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私が初めて竹刀を手にしたのは小学5年の時だった。竹刀の握り方もその時に教えられた。考えていた握り方と違って、親指や人差し指は軽く握る(というより浮かす)感じで、小指と薬指で強く握れ、と教えられたのだが、これはほかの流派も同じなのかどうか、私には分からない。その時に、親指と人差し指で強く握ると、腕の上側の筋肉がこわばり、竹刀の動きの柔らかさが無くなると祖父は教えたが、その感じは最初のうちはよく分からなかった。だが、確かに、親指と人差し指で強く握ると、突きをする時に、突きの届く距離が1寸くらい短くなる気がした。つまり、自分の突きを自分で止めてしまう感じだ。
そして、それ以外に祖父が教えたことは、「構えなど気にするな」「飛んだり跳ねたりするな」という2点であった。これは、それまでに見たことのある忍者アニメや忍者漫画と正反対の教えで、侍同士の戦いは、最初に恰好よく構えて、相手が攻撃してきたら派手に飛んだり跳ねたりして攻撃を避けるのがほとんどだったからだ。「足元が定まっていないと、打ちこみがいい加減になる」「飛んだり跳ねたりしている間、空中にあるお前の動きは次の体の位置が決まっているということだ。つまり、相手がそこを狙えば、簡単に打たれることになる。普通に歩くように動き、相手の動きを予測して、そこを打てばいいのだ」
確かに、祖父が道場破りを相手にした時を思い出すと、祖父はほとんど構えらしい構えをせず、相手にスタスタと近づいて、ポンと打って終わり、ということが多かった。相手がなぜそんなに簡単に打たれるのか、見ている私には不思議でならなかったものだ。
名人というものは、相手の視線の動き、足の位置、体の構えなどから、相手が次にどういう行動に出るか、「読める」ものらしい。幕末の寺田何とかいう名人の試合がそれだったらしい。
まあ、そうは言っても、祖父は幼い私を剣道の道に進ませる気はほとんんど無かったようで、最初の教え以外は、「自分で工夫しろ」と言うだけだった。それに、剣道よりも、学校でやる運動競技の練習をしたほうが当座の役に立つと思っていたのだろう。つまり、私自身の生活の質という奴をちゃんと配慮していたわけだ。
低学年の間私が学校での運動が苦手で劣等感を持っていたことは前に書いたが、3年になった時から祖父は私の運動能力向上の手助けをしたわけである。その効果は半年くらい経ってからメキメキ現れてきた。まず、4年になると走力がクラスでも上位になった。もちろん、私より速い子は何人かいたが、クラスのベスト5くらいまでは上がってきたのである。何も走る訓練をしていない子供が普通なのだから、これは当然の結果だろう。クラスの上位の子は、家庭の方針で何かのスポーツをやっている子供ばかりだった。ある意味では、こういう「不平等な競争」というのが学校体育や学校教育の本質かもしれない。

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