。その後元老となり、枢密顧問官、逓信大臣、枢密院議長を歴任した。1900年に死亡したため、19世紀に亡くなった唯一の内閣総理大臣である。
生涯
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冬山想南
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