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「書は読まれたり。肉は悲し」は、ヴァレリーの詩の一節だが、「肉」は「肉体」の意味だろう。訳は堀口大学だったと思うが、「肉は悲し」という表現はかなり大胆だと思う。だからこの一節はその奇矯さのために人口に膾炙したのではないか。
だが、かなり曖昧さのある詩句で、「書」は特定の書か、「あらゆる書」か不明で、書を読んだらなぜ「肉は悲し」となるのか、誰か説明した人はいるのだろうか。
単純な解釈としては、「あらゆる書を読んだら、もはや人生に対する興味は失われる。書とは、現実人生より高次な人生なのである。あらゆる書を読んだ後の人生に何の意味があるだろうか」というのは自然な解釈だと思うが、これはリラダン式の「生活などは召使に任せておけ」という、知的貴族精神だ。
問題は原詩の「書」が単数形か複数形かである。これが単数だと、この詩句の解釈はまったく変わることになる。「ある一冊の書を読むことで、『肉体の悲しさ(生そのものの悲しさ)』を痛感する」、そのような書とは何なのだろうか。まあ、聖書の「伝道の書」などはそれに近いかもしれない。「空なるかな空なるかな空の空なり」
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