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・桐井六郎の部屋。桐井が歩きながら考え事をしている。
・部屋の戸が叩かれる。
桐井「佐藤か? 入れ」
・佐藤が入ってくる。少し恥ずかしそうな顔をしている。
桐井「どうした?」
佐藤「富士谷の女房に、邪魔だからと追い出された。こういう時、男は何の役にもたたん」
桐井「そうだな」(笑う)

・階下から、ひときわ大きな産婦の苦痛の声。

佐藤「ああ、たまらん。できるなら、あの苦しみを代わってやりたい」
桐井「須田とのことは、もういいのか」
佐藤「あれが帰ってきただけで十分だ」
桐井「子供はどうする」
佐藤「もちろん、僕の子として育てる。誰にも渡さん」

・階下で、産婦のひときわ高い苦痛の声がして、その数秒後、かすかな赤ん坊の産声がする。その声はだんだんとはっきりした泣き声になる。

・佐藤と桐井は目を見かわし、次の瞬間、佐藤は階下に駆け下りる。それを微笑して見送る桐井。

・佐藤の部屋。赤ん坊に産湯を使わせている富士谷の女房。
・佐藤が部屋の扉を開けて飛び込んでくる。
佐藤「生まれたのか、赤ん坊は、鱒子のほうは大丈夫か」
富士谷夫人「どちらも大丈夫ですよ。お産くらいで騒ぎなさんな。こんなことは、百姓なら畑のへりで済ませて野良仕事を続けますよ」
鱒子「赤ちゃんを、赤ちゃんを見せて」
・富士谷夫人、産着にくるんで鱒子に赤ん坊を渡す。
鱒子「何て、何て可愛いの。こんなに皺だらけだのに、ちゃんと赤ん坊の顔をしているのね」
富士谷夫人「で、この子はどうするんです? まさかすぐに孤児院に捨てるとか言うんじゃないでしょうね。まあ、ふたりともおカネが無さそうだから、そうしても誰も悪くは言いませんけどね」
佐藤(憤慨して)「何てひどいことを言うんだ。もちろん、僕が育てるに決まっている」
富士谷夫人(平然と)「あんたの子供なんですか?」
佐藤「僕の妻が生んだのだから、僕の子供に決まっている」
富士谷夫人「はいはい、そうですか。じゃあ、頑張ってお馬鹿さんふたりで育ててください。私はもう帰って寝ますからね。お代はいいですよ。なかなか愉快な喜劇を見ましたから。赤ん坊は様子を見に、後でまた来ますよ。まあ、分からないことはこの下宿の奥さんでも聞くんですね」
・佐藤と鱒子はロクに聞きもしないで赤ん坊に見入っている。富士谷夫人は「あきれた」という表情で帰っていく。

(このシーン終わり)
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・(一案として)後で出て来る殺人の場面では、ヘンデルの「ラルゴ」が静かに流れる。

・夜、雪が激しく降っている。佐藤富士夫と桐井六郎の下宿の前の道。明かりが点いている家は少なく、雪の積もった小さな道の遠くは闇の中に消失している。その道を遠くからゆっくりと歩いてくる女の姿。時々、道に倒れるが、起き上がって歩く。その姿がいかにも苦しそうである。
・外から見ると、佐藤の部屋(一階)と桐井の部屋(二階)はまだ明かりがついているが、下宿の主人の部屋の電気は消えている。
・佐藤の部屋。富士夫は机の前で椅子に掛け、ぼんやりしている。下宿の表の戸を叩く音に、妄想から覚める。しばらくしてまた音がする。下宿の主人が早寝していて気付かないのである。
・舌打ちして佐藤(昼間のままの服の上にどてらを着ている)は部屋の戸を開けて玄関に行く。
佐藤「どなたですか」
鱒子「佐藤鱒子と言います。ここに佐藤富士夫さんはいらっしゃいますか」
・佐藤、驚愕の表情になる。慌てて玄関の戸を開ける。
・雪を頭に散らした鱒子の凄惨な姿。顔は真っ青で、腹は明らかに臨月である。
佐藤「お、お前、……鱒子」
鱒子「今言ったでしょ。私に会えて嬉しい?」(皮肉な表情)
・富士夫は返答できない。やっとのことで絞り出すような声で
佐藤「ア、アメリカからひとりで帰ってきたのか」
鱒子「そうよ。こんなお腹でね」
佐藤「銀三郎は……」
鱒子「この姿を見れば分かるでしょ。私を捨てたのよ。赤ん坊付きで」
佐藤「そうか。とにかく、入りなさい」
鱒子「この辺に産婆はいるの? どうやら、今夜中に生まれそうなの」
佐藤「まず、部屋で寝ていなさい。産婆を探してくる」
慌てて鱒子を部屋に入れ、寝床を敷き、寝かせる。火鉢を寝床の傍に据える。
佐藤「すぐに戻ってくるから、大人しく寝ていてくれ」
佐藤は大急ぎで二階に駆け上り、桐井の部屋の戸を叩く。
戸が開いて、桐井が顔を出す。
桐井「誰か来たようだな」
佐藤「鱒子が…鱒子が帰ってきたんだ」
桐井「そうか。彼女を許すのか」
佐藤「分からん。とにかく、彼女は今にも子供が生まれそうなんだ。産婆を呼んできたいが、カネが無い」
桐井「カネの心配はいらん。富士谷の女房が産婆をしていたはずだ。呼んでくるまで、俺が鱒子さんの看病をしておくから」
佐藤(カネを受け取って)「すまん、頼んだ」
慌てて転げるように階段を下りていくその姿に桐井は微笑む。

