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トーマス・マンの「魔の山」を読み始めて、最初はわりと面白く思ったのだが、些末的に思える描写があまりに長々と続くので読むのをあきらめた。つまり、作中の描写というのは、読者に「別の人生」を生きさせる効果を持つので非常に重要なのだが、自分の興味の持てない描写が続くと読者の忍耐力が続かないのである。冒頭の旅行の情景描写はまだいいが、主人公の幼時の思い出や心理、主人公の祖父の描写など、私には興味の持ちようが無い。つまり、主人公への共感や一体化ができてない状態であまりにその周辺の些末な描写がなされると、「俺に何の関係がある」となってしまうわけだ。私の想像だが、こういう細密描写というのは(読んだことはないが)プルーストあたりの悪影響ではないだろうか。確かに情景描写やそれに随伴した心理描写というのは近代文学の「ネタ」ではあるが、小説を読む側は、何よりも「面白い出来事」を読みたいのである。つまり、何かの事件が起こらないと読む意欲や興味が空中に消えてしまう。「魔の山」と「悪霊」の巨大な断層はそこにあると思う。普通人の心理など、普通人である読者は最初から分かっているのだから、そんなものは読みたくもないはずだ。もちろん、高い地位にある人間が実は平凡そのものの人間で、平凡人の心理で動くという、「パルムの僧院」の描いた真実は、逆に面白いわけだが、そこでもやはり「事件」があり、事件に伴う激情があるから面白いのである。
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