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どういうものが「要らない」とされ、「捨てられる」か、あるいはどういう人が捨てるのか、どういう場所で「実際は有益なもの」が「不要」とされて捨てられているか、などと考えを「ずらして」見ていけばいいだろう。


と前回書いた、その続きを考えてみる。まあ、何であれ、とっかかりが無いと、物事を始めるのは難しいわけだ。

何が「要らないもの」となるか。
1)使えないもの
2)趣味に合わなくなったもの、好かれなくなったもの、古くなったもの
の2点に大きく分かれそうだ。つまり、「使えるが要らない」か、「使えないから要らない」のどちらかで、後者は本物のゴミである。回収業者は、ゴミを集めているわけではなく、「使えるが要らないもの、不要品」を回収し、それを再利用することで商売にする。
書籍などは「文化の塊」のようなもので、その中身である「情報」にはもの凄い価値があるものもあるがたいていの場合は古い書籍は不要品となり、ゴミとされる。情報などはパソコンやスマホでネットを通じて入手すればいいから、無駄に空間を占領する「物」は不要、という時代だ。
回収業者も古本などは古書店に売るか、再生紙の原料にするだろう。

どうも、この「不要品」をテーマで考えると、いいアイデアが出ない。
儲けにつなげるには逆方向から考えたほうがよさそうだ。つまり、「何を世間は必要と思うのか」である。
その対象には、食品や医薬品のように「生存のために切実に必要なもの」と、衣料品や化粧品などのように「生命維持には関係はない(切実さはあまりない)が、社会生活に参加する上では是非必要」というもの、趣味や娯楽関係のように「余裕があれば欲しいし、生活を健全に楽しむためにはあることが望ましい」ものなどがある。

ここで、価格というものについて 簡単に言ってしまえば、「生存に直結する物質の価格は安く抑えられている」「生存に直結しない、物質的精神的装飾は価格が青天井である」と言えるのではないか。そして、後者の価格つり上げには、社会的洗脳が必須であるわけだ。誰もが、そのべらぼうな価格を不審に思いながら、それがそういう価格で取引されているという事実が、その価格の正当性を裏付けている、つまり、高価格のものは実際に価値があるのだと自分自身を説得させてしまうのである。

これは人間の脳の「物語作成システム」である、勝手につじつまあわせを脳が作るのである。そうでないとつじつまの合わないことばかりで、先に進めないから、無意識のうちに自分で「合理化された物語」を作る、ということだ。

価格と価値の相違を簡単な例で言おう。朝鮮の民家に転がっていたほとんど無価値な便器を千利休が「これは素晴らしい価値のある茶器だ」とお墨付きを与えれば、その便器は一つの領国に等しい価格となる。これが「価格」というものである。ネットに転がっている素材を名のあるデザイナーが少し加工したら何千万の価格で売れる、という例を我々は最近見ている。つまり、価値のつり上げは社会的地位と関連するわけである。だから詐欺師は例外なくいい身なりをする。社会的地位の高さを偽装するのである。詐欺師は仲間を増やすことで価格のつり上げや利益の独占や保全もできる。これが「上級国民」である。で、価格にだまされているのが下級国民である。



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