・富士谷の家の奥の部屋。兵頭、富士谷、栗谷が会合を開いている。(放火事件の善後策についての会合である。)
・表の戸が激しく叩かれる。
・警察かと思ってぎょっと驚く三人。
兵頭(富士谷に)「出てみろ。俺たちがここにいることは言うんじゃないぞ」

・玄関の戸を開ける富士谷。そこに佐藤がいるのを見て驚く。
富士谷「どうした、こんな時間に」
佐藤「お前にじゃなく、奥さんに用がある。俺の女房が産気づいて、今にも産まれそうなんだ。すぐに来てほしい」
富士谷「女房だと? お前、女房などいたか?」
佐藤「今日来たんだ。そんなことはどうでもいい。奥さんを呼んでくれ」
富士谷「少し待ってろ」
・富士谷、いったん戸を閉めて中に入る。外で寒さをこらえて待つ佐藤。
・その玄関の戸が開き、富士谷の妻が出て来る。産婆姿。
・ふたりが去っていくのを二階の窓から確認する栗谷。
・階段を下りて奥の部屋へ戻る栗谷。
富士谷「驚いたな、佐藤の話をしていたら、本人がやって来るとは」
兵頭「さすがに、こちらに心の準備ができていなかったな、ははは」
栗谷「で、先ほどの話のように、佐藤を殺して、その死体を池に沈めた上で、放火事件の犯人は佐藤だと警察に密告するんですか?」
兵頭「そうだ」
富士谷「それはひどい。赤ん坊が生まれそうだというのに」
兵頭「桐井を言い含めて、自分が犯人だという告白書を書かせた上で自殺してもらうという手もあるが、そういう不名誉な死に方はたぶん断るだろう。まあ、桐井が自殺した場合はその死体を利用させてもらうが、なかなか死なないようなら、やはり佐藤に死んでもらおう」
・電灯ではなく、テーブルのランプの灯りでの会合なので、壁に揺れる影にいっそう悪魔的な感じがある。

(このシーン終わり)
・翌朝、ホテルから実家へ一人で徒歩で帰る途中の理伊子。
・火事の焼け跡が続く町の一角に来ると、前方に人だかりがあり、その一番後ろにいる兵頭、富士谷、栗谷の3人が何かを話している。
・理伊子がその後ろを通ろうとした時、栗谷が振り返り、理伊子に気づく。
栗谷「おやおや、これは大富豪岩野さんのお嬢様じゃないですか。おひろいで朝帰りですか」
・理伊子はツンと頭を上げて通りすぎようとする。
民衆のひとり「岩野の娘だって?」
他のひとり「須田銀三郎の情婦だろう」
別のひとり「ということは、銀三郎の女房を殺した一味か?」
・銀三郎の妻が殺されたと聞いて、理伊子は驚いて立ち止まる。
民衆のひとり「火事にまぎれて死体を燃やそうとしたんだろうが、残念ながら燃えてねえよ」
他のひとり「ひでえことをするもんだ。もしかしたら死体を隠すために火事を起こしたのか」
別のひとり「資本家という連中はみんな俺たちを虫けらだと思っているんだ」
・呆然と立ちすくむ理伊子。
・その時、誰かの投げた石が彼女の頭に当たる。(スローモション撮影で、「飛んでくる石」「理伊子の頭に当たる瞬間」「その時の理伊子の顔」が映される。)
・(スローモーション撮影で)倒れていく理伊子の身体。
一市民「おいおい、ひでえことするなあ」
他の市民「大丈夫かな」
・理伊子の身体の周りに多くの人が集まって見下ろす。
市民「おい、動かないぞ」
他の市民「まさか、死んじゃいないだろうな」
・後ずさりしてその場を離れる野次馬たち。
・カメラは上方から、雪と泥の上の理伊子の死体と、そこを離れて広がって行く人々の輪を映す。


(このシーンはここで終わる)

・同日夕刻、粗末な荷馬車を駆って札幌市内に向かう藤田。荷台の「荷物」には覆いがかけられている。遠景に沈んで行く夕日。
・市街地が見える小さな丘で小休止する藤田。ごく平静な顔で市街地を見て「まだ始まっていないか。間に合いそうだな」と呟く。物凄い色の夕焼け。

・札幌の東の端にある高級ホテル最上階の一室。窓からは札幌市が一望できる。
・窓越しに見える、部屋に入って来る銀次郎と理伊子。夕食の後である。
・同じく窓越しに。抱き合って接吻するふたり。
・札幌市の或る工場。壁に積まれた可燃物の小さな山に点火する誰かの手。小さな火が生まれ、それが大きくなって壁に移る。
・ベッドで抱き合う銀次郎と理伊子。体が映るのは最初だけで、あとはふたりの、それぞれの表情だけ。銀次郎の愛撫を受けて陶酔する理伊子の表情、それと対照的に、銀三郎の顔に或る「焦り」と苛立ちの表情が浮かぶ。

・ベッドルームの戸を開けて、ガウン姿の理伊子の姿が現れる。その顔に浮かぶ失望感。
・窓の外の夜景を無表情に眺める理伊子。
・札幌の夜の闇の中に、小さく「動く灯り」が現れ、それがしだいに広がっていく。
・銀三郎が理伊子の背後に現れ、彼女の首筋に接吻する。何の感動も無く、それを受ける理伊子。
銀三郎「済まない」
理伊子「何を謝るの」
銀三郎「君とこうなったことだ」
理伊子「私たち、どうなったの?」
銀三郎「君の名誉を失わせた」
理伊子「最初から覚悟していたことよ。あなたには何の責任もない」
ふたり、沈黙する。
銀三郎(窓の外を眺めて)「火事のようだな」
理伊子「幸い、私たちの家の近くではなさそうね。でも、このホテルでこのまま死んだほうが、私は幸せかもしれない」
銀三郎「それほど僕は君を失望させたのか?」
理伊子「失望? 私はただ夢を見ていただけよ。あなたの奥さんみたいに」
銀三郎(ぎくりとして)「君はあれに会ったのか」
理伊子「あの人こそ、一番幸せな人ね。永遠に夢の中で生きている」
沈黙する銀三郎。その中で去来する思いは、その表情からは分からない。

(このシーン終わり)





・藤田に「承認」を与えた翌日。晴れた日の午前。

・自分のベッドで横になって天井を見ながら考え事をしている銀三郎。
銀三郎(忌々し気な顔で呟く)「ええい、くそっ。あんな連中がどうなろうと知ったことか!」
ベッドの上で身を起こす銀三郎。窓辺に歩み寄り、何か考えながら親指の爪を噛む。
銀三郎「畜生、自分でつけた火を自分で消しに行くとは、俺もよほどの阿呆だ」
そう呟きながら外出の身支度をする。

・家から馬で出る銀三郎。
・馬上から見る街中の風景の描写。
・その風景の中に、工場労働者のデモ隊の姿が見える。(ほんの点景でいい)

・郊外の野を行く馬上の銀三郎。馬を軽速歩で走らせる。
・道の傍だが、林の中に隠れるような田端兄妹の家の前に岩野家の自家用車が止まっている。その車は今出発しようとしていたが、停止して中から理伊子が出てくる。
理伊子(運転手に)「お前は先に帰りなさい。私は歩いて帰るから遅くなるとでも言っておいて。ここで起こったことは口外無用です」
・初老の運転手うなずく。
・運転手の視点で、ずっと離れたところで馬上の銀三郎に何か必死で訴える理伊子。
・銀三郎が理伊子を拾い上げて自分の後ろに乗せ、来た方向に馬の首をターンさせて走らせる。
・「困ったお嬢様だ」という感じで首を横に振り、車を出発させる運転手。

・ほんの暫く後、田端兄妹の家の横から懲役人藤田が姿を現し、車の去っていった方角を見送る。そして、玄関の前に立つ。凶兆のような野鳥の声。

(このシーン終わり)


